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【展覧会レポ】東北のブルターニュ、というには人が多すぎる?:福島県立美術館

福島県立美術館に「ブルターニュの光と風」展を見に行きました。

東京はSOMPO美術館からの巡回! 東京の一等地で開催されていた展覧会が、こんな片田舎(失敬!だけどホントだし)の美術館…で鑑賞できるというのはうれしい限り。それにしても、SOMPO→福島県美、という流れでやってくる展覧会が多い気がするんだけど、気のせい?😲


福島の夏、盆地の夏

いつもの「美術館図書館前」駅で下車して徒歩5分もかからない場所にある、福島県立美術館。会期が7/1~8/27と、ちょうど夏ど真ん中。
今年の夏は暑すぎて、外で写真を撮るために立ち止まると危険なほどの暑さで、外観の写真が撮れず…。
日傘が必需品!!🌂(でも、その暑さのおかげか、今年の桃は当たり🍑だったらしい)

この美術館は、普段は閑古鳥が鳴いてるけど、印象派とか有名な画家の作品が来てるとなると途端に混みだす。
今回はまあまあの込み具合。多分、春に内装工事を終え、リニューアルオープンしたミュージアムカフェ「笑夢」の効果が大きいと見た!

太っ腹!写真撮り放題(違う)

最近は都心だけでなく、このあたりの展覧会でも写真撮影OKが増えた(本展では一部撮影不可あり)。
しかし、まだまだ「美術館では写真を撮ってはいけない」、「美術館ではおしゃべりしないで黙って鑑賞するもの」と思っているような高齢者や美術展初心者の比率が高いせいか、写真を撮っているのは一部の若者だけだったような気がする(この話題についてはあらためて後述)

今回のmy favorites

アルフレッド・ギユ「コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち」1896頃

今回は、東京から来てくれたお友達と一緒に鑑賞したのだけれど、彼女も「この絵が好き!」と言ってた🥰(彼女は山育ちの私とは反対に海に近い生まれだそうで、そのせいか海景画が好きみたいだった。いろいろな好みがあるものだし、その理由もさまざまなんだなあ…
港町の若い男女の、ちょっとしたからかいの一幕。三島由紀夫の「潮騒」のシーンを思い出してしまった。かわいい女の子たちは、だしぬけに声をかけられて、戸惑いつつもまんざらでもない様子。声をかけている男性の後方にいる男性がちょっと笑っているところを見ると、ナンパは首尾よくいったのかも?😲

ポール・ゴーギャン「ブルターニュの子供」1889年

今回の展覧会のキービジュアルにもなっていた一作。おおまかな感じの輪郭線、平面的な塗り、とナビ派感がいっぱいで、やっぱりゴーガンが好き! と感じる。あと彼の描く子供ってかわいいよな~(タヒチで描いた少女たちは、逆に年に似合わぬ大人っぽい目つきをしてて、ふしぎな危うさがあるけど)。この絵の二人の少女?なんて田舎らしくずんぐりモコモコと着ぶくれていて、綿入れを着た東北の昔の子供みたい。
足がやたら大きいのはなんだろうとずっと思ってたけど、本物を近くでみたら木靴だったのねと分かった。

ポール・セリュジエ「青い背景のりんご」1917年

青と黄色の補色関係がメインの画面なのにあまりビビッドな感じをうけず、むしろ静かで瞑想的な雰囲気を感じる。なんでだろう? 背景も曇天みたいにドンヨリした深い藍鼠色だからかな。
見てるとすごく落ち着くので、絵葉書を買った。

エミール・ジュールダン「嵐の後」1900-14年

嵐のあと、というタイトルがついている。遠くに見える家のさらに向こうに、追いやられるようにして流れていく薄紫色の雲が嵐なのかな? 手前の崖を、二人の男性がモッコのようなものを持って登ってくる。嵐で壊れた建物の修理でもしているのかもしれない。

