見出し画像

乃木坂46"5期生"版 ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」2024 Team STAR感想 #乃木坂46版セラミュー

(追記)

4月29日の千秋楽公演(17:00~)が楽天TV・Huluで配信!
アーカイブは2週間(〜5月12日(日) 23:59)!
絶対に観よう!

(ここまで)

観てきた。4月21日(日)マチネである。

「5期生でセラミュをやる」と発表された辺りからキャスト解禁までの悲喜こもごもは『5期生でセラミュやるんだってさー!!』のnoteに書いたので割愛する。主に喜がこもごもしている。どちらにせよ、絶対両チーム観に行くことは自分の中で決定していたのだ。いや、それにしてはチケットが取れなさすぎた。チケ代を鑑みると想定外すぎた。STARは序盤でどうにか確保しつつ、幸いMOONも機材開放席を購入することに成功、無事1枚ずつゲットしたんだぜ。

感想を書く!

一応「※ネタバレ注意」でお願いします。


乃木坂46キャストについて

菅原咲月(セーラームーン/月野うさぎ)

当初、咲月ちゃんが月野うさぎちゃん役をやるとは全く想像していなかった。むしろ主人公を傍で支えるような火野レイちゃんあたりが濃厚と思っていたので、実際の発表を受けてめちゃくちゃ驚いたのだ。

しかし改めて考えれば『バンドエイド剥がすような別れ方』でセンターを務めるなど、「(5期生の)中心人物の一人」という意味では非常に納得がいくもの。そしていざ彼女が演じたうさぎちゃんを見てみたら、まあ超最高。

イメージでは、2018年公演のTeam STARでの井上小百合ちゃんのような「等身大の人間味」が表れたような演技になるのかなと考えていた。彼女は「役と自分が似てはいない」としながら、「しかし共通する部分が確かにある」という気付きをヒントに、それを引っ張り出して彼女なりの月野うさぎ像を作り出していたのだ(みたいな発言を実際していた)。

咲月ちゃんも近い作業を行うのかと勝手に想像していたが、いざ出来上がった月野うさぎ像は、井上小百合ちゃんのそれとはまた異なるものであった。

咲月うさぎはまずもって「アホっぽさ」と「繊細さ」が強く印象に残った。少女らしい「二面性」自体が特徴と言えるかもしれない。それは元からの性格設定だし脚本上でもそう描かれているが、より粒立って見えたのだ。

個人的には咲月ちゃんは、いつも明るくてポジティブで周囲を巻き込んでゆくネアカというよりも、周りや人を見ながら動いたり役割を務めたり出来るバランサーというイメージである。それが発揮された結果として、お笑い担当に徹することもあれば、真面目な進行役を務めることも、ふんどし締めて先頭に立つことも出来る。そんな頼もしさの持ち主だ。

それらはすべて大なり小なり「咲月ちゃんの内側から出てくるもの」だと思うが、今回についても、これを芝居における方法論的に実践したのではないか。「出す」作業そのものとして、である。

パンフレットで地葉衛役の天寿光希さんに「時にすごく大胆なことをしてくる」「何が出てくるかわからないおもちゃ箱みたい」と評されていたが、正直この言葉がすべて言い表してくれている。いつかの『乃木坂配信中』で「空気を変える女・菅原」というくだりがあったが、あの感じで、素でも天然でもない、軽やかに「○○キャラ」をぶっ込んでくる感じ

のままの自分をうさぎちゃんに自然に重ねる、という感じではなく、シーンや台詞ごとにオモテに現すべき部分を内から抽出して、なんなら誇張までして表出させているイメージである。これこそ「演じる」という事そのものでもある気がするし、舞台演劇的だ。

上では「アホっぽさ」と「繊細さ」の二面性と書いてみたが、それは月野うさぎの人間性に関わる表現。ひとたびセーラームーンに変身してみたら、ヒーローとしての「格好良さ」もまた際立っていた。ライブなどでもクールな表現に優れた子である。自分の中の辞書を引くように、適した表現をばっちり見せてくれる。

そして演技以外で感動的だったところといえば、TeamSTARはめちゃくちゃ「咲月ちゃんの歌で引っ張っていた」。彼女の歌唱力といえば、一定水準を超えた実力を持つことは理解していたが、その印象を遥かに超える上手さ(相当練習を重ねたことだろう)、そしてそれに留まらず「彼女の歌がチーム全体の推進力になっていた」と感じた。

