お正月メニュー(アニメ映画「聖☆おにいさん」)
お正月、おせち料理は作らなくなってからはやウン年。伊達巻、かまぼこだけを買い、お雑煮だけを作る元日。お正月らしいメニューと言えばこれだけなのです。このメニューが昼、夜と続いて、翌日はもう普通の食事。かまぼこだけでも早く償却しないとと思い、最後はチャーハンにしてたりします。そしてスーパーの蜜を避けるために、早めに買っていたこともありまして、とっとと食べて償却したのも今年ならでは。あっという間に終わったお正月気分なのでした。
日本(立川という街で)の四季(アニメ映画には年越しのエピソードがある)をのんびりと楽しむバカンスを過ごすお二人。しかも仏陀とイエスキリストという聖人。そう、「聖☆おにいさん」です。私はアニメ映画しか鑑賞していないのですけれど、漫画も相当に面白いようで、機会があったら読んでみたいと思うくらい。これ、実写版もありまして、松山ケンイチ氏はデスノートのM(これもはまり役でした)のイメージしかなかったのですけれど、イエスにもなってしまい、どれだけ守備範囲の広い俳優さんなのでしょう?と思ったのです。
そして、手塚治虫氏の「ブッダ」を途中まで読んでいるので、少しだけ仏陀のエピソードも分かるんですけれど、この仏陀は本当、普通に街を歩いてておばあさんの荷物を持ってあげそうな感じのいい人で、親近感が湧くのです。
イエスのイケイケキャラと、仏陀の冷静キャラが相性よくて、仲睦まじく、ほのぼのとしつつも日本文化に戸惑いながら過ごすのでした。隠そうとしてもそこはかとなく漂わせてしまう神様仏様モード。とにかくテンポよく進む物語。立川そうそう、こんな街だよ、こんな人たちが住んでるよ、こんなこと起こるよ、と共感する部分もたくさんありまして、個人的にはとても楽しかった作品なのでした。
大胆不敵なネタと作風に、なぜ不快感が少しも無かったのだろう?と考えてみると、そこに作者のスゴさがあるのかなと。もしかしたらこの作品はあまり宗教を頑なに信じる人口の少ないかもしれない日本だけでウケた?と思いきや、海外の言葉でも翻訳されているようです。そして概ね好意的に受け止められているようです。
それは目に見えない部分としての教義の是非ではなく、目に見える部分としての仏陀やイエスの外観やエピソードを暖かいまなざしでいじったということなのかもしれません。コメディとはときにメッセージが込められることがありますけれど、本作の底流にあるものは「日々の出来事に翻弄されながらも、ありのままの自分でポジティブに生きること」と私は受け止めています。作り手の想像力と思いやり、受け取る側の寛容な心との出会いとが、この作品をヒットに導いたのかもしれません。
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