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山口周「ニュータイプの時代」を読む

本著では、大企業で(与えられた)課題を解決することで昇進していくようなビジネスマンを「オールドタイプ」、一方で解く価値のある問題を自分で定義ししなやかに働く人を「ニュータイプ」と位置付け、彼らの思考法や行動様式を対比している。

この中で述べられている、現代の社会ではモノで解決できるような問題はもはや枯渇しており、むしろ問題そのものを定義する力の方が必要だとする主張には概ね同意である。私は広告の仕事をしているが、自分が関わっている仕事の中で、本当に売るべきモノがどれだけあるかと言われれば疑問だ。
確かに「より体に良い飲料、食品」「より便利な家電」などは市場が欲しているかもしれないが、「そもそも飲料で解決しなければいけない課題か?」「家電側で解決すべきなのか?」と問われれば疑問だ。「そもそも商品で解決すべきなのか?」を問いだすと、今発売されるような商品のほとんどは必要ないものだろう。

しかし、本著を読んでいて課題として残る点が大きく2つあると思う。

1つは、本著が支持している「意味がある」の領域。「意味がある」の例としてランボルギーニ、コムデギャルソン、マルニ木工などの例が出てくるが、このような高価な「意味のある」ものを買い支えているのは富裕層、多くの場合は資本主義における成功者である。これらが高価である以上、「意味のある」を手に入れるためには一定の富が必要となってしまい、一定の富を得るためには「いわゆる大企業」にいた方が安心となってしまう。「意味のある」は、むしろこういったブランドではなく「家の前で花を育てる心の余裕」「モノではなく寄付という形で社会に貢献すること」などモノの所有ではない方向へと転換していく必要があると思う。

もう1つは、多くの人が「よりよい社会の実現のために働きたい」と願ったとしても、本質的に大事な仕事は相対的に給料が低い(低すぎる)という問題がある。例えば、保育や教育などは誰がどう見ても大事な領域だと思うが、ニュースでも取り上げられているように、保育士は極端に給料が低かったり、公立学校の先生は多忙すぎて時給換算すると時給数百円で働いている状態である。こういった領域には税金を投入して給料を上げていくことで、「給料が低すぎて仕事の選択肢に入らない」といった構図を変えていくべきなのではないかと思う。

本著の問題提起はそれなりに大事ではあるものの、「教養のある人の方が給料が高い仕事についている」「マルニ木工はAppleに認められて売れた」のような、従来型の成功を「成功」と見ている節が多々ある。むしろ大事なのは「成功」のイメージのアップデートであり、そのための教育のアップデートなのではないかと個人的には考えている。

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