役柄上一番多く歌うから必然的とも言えそうだが、そういう問題じゃなく「全体を引っ張る力を持つ歌」であったし、それはパッションだけでなく確かな上手さがあった。理屈で説明できないが、ほかならぬ歌にこそ咲月ちゃんの主役たる所以ゆえんが宿っていたように感じたのだ。

中西アルノ(セーラーマーキュリー/水野亜美)

これまた予想の話になるが、彼女が亜美ちゃんを演じることはイメージしきれていなかった。そして実際いざ観た舞台上のそれは、元来の「水野亜美像」からは一番遠いものだったと言えるかもしれない。

しかし「下手」「良くない」「合わない」とは全く違う。ズレがあるのではなく、彼女が演じたことでプラスされたニュアンスが色濃く印象に残った。そういう意味だ。ひと言でいえば超最高であった。

いつかの猫舌SHOWROOMで、井上和ちゃんがアルノちゃんのことを「お姉ちゃんって感じ」と言っていた。これは和ちゃん自身にとってという意味ではなく、性格や振舞いの部分が「一人っ子らしくもなく」「妹っぽくもなく」「お姉ちゃんって感じ」なのだと思う。そして今回の亜美ちゃんは、「お姉ちゃんって感じ」がする亜美ちゃんだった。

特に序盤、最初に仲間となる亜美ちゃんはうさぎちゃんと2人で行動、突っ走るうさぎちゃんをサポートやフォローする様子が見られる。過去の乃木坂46版セラミュでは、おろおろと振り回されたりとか、理性的なようで実はノリが良い感じとか、細かくも様々な見せ方があった中、今回はそれとなくフォローを重ねて裏から支える保護者的なニュアンスがあった

意図した演技か元来のアルノちゃんの人間味かは定かではないが、そうしたお姉ちゃん性、がんばって言語化すれば「寛大さや懐の深さ、つとめて冷静な落ち着き」みたいな要素が感じられた。雑に言語化すれば「大人っぽい」のだ。

そしてその大人っぽさは、転じて「色っぽさ」にも感じられた。アルノちゃんの普段の話し声や歌声に独特な艶と手触りがあるとは勝手に言っていることだが、それらも丸ごと亜美ちゃんの表現に働いていた。見るからにセクシーというより全体的に「色っぽい」。なんかそう感じたんだ。

さて、水野亜美ちゃんというキャラクターは、真面目でおしとやかなようでストーリーが進むにつれて意外な一面を見せることも増えてくる。譲らないことは決して譲らない強さ、驚くくらいの大胆さや、パソコン操作のかたわらサンドイッチをむしゃむしゃ食べるズボラな姿など、むしろこちらが自然体かのように見せる。

そういう意味では、2部以降の発展した「水野亜美像」がこそ、アルノちゃんが演じるのにぴったりかもしれない。単純に似ている感じもするし、プラスアルファでイメージを更新してくれる役者なのだと既に目の当たりにした。ならばそれは、水野亜美ちゃん性が彼女の中の根底にあることの証左である。

そして細かいが、個人的に好きなところがある。アルノちゃんは子鳥の翼のようなアイアンマンが飛ぶ時のようなピョコっとした手つきをする癖(?)があるのだが、今回もそれが存分に出ていた。亜美ちゃん的可愛さとマッチしていてとてもグーである。

歌については言わずもがな。一方彼女は、万能プレイヤー的な順応に苦戦するところが少なからずあると以前から感じていた。それにしても基準がバカ高いので普段は気にならないのだが。

今回舞台上でそれを感じたわけでは一切ない、一切ないのだが、本人が稽古の過程でそうした苦悩をしたのではと勝手に想像してしまう。もし彼女が悩んで挑戦していざ舞台に立ってると想像したら、こちらもいっそう襟を正して耳を傾けたくなるというもの。そういう意味でも聴き逃し禁物なのだ。

一ノ瀬美空(セーラーマーズ/火野レイ)

予想と違ったという話もこれで最後だが、いちばんびっくりしたのがみくちゃんのレイちゃんである。正直、彼女は100%美奈子ちゃんだと思っていた。日頃のキュンキュンキュートな明るい振る舞い、強く印象に残る眩しい笑顔、実は年長側でメンバーを支える一面などはっきりと確信を持っていた。

