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【展覧会レポ】中﨑透 フィクション・トラベラー展:水戸芸術館現代美術ギャラリー

水戸芸術館現代美術ギャラリーに「フィクション・トラベラー」を見に行ってきました。

いつも思うけど、ここで写真撮ると、パネルの真ん中にパキッと影の境目ができていて、いい感じに意味ありげな写真になるんだよな…

水戸のご出身である現代美術作家の中﨑透さんの個展。回顧展かと思ったらふつうに新作があった。。
(学生時代も含め、これまでに制作されたものも展示されていたので、回顧展でもあった)

わたしは以前から中﨑さんの作品のファンで、この展示も見に行くのをずっと楽しみにしていたんだけど、なんと現在新作制作のため在廊されていて、少しだけどお話しすることができた!めちゃくちゃうれしかった😳😳😳♥️作家の人って気難しかったりちょっと初対面の人とのコミュニケーションが不得手だったりして、「ファンです!!」って熱量をぶつけちゃうと「あ、そうなんですね…どうも…」みたいな方もいて、そういう時はさすがにがっかりするんだけども、中崎さんは制作の過程でインタビューなどもしたりしていて、色んな人と話す機会が多いからか、初対面の挙動不審自称ファン女に対してもすごく気さくだった。

以前から、というのがどのあたりからかと言うと、そもそもは2019年の石巻で開催していた「リボーンアートフェスティバル」という芸術祭で彼の作品を見たのが始まり。

この時の会場は廃校舎だった
空いている教室で、置き去りにされた備品や什器を使ったインスタレーション
その中で、訥々と、おそらく地元の人により桃浦地区の歴史と震災前後の思い出が語られる。桃浦とはこの廃校舎が立地する場所で、いまも牡蠣で有名な海辺の土地だ

中﨑氏の作品をこの時はじめて鑑賞したのだけど、「地元の人の語りを聞いて、その土地で作品を制作する」というスタイルに惹かれた。
廃校や民家を舞台に立ち上がるインスタレーションには、その場所に関わりの深い何人かの人々の語りが、訛りも言いよどみもそのままにパネルとなって設置され、同時にネオンサインじみたオブジェも所々に配置される。非現実的なオブジェが現実のロケーションに溶け込んで、どこか非現実的な、語る人の心象風景の中に迷い込んだような気持ちにさせられる。その浮遊感、他人の思い出の中に入り込む感覚がやみつきになってしまった。

その後彼の作品は地元(福島市内)でも展示されたことがある(もちろん見に行った)し、最近見に行った大地の芸術祭にも出展されていた。

四季の里で開催された「越境する意志」展
わたしが知らなかっただけで、中﨑氏は福島に縁のある人らしい

さて、今回の展示。
新作の展示は本人のこれまでの来し方がテーマとなっていて(そもそも水戸が作家の出身地で、ティーンの頃にほかならぬ水戸芸で美術の世界に目覚める経験をされたとのこと)、新作を鑑賞しつつ作家人生を概観できる構成になっている。美大生時代から「看板」というものを中心的なテーマに据えて制作していたらしい。
わたしが好きな中﨑作品は、看板っぽいものよりもさらに抽象化された、ネオンカラーのアクリル板と白色蛍光灯で出来たオブジェっぽいものの方なんだけど。


冒頭からコレ

看板という媒体そのものも好きなのだろうけれど、本人が作品の中で述懐していたように、「意志と表象のずれ」をずっと追いかけているのかなと思った。即興の動きと音を即興で真似しあう映像作品や、漫画や週刊誌から抜き出したセリフや文章から連想した動きをカメラの前でしてみる、という試みの大本は、その「ずれ」への関心なのかと思う。パフォーマンス作品も多いなと思ったら、そもそも大学時代は演劇もしていたらしい。もともと自分の中の思いを何かの形で発露したいタイプのアーティストでもあるのかもしれない。
看板は確かに宣伝対象それ自体ではなく、あくまでイメージを伝えているもので、本体そのものではないところが「ずれている」んだろうな。わたしもそれは面白いと思った。

看板にはたしかに文字しかないのに、その文字から立ち上がるイメージそのものを表象しているようにも見えてくる
言葉と身体表現のあいだのずれを意識的に表現しているように思った
震災があった時たまたまこの芸術館でワークショップ中だったらしい、揺れが起こった時どこで何していたか、その後のある種の苦労話は震災経験県では鉄板の話題ではある
遊び心があるなあ

ところで、6枚目の人型のオブジェは、もしかして最近は猿島(「感覚の島」)で展示されているものでは?似てるだけかな?

暗闇で見たらこわそう

(鑑賞日22.11.19)