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駅弁(映画「鬼滅の刃無限列車編」)

(今回もモロネタバレ書いちゃってますので閲覧注意です)。

念願の海を見に息子と一緒に行ってまいりまして、昼食どうしようかという話の中で、食堂もいいけれど、駅弁買って海を見ながら食べよう、ということになりました。私が選んで買ったのは東北福興弁当。いろんな東北名産品をこれでもかという程詰め込んでいて、食べるごとに味変という、なかなかにエクストリームな東北一周を脳内で展開できるお弁当でございました。

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駅弁ってどうして、旅の途中で食べると美味しいんでしょう。そもそもお値段もスーパーで買うお弁当よりも高めなんですが、やっぱりどこか旅情を感じるモチーフの立ち位置として、駅弁があるのでしょう。なぜかスーパーで売っている駅弁を、自宅で食べようというのは、よほどでなければ思いつきません。

お弁当を大声で「うまい!」「うまい!」と何箱も平らげる人と言ったらもう、あの人しかいらっしゃいません。そう、煉獄恭次郎でございます。火柱として、鬼を退治する鬼滅隊の最高位にいる柱の一人。その前のテレビシリーズはアマプラで見てたんですが、この無限列車の映画版は、テレビ放映でやっと見ることが出来ました。

超ヒット作の「鬼滅の刃」漫画は読んでおりませんけれど、もう完結しています。私はというと、アニメ版のあまりの完成度の高さに、漫画は読まず、アニメ版をのろのろ見てゆこうと思っています。最初テレビ版を見ていて、これ本当に地上波無料で見られるの?と思いました。音楽、作画、話と、どれを取ってもすさまじい。そういえば最近のアニメって、あたりはずれがとても大きくて、作画が綺麗でも話がダメダメとか。話がよくても作画が残念とか。

少し前、「Vivy -Fluorite Eye's Song-」を見て、あれもすさまじかった。話の運びでショッキングな展開が次々に来るんですが、作画もまた遠慮なくショッキング。それなのにどうしてこんなに絵が綺麗なんだろかという。

話を元に戻しますと、伊之助が急にカッコ良くて強くなってしまい、我妻善逸はもう少し活躍してほしかったんですけれど、彼は寝ているときにしか強くならないので、仕方なかったのかもしれません。竈門禰豆子ちゃんもかろうじてご活躍。やっぱり炭治郎の話がメインでした。

少しひっかかったのは、これまで登場してきた鬼は絶命寸前に人間であったころの思い出が蘇るのですけれど、魘夢(えんむ)という下弦の鬼の生き残りには、このシーンがありませんでした。最期まで鬼としての挫折感を味わいながら、こと切れてゆきます。この鬼はもうなにか一線越えて、突き抜けちゃったんでしょうか。

そして次に出てきた上弦の鬼、猗窩座(あかざ)は、命からがら逃げるんですが、煉獄恭次郎が死線を彷徨う状況でも、鬼になれスカウトを続け、彼を最後まで気に入っていたという、これまでにない展開でした。煉獄恭次郎がナニを考えて生きてきたのか、今ナニを考えているのかを敢えて語らせる、脇役のような存在になってしまい。

とどめに、最後も本当にカッコ悪い引き際でした(炭治郎からは「にげるなあああ」と叫ばれる塩対応)。登場シーンはぞくぞくするようなカッコよさでしたのに。

煉獄恭次郎の語録の中でも一番拡散されたんじゃないかという「心を燃やせ」。いろんなところでパロディっぽく使われしまい、すたれちゃった感があるんですけれど、この映画を見終えてこのひと言に再度、向き合うと、本当に煉獄恭次郎が言い遺したかった、言葉の意味が分かるのだろうと思います。

この作品では人の心の弱みにつけこむ、そしてつけこまれた結果鬼(となった元人間)と、限られた命の中で精一杯分を尽くして生きる人間との対峙が延々と繰り広げられてゆきます。

煉獄恭次郎がお母さんに諭された「力あるものは、弱い人のためにその力を使え」これが決して、力を持っていても、心も強く維持することが、たやすくないことを意味しているのだと、私は思うのです。

(漫画全巻kindle版)

(アニメ・テレビシリーズ立志編)

(無限列車ブルーレイ)




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