で、蓋を開けてみたら火野レイちゃん役だったのだ。あーびっくりした。そして今回いざ舞台上のその姿を観たところ、もう文句のつけようがない超最高な火野レイちゃんを彼女は演じていた。

そして美空ちゃんに対しての先入観と同じく、火野レイちゃんに対する認識の甘さも自覚したものだ。クールで厳しくツンとしていて気が強い、総合的にこういうイメージのキャラクターであると認識があった。その先の「深み」にまで気づくことが出来ていなかった。そして美空ちゃんの演じたレイちゃんはそこに達している。

クールさやツンの部分は、美空ちゃんを通して見ると、元来持つ気質というよりも周囲の声に対抗するために気を張ってる状態だったり、孤独に負けないよう気丈に振舞っている、そういった一つの「仮面」であるように感じられた。

そして細かな所作からは、美空ちゃんの育ちの良さに由来するであろう「上品さ」が滲む。彼女の演じるレイちゃんはお嬢様らしさがあり、非常に上品である。これまでもその部分はキャラクター性として持ってはいたが、特にマッチしていたという意味で「上品さが際立つレイちゃん」だったといえる。

ツンの部分や厳しいところは気丈さの名残で、根は上品で思慮深く愛と優しさに満ちた人間なのである。美空ちゃんが演じてみると、なるほどそういう部分が火野レイちゃんはに確かにあるなと「気づき」として与えてくれた。

そうした本質的な一面が現れた場面として、ラストシーンがある。すべての戦いを終えて日常に戻ることができ、しかし決定的な違いとして「仲間」の存在がある、という多幸感でいっぱいのラストシーンだが、レイちゃんはここで皆から無視されている。

「学校行かなきゃ」とか「サボってパン屋さんに行こう」とか言っているさなか、レイちゃんだけが「変な夢を見たの」と騒いでいて、誰にも聞いてもらえないのだ。そして、そこの演出が今回とこれまでとで違っていた。

従来は、皆もマジで無視しているというより、レイちゃんが独り言のように言うから様子を見ている感じ。一方今回は、皆して解放感にあふれて好き勝手やっていて、マジで聞いていない。そしてレイちゃんは「えっ、マジで聞いてくれないんだけど」と驚愕した表情を見せる。

こうした「イジられ役」のような可愛げが、演出としても現れているのだ。そしてそれがマッチしている。ダジャレを言ってわざとスベることが好き、となんかのインタビューで言っていたが、それと通ずるようなものがある気がする。状況は違うにせよ、おいしいコメディリリーフ的な側面が美空ちゃんによって齎されているのだ。

あと今回のレイちゃん、フォボス・ディモスとの一瞬のやり取りが良い。うさぎちゃんに「アホー、アホー」と鳴いたり、押しかける主婦たちを追い払ったりする愛しいカラス達に「こらっ!」「やめなさい!」とたしなめる台詞が今回追加されたのだ。こうした一言で、都合よい使役なのではなく、確かな関係性があると浮かび上がってくる。MOON・STARどちらもあるので美空ちゃん特有の場面ではないのだが、いやしかし良いアレンジ。

そして美空ちゃんの歌がまた良い。「気迫」においては5人の中でもトップかもしれない。それこそスタ誕などを通して、可愛らしい曲よりもむしろ低めの声で世界観に入り込んで歌う方がなんなら合う、とはファンならば気づき始めていた。

フレーズの最後が低い音程を取ることが多かったり、和風の荘厳なサウンドに合わせて腹から深い声を出すことが求められたりと、マーズ組曲は「格好良さ」「シリアスさ」が重要だ。そしてそれこそが、彼女の歌に対して相性が非常に良かったのである。

冨里奈央(セーラージュピター/木野まこと)

「あなたは高身長だから木野まこと役だ」という身も蓋もないキャスティングだったことが察せられるが(いや実際やむを得ないことではあるとして)、始まりがそうだったにしては、超最高すぎるまこちゃんを魅せてくれたのが冨里奈央ちゃんの持つ本領である。

と、知りもしないことを勝手な思い込みで決めつけてしまったが、逆を言えば「まこちゃん役の子が本当にちゃんと高身長」という点がクリアされていると非常に興奮するのである。本作でも、ぐりおが下から見上げて「迫力……。」と零すシーンがあるが、このすらっとした佇まいはあればあるほど良い。かつての梅澤美波ちゃんのまこちゃんも大変に良かった。