それにしてもさっぱりした空の色、穏やかに凪いだ海のようすが美しくて、かなりじっくり見ていた。絵自体はそれほど緻密ではなく、どちらかというとヘタウマっぽさがある画面なのだが、ふしぎな風情が漂っている。
じっと見ていると、絵が音を聴かせてくれることがあるのだが、さわやかに海に向かって吹く陸風の、手前の草原を吹きわたっていくサヤサヤサヤという音が聞こえてきた気がした。

田舎における美術リテラシーは結構遅れているという話

これは誰が悪いというわけでもないし、やや私怨がこもっているが、どうせ個人ブログだから好き勝手書かせてもらう。
田舎における、美術に関するリテラシーはかなり遅れていると肌で感じる。

(1)そもそも美術館に人が来ない

わたし自身もミーハーっ気があるのでわかるが、モネとかルノワールとか、一般常識レベルで名前が知られているような画家、しかも「巷で人気があるとみなされている画家」の作品が来ている時にしか集客が殆ど成り立っていない。

休日の午後でこれである

多分、「絵が見たいから」という理由じゃなくて、「有名な画家の作品が来てるらしいから」くらいの動機なのかな… と推察する。「駅前に、なんか知らんけどドラマに出てる芸能人が来てるらしいから見に行こうぜ!」というのとノリ的には大差ないように感じる。

こんな東北の片田舎の美術館だけど、それなりに郷土の有名作家の作品が常設展には揃っているし、季節ごとに展示替えをしたり、定期的に寄贈受け入れもしており、(億単位の大家の作品はないけれど)優品がまあまあある
それに、けっこう企画展も巡回の受け入れをしていて、このあたりでは見れないような作品の展示もしている!
(個人的な背景ではあるが、わたしの結婚式の前撮り写真は、この美術館のお庭を借りて行った。自分にとっては生まれたときから親しみのある、「美術館めぐり」の原点だ(突然ほとばしる、なぞの郷土愛😂))

(2)未だに「美術館ではおしゃべり禁止!」が正義

昨今、作品を見ながら対話する形式の鑑賞方法が、教育分野を発端としてアートの世界では市民権を得てきている。さすがに、海外の美術館と同様に、「床に座り込んで、大人も子供も作品を自由に鑑賞しながら、好きなことを言い交し合っている」とまでは行かなくとも、作品を見ながらちょっとした感想をその場で交し合う、ということは、都会の美術館では現在ごく普通に行われている(混雑が田舎の比じゃないので、話し声がそれほど目立たないというのはあると思う)。
今回、お友達と一緒だったので、絵の前でちょっとした感想を述べあったりしながら見ていたのだが、あまりにも展示室に閑古鳥が鳴いていて、ひそひそ声でも目立ってしまったのか、監視員がすっ飛んできて「鑑賞中のお話は控えていただいて……」とのこと。
わが身をかばうわけではないが、けっして他の鑑賞者の邪魔になるほど大きな声は出していないし、作品と関係ないおしゃべりをしていたわけでもなかった。ただ作品の感想を、絵を前にして交わしていただけなのに「話すな!」とは…… 
なんかためいきが出ちゃうよ…。文化水準が低い気がする。
(宮城県の美術館でも、写真撮影OKの展示で写真を撮っていたら、特に鑑賞の邪魔をしていたわけでもないのに、横合いからいきなり「写真はダメでしょ!!」とおしかりを受けたことがある、しかも2回も。)

どうしても都会より田舎では、こういった面で市民県民の洗練がされていない感はあるのかもしれない。とはいえ、青森県十和田市や石川県金沢市など、美術が土地の中に受け入れられ、市民も楽しんでいるような場所はある。何が違うんだろう……。)

おわりに

最後にさんざん吠えてしまったが、人が少ないというのは、裏を返せば自分だけのFAVORITEと心行くまで対話を楽しむことができる場所でもある。地元人の特権として年パスを持っているので(なんと1年間有効で大人3000円!安い!)時々息抜きがてらフラッと寄れるのも魅力だ。
夏が終わり年度も折り返しだが、これからの企画展も結構たのしみにしている。