そこは一致するにしても、冨里奈央ちゃんはベビーフェイスで声も細くて可愛らしく、ふにゃっとした笑顔が愛おしくてたまらない。そんな人物像としてのイメージは、まこちゃんとは結構な距離があるとは割と誰でも思う事なんじゃないかと思う。

そうした「壁」を、彼女は素晴らしい回答を以て超えてくれた。そしてその方法はおそらくこの「乃木坂46版セラミュ」ならではの座組だからこそ為しえたものではないかと想像できる。

奈央ちゃんの演じたまこちゃんは「王子様」のようで、ひいては「宝塚の男役」っぽかったのだ。これまでの乃木坂46版セラミュは、ある程度差異はあるとして、「スケバン」的な造形が多くあった。勝ち気で堂々としていて、その実、内面の乙女心が本質……なんて感じだ。

しかし奈央ちゃんの演じたまこちゃんは、格好良さはもちろんあるとして、「強そう」というより穏やかで落ち着いた「凛々しさ」。美空レイと表現がかぶってしまうが、包み込むような「品の良さ」が感じられた。

その佇まいたるや、ぐりおは単純なのでビビっていたが、凛々しく目を引かれてしまう素敵なものだった。カーテンコールの際に隣り合うアルノといちいちイチャイチャしていたが、奈央ちゃんは常に王子様を気取ってエスコートしていた。まこちゃん像を通したそんな「イケメン」ぶりを、スタ誕でのコント以上に表出させ、かつ楽しんでいたのがとても印象的である。

先に歌の話をしてしまうと、っていうか台詞を発する段階ではっきりわかるのだが、今回の彼女は完全に声を変えていた。低く太く腹から響くように出している、まさしく「男役」の声、セラミュで言えば「四天王キャストの発声」と並ぶものを彼女は行っていた。ライブでの煽りでその片鱗を見せていたが、その期待を大きく超える素晴らしいものだったのだ。殺陣の場面などの掛け声も良く、がんばってるどころか明らかに「コントロールしている」。

今回、四天王及び地葉衛/タキシード仮面の5人のうち3人が元宝塚歌劇団員であり、乃木坂46版としても最も多い。そうでなくてもこの皆さんがセラミュにおいて男役を演じるのだから、技術面も申し分ない先達が揃っている環境と言えよう。

つまりは、きっとそうした環境で直接的にも間接的にも大いに吸収と成長をしたのだろうということだ。何なら歌は苦手そうな印象を受けていたので、ちょっと感動するくらい"良い"ジュピター組曲を聴くことが出来た。上下の移動も激しいあれをあんなに"良く"歌ってくれるとは……それも生歌唱だぜ……。プロのアイドルの本領がここに発揮されていたのである。

そして、そうと思いきや根っこはとても「少女」であった。もっと言えば「夢見る少女」。その顔が思わず滲み出てしまうまこちゃんである。それは奈央ちゃんの元来の繊細な部分やふにゃっとした人物像、そして純粋さに由来するのであろう。

秘宝や舞踏会に憧れる姿は、大人でも持つ乙女心というよりかは、無垢な夢見る少女のそれのように思えた。綺麗な宝石そのものへの憧れよりも、その先のプリンセス願望みたいなものが透き通って見えていた。「夢見るエナジー」とはネフライトの台詞でも語られたが、まさにそれを、奈央ちゃん演じるまこちゃんは宿していた。

川崎桜(セーラーヴィーナス/愛野美奈子)

この写真のポーズから何から可愛すぎるわ合いすぎるわな感じで理解できるように(?)、川﨑桜ちゃんは予想段階から美奈子ちゃん確定メンバーの一人であった。実際観たことを踏まえても完璧なキャスティング、いや、超最高なキャスティングであったことは間違いない。

しかしこの可愛らしさやお調子者な側面、ノリの良い感じなど、それは愛野美奈子というキャラクターの本質と言って問題ないであろうが、実は乃木坂46版セラミュにおいては、あまり顔を出さないところであったりする。

そもそもが原作1部のストーリーを忠実になぞっており、その中での美奈子ちゃんは「先んじて戦士として活動していた先輩メンバー」「敵を翻弄するプリンセスの影武者」「4人を導くリーダー」といった役割に徹した動きも多く、2部以降の解き放たれた根っこの人間性を出していなかったりする。(このニュアンスは2018年STARの中田花奈ちゃんが実によく合っていた。)

そんな中、桜ちゃんが近いのは、樋口日奈ちゃんの演じた美奈子ちゃん像であったように思う。樋口日奈ちゃんは、本人がそもそも持つ「マドンナ感」が全面的に働いた美奈子ちゃん像であった。「演者の人間的魅力が勝手に溢れちゃってる」みたい部分が、むしろ一番強いくらいだったように思っている。アルノ亜美ちゃんのようなプラスアルファに近いかもしれない。

桜ちゃんの演じた美奈子ちゃんもまた、桜ちゃんらしさが強くあった。「マドンナ感」もそうだが、桜ちゃんの天然さんなほわほわした部分は、なんなら美奈子ちゃん自体はあまり持ってない部分だが、それさえも今回演じられたこのキャラクターの魅力として舞台上で発されていた。隠し切れないその空気感が(生で演じるからこそもあり)容赦なくポジティブに機能していたのだ。

桜ちゃんは割とデフォでニコニコしているが、その笑顔は初登場シーンでもよく発揮されていた。一触即発の戦闘中、仲間のピンチに駆け付ける笑顔の戦士は、戦士になったばかりの4人とは一線を画す頼もしさ。リーダーポジションのヴィーナスだが、彼女の場合、「5人の先頭に立つ」というよりも「常に一番余裕がある(だから頼もしい)」みたいな見え方があった。

それでいて、それは探っていけば美奈子ちゃんの表現としても合致する。1部では明言されることはないのだが、愛野美奈子という人は「アイドルになる」という夢を持っている(そして時に暴走したりする)。桜ちゃんのマドンナ感や、ミュージカルという歌い踊る形式が相まってか、舞台上には美奈子ちゃんのアイドルになるという夢が叶えられているようにも見えたのだ。

歌い踊ることでの「ごっこ」を楽しんでるみたいな、せり上がりにもノリノリみたいな、そういう美奈子ちゃんが1部では見せなかった本心が、ここで満たされているよう、そういう風に思えたのだ。もちろんそれは、桜ちゃんの良い意味で深刻さの無い雰囲気・明るい人間性によって担保されている。

お歌については、本人が時折語る苦手意識を受け止めたいところだが、重要な"良い"歌であったと言わざるを得ない。鼻にかかった歌い方こそ個性的だったが、むしろそれこそ「アイドル感」があり、「らしさ」を生む。そこに愛野美奈子としても川﨑桜としても唯一無二の、空気を変えるような個性が宿っているのだ。

ヴィーナス組曲の〈コードネームは/セーラーV〉のところ、今回は「セーラーぶいっ!」という発音になっていた。両Teamともなので桜ちゃんに限った変化ではないが、可愛い

演出や小道具などの変化

が、いっぱいあったので記憶の限り書いていこう。今回客席にいた人の中でも、2018年・2019年版を信じられないくらい繰り返し観ている自負があるので(にもかかわらず今回も泣くのは何故なんだ)、気づけている方ではないかと思う。

セットが違う

これはある意味、今回の作劇において一番大きい点であったのではないかと思う。

2018年・2019年版は、今考えれば「独特なセット」だった。ぐいっと斜めに袈裟切りするような形で幅広な一方、高さもあまりなく、造形も抽象的でドライな感じ、ふすまみたいな出入口はしっかり付いている。映像表現はあくまでこれに対して投影するプロジェクションマッピング的な表現。

https://spice.eplus.jp/articles/257435

それに対して今回のセットは、結構王道だった。ケーキみたいな形で左右対称かつ高低差もあり、登場キャラクターも外連味も多い2.5次元にいかにも合うものだった。そしてプロジェクションマッピングに加えて今回はモニターが設置され、はっきりと映像やアニメーションを出すことが導入された。

朝の『8ニュース』から街の風景、天気、変身シーンや技のエフェクトまで、より鮮明に視覚情報として観て分かるようになった。観る側で想像・補完していた部分も具体的に表現され、格段にわかりやすくなった

https://natalie.mu/stage/galley/news/569305/2294888

それに加えて「鏡」などもモニターの機能を有しているなどグレードアップしている。クイン・ベリルの場面でも主に使われるキャスターで動かすあれが、元は反射するか透過するかの機能だったのが、映像を映すことが可能になっていた。それにより、「クイン・ベリルに操られたタキシード仮面」の表現がより明確になった。映像表現で、2人が姿が溶け合い入れ替わるような現象が視覚的にわかるのだ。

更には、セーラー戦士に襲い掛かるテスト用紙や刃が出る吊り革、パーティーの仮面や楽器など、個々の小道具が従来よりし充実・精密になっている。この点、チケット代に裏打ちされた潤沢な予算を感じるところだ。無論、それが全体のクオリティアップに寄与していた。単純に見栄えもするし、どれがどういう意味を持ち何が起きているかすぐにわかる、というわけだ。

ルナの進化

操演で表現されるルナ。2018年⇒2019年の間だけでも「まばたきする」ように変化し、それによって表情がついて演技の幅がめちゃくちゃ広がり感動したのだが、今回は「額の三日月ハゲが光る」

ここぞというときに「光る」のだ。彼女もまた超常な存在であることを表現する仕組みであり、結構感動したのだ。何より「ルナのブラッシュアップが毎回施されている」という事実がまた嬉しい。ルナ大好き。

ちなみに今回観劇した4月21日のTeam STARの操演担当は、2018年版も出演した若狭博子さんだった。2019年版は通して続投している松本美里さんのシングルキャストだったので、その「再会」もファンとしては嬉しいポイントなのである。もちろん、唯一初演から続投し続けている松本美里さんの存在も重要である。彼女がいてこそ、最初っから安心と信頼を抱くことが出来る。

四天王がよりフィーチャーされてる

なんだかんだ涙を誘うのは四天王なのである。

そもそもの乃木坂46版のアレンジとして、四天王に関する場面があった。2部での過去のムーン・キャッスルでの場面で4戦士と共にダンスを踊ったり、そのほかの4戦士とのカップリング的な絡みは、原作においてはにおわせる程度でほぼ存在しない。アニメにおいてはオリジナル展開でネフライトとなるちゃんのロマンスが(名エピソードとして)あるくらいだ。

今回はより増強されていた。例えば、(敵に操られた)タキシード仮面が受けた剣を、四天王が石となって止めたことが判明する場面。

宝石のイメージ映像が一人一人に重ねられ、より「肉体を失ってからもなお彼の身を守った」のだとわかりやすくなっている。

更に、クイン・メタリアを倒した後4戦士が復活してすぐのラストのシーンにおいても、幻想として四天王が現れて並び立ち、4戦士がセーラームーンを見守るのと同じように、タキシード仮面=王子エンディミオンを見守るのだ。

こうした追加要素で、「セーラームーン:4戦士」の鏡像として「エンディミオン:四天王」の関係性があることがより分かる。ひいてはそれは、生まれ変わって友人として出会えたセーラー戦士たちと、敵として相対してしまった彼らの違いが引き立って切ないんだけれども、しかし「明確に示される」という救いになっている。

今回改めて思ったのが、「セーラームーン:4戦士」と「エンディミオン:四天王」のそれぞれの関係性が、鏡像である一方明確に違うことがわかった。4戦士はセーラームーン=うさぎちゃんにとって「運命と友情」で結ばれた存在。四天王はタキシード仮面=王子エンディミオンへ「忠義と献身」を捧げた立場。それこそ人間として出会ったか敵として出会ったかの影響による要素でありつつ、印象の違いを改めて感じたのだ。そして泣いた。

クイン・メタリアの表現がより良くなってる

今回は「布」による表現になっていた。2018年・2019年版から比べてはっきり変わった点であり、そしてクイン・メタリアがいかにおぞましい存在であるかがよくわかる表現だった。

2018年・2019年版は主に、アンサンブルの方々それぞれが黒い衣装をまとって、ひとつの「意識の集合体」のように、あえてバラバラに舞台上を動くような表現だった。それプラス、プロジェクションマッピングによる映像表現であった。

今回は一枚の大きな黒い布をアンサンブルの方々が操り、ふわふわと内側から動かすことによって、闇そのものが広がって蠢いて、そして呑み込んでこようとする表現それそのものになっていた。実際、クライマックスのシーンでは前に立つセーラームーンに向かって布ごと押し寄り、文字通り「呑み込もう」としていた。

カオナシみたいだと思ったし、実際のところ舞台『千と千尋の神隠し』では、暴走して巨大化したカオナシの表現はパーツごとに分割したパペットと布を駆使してグニャグニャと蠢く様子を表現していた。もしかしたら、こちらからの影響があったりするのかもしれない。なくても、十分凄すぎる演出だった。

あとクイン・メタリアという「ラスボス」をアンサンブルの方々が演じるのが実は大好きなポイント。全体を要所要所で支えるのが主な役割であるようで、絶対に必要だし最も重要な存在だということをこういう形で示している。

最感涙シーンの演出が変わってしまったのが個人的に残念

今回、唯一ちょっと残念だったポイントを言いたい。それは作品的にマイナス評価ポイントというわけではなく、個人的に熱中しすぎてしまったところが今回変化したので個人的に残念、ということだ。バラロールチャーシューが好きだったのに低温調理チャーシューに変わった、みたいなことである。

それは終盤。命を落としたセーラームーンのことを、4戦士が自身らのすべてのパワーを使って蘇らえせようとするシーンである。

今こそメイクアップの力を使おうという時、4人は順々に自身の想いを吐露する。そしてそこに回想が重ねられる。映像作品ならば独立した映像が別の場面として重なるところ(実際、インスパイア元である劇場版『セーラームーンR』では回想映像として演出されている)、乃木坂46版セラミュにおいては、その回想を生身で演じていたのだ。

4人は全員、孤独を感じていた。しかしうさぎちゃんによって救われ、そのことへの喜びと感謝をずっと抱いているのだ。

後悔なんかしてないわ……皆に逢えたから!
『駅前のパン屋さん、フルーツサンドが有名なの。買いに行かない!?』
私を誘ってくれたのは、あなたが初めてだった。

なんだか不思議な気分。全然怖くない!
『私は信じる。犯人はあなたじゃない……なんか、そう思うの!』
私を最初に信じてくれたのは、あなた。

あたしはどこに行っても怖がられた……皆に避けられてたんだ。
『まこちゃーん!転校生なら、友達になろう!』
ありがとうな、あたしの友達になってくれて!

リーダーとして、プリンセスを守れたかな?
『Vちゃん……あたし、あなたをずっと見てたの!』
皆がいたから、ここまで来れた。ありがとう!

(※2019年版を参考に書き起こしたもの)

これらはすべて、劇中で彼女たちが初めて出会った場面で発せられた言葉・交わされたやり取り。それをイメージ映像的な表現として、もう一度実演する。その表現を生身で演じているからこそ感動が増幅していた。

ストーリー上は、それこそ回想の場面なので、セーラームーンはまだ生き返ってはいない。でもそれを2018・2019では、月野うさぎちゃんを演じた山下美月ちゃん・井上小百合ちゃん・久保史緒里ちゃん自身が動いて生の声で台詞を言う。ステージ上の位置も、本編中(1部)の場面と重なるように配置されている。

示してることは回想なんだけど、今この瞬間においては、役者同士で目を合わせて実際に言葉を交わしてるのだ。その「生身」感。

頭で思い出しただけではない、今目の前で行われているという肉体的表現。そうした舞台演劇ならではの感動を生む効果が、このクライマックスにこそストーリーの頂点として表現されていたのだ。

これが!!! うさぎちゃんが映像になってしまった!!! いや意図や理由があることだろうから無碍に否定する気はないけども!!! だが「俺が好きだったあれ」が変わってしまったのでさすがにショックだった!!! 場面と演出と舞台演劇であること自体がすべて噛み合った完璧な演出だったのに、なぜ失われてしまったのか!!!

今回どういう演出だったかというと、セット上部のモニターにセーラームーンの映像が出て上記の台詞を言いつつ、4戦士たちはそれを背中で受けて応えるのだ。はっきり言って、セリフをバストアップで言ってるだけでしかない映像だ。当然、あらかじめ撮られたもの。

正直、少し冷めてしまう部分であった。生身でやってる最中に「あらかじめ撮った映像をそのまま流している」から全体に馴染まず不一致でバカバカしくも見えてしまう。バスラなどのライブでも、モニター演出で謎の映像が流れて何だこりゃと思うことがあるが、同じ作用があると思う。生身でやってるのだから本質は生身で行われるべきだ。

意図や背景があることも察せられるが、一番好きな場面であり、場面と演出と舞台演劇であること自体がすべて噛み合った完璧なところだと思っていたので、100点満点で今回100点だったとしても、元は150点、いや200点だったんだよな……と思ってしまうのだ。

「もう戻らない美しい過去」に弱い

2部の序盤、月に辿り着き、クイーン・セレニティからかつてムーン・キャッスルで何が起きたかを知る場面。先に言うと、ここも好きだった演出が変わってしまった部分だが、上記ほどのショックは受けていない。

ここでは月と地球の舞踏会が行われたことが振り替えられる。

2018年・2019年版は、過去の場面をまさに映像を見るかのようにセーラー戦士たちが下から見上げながら、アンサンブルの方々がかつてのセーラー戦士に扮して、動き、そこにセーラー戦士たちが記憶をなぞるように声を当てる。これもまた「過去の映像」を「生身で」実演してる感じが最高だったし、アンサンブルの方々がある世界線のセーラー戦士なのだと感じられることが幸福であった。

今回は、実際に川﨑桜ちゃんらセーラー戦士たちが演じるのだが、まあこれくらいの変化は余裕で受け入れられる。

なぜならこのシーンがそもそも良いからだ。

「私たちはあの時、確かに幸せでした」と奥田いろはちゃん演じるクイーン・セレニティは語る。まさに幸福感に満ちていて、本来王子の護衛である四天王、姫のお付きである4戦士たちも、一時の邂逅に淡い恋を感じながら、優しいワルツに身をゆだねていた(舞踏会の様子を現す影の演出も好きだったなぁ……)。

しかしその直後、嫉妬した太陽の邪悪な力によって打ち砕かれてしまうのだ。そしてそれは既に起きたことであり、とっくに失われたもの。

久保史緒里ちゃんが2022年に出演した舞台『桜文』でも、遊郭の吉原随一の遊女、「笑わない花魁」である桜雅おうがにはいったい何があったのか、2部冒頭で無垢だった少女時代が演じられるのだが、これはすでに失われてしまった過去であり、その様子が美しければ美しいほど悲しくて涙してしまった。

このムーン・キャッスルの場面も同様である。信じられないくらいの回数セラミュを観てはいたが、『桜文』を観た後の今でこそ改めて気づいた。「もう戻らない美しい過去」がツボすぎる。バッドエンド症候群的な傾向も自覚があるので、そういうことでもあるのかもしれない。

『You're my universe』を歌ってくれてマジ感動

2018年・2019年に乃木坂46でミュージカル『美少女戦士セーラームーン』をやり、その後新たなキャストで演じられた、劇場版『セーラームーンS』の原作漫画をベースにした『かぐや姫の恋人』、翌年の30周年記念公演での、テーマソングとしてあるのが『You're my universe』である。

乃木坂46版を通してすっかりセラミュにぞっこんになってしまい、翌々年に上演された『かぐや姫の恋人』版も観劇し、そして感激したのだ。キャストも曲も良いことはもちろん、最高傑作のひとつといわれるストーリーは、クライマックスあたりからカーテンコール終わりまでずっと泣き続けてしまったくらい良かった。ルナ……。

今回アレンジが変わっており、原典はオペラロック的な楽器中心のサウンドであったが、今回はトランスMIXみたいになってた。いやいずれにしても「歌ってくれた」という事実が感涙。5人が寄り添うようなオリジナル振り付けもまた最&高であった。

乃木坂46版と乃木坂46版に挟まれた『かぐや姫の恋人』版の重要な一曲であるこれを、変な話、スペシャルライブで歌わないわけないと思ってたけど、本当に歌ってくれたらやはり嬉しいものである。一緒に観た友達の太ももを思わずパン!と叩いてしまったくらいだ。

そして『You're my universe』は、スペシャルライブで歌ったもの、かつ『かぐや姫の恋人』版上演時から配信されていたショートver.の尺(上に貼ったもの)でもめちゃくちゃ良いが、ミュージカル本編で歌われたフルver.で聞くとより良さと意味がわかるのだ。

『かぐや姫の恋人』版はBlue-rayが発売されているほか、U-NEXTでも無料配信されている。オープニングナンバーであり冒頭から聴けるので、ぜひ正しい方法で聴いてそして観てみてほしい。

ということで、速報的な感想を書いたつもりが、ええ……1万3000文字超えてるんですけど……誰が読むねん、て感じのボリュームである。

もしここまで全部読んでくれた人がいたら嬉しくてアイスおごっちゃうので是非お声がけください。

以上。





この記事が参加している募集

明日飲むコーヒーを少し良いやつにしたい。良かったら↓。