春野秋桜
名言と名シーンのまとめになります。 自分のツイッターの定期投稿から引っ張ってきてたりします。
天狼院書店の「ライティン・ゼミ」参加者の書かれた 『口を開けて待っていても誰もごちそうを口までは運んではくれない』 という記事(https://tenro-in.com/mediagp/135356/)を読んで、 「自然界」と「人間界」の違いについて思ったことを簡単に書いてみた。 「自然界」(例:鳥) ・巣の中で口を開けていれば親がエサを運んでくれる ・木の上の巣から落ちてしまったらほぼ生き残ることは不可能 (イヌワシなんかは2羽の雛のうち先に生まれた方が後から生まれた雛
「好きなのに嫌い、楽しいのにうっとおしい。 そういうまどろっこしさが、人との関わりが、私が生きてるって証明だと思う」 山内桜良/『君の膵臓をたべたい』/住野 よる
鴉の落とし物
「ありがとう」 日本人として生まれて育ってきて、一番好きな言葉 ありがとう、ごめんなさいを言える人になれと、母に言われた 泣き虫でもいい、誰かのために泣ける君が好きだと大切な人に言われた 「ごめんね」よりも「ありがとう」と思わせてくれる人が、誰かの心を救う その誰かはあなたの中のあなた自身でもあると私は思う 鏡の中の自分にありがとう (生まれてから今日まで生きてこられたね、えらいよ) 胸に手を当て、今まで24時間無休で動き続けてくれた心臓にありがとう (君ほ
自称老人の自分語り 自分は私立の中高一貫校(それもかなり過保護)のビニール栽培のような 環境で育った。 バイトは禁止だし、登下校中の寄り道も禁止(定期券内に秋葉原という オタクの聖地があるにも関わらず平日は一切立ち寄らなかった) 男女の交際は自由だが、朝帰り等のいわゆる「そういう行為」を疑われる ようなことをすれば即座に問題にされ自主退学を迫られるような、 そんな学校だった。 外部から見たらとても素晴らしい学校だったのだろう、私もそう思う。 大学生になって、地方から上京し
自分の恩師、先生、先輩、恋人(?)、親友である人からの言葉 私は君が思うような素晴らしい人間じゃない 君が私をどう思ってるかはわからないけど 「似ている」体験、 同じ「ような」ものを見たり、食べたり、聴いたり、読んだりしても どう感じて、何を思うのかは君と私ではまるで違う 似たような境遇で生まれ育ったとしても、完全に同じ存在になることは できないし、お互いを理解することはできないの 「理解できない」からこそ「理解しようとする」ことが大切なの 私は優しくないからこそ、優
生きとし生けるものすべては 生まれてから、死ぬ 生まれてから、成長し、老いて、死ぬ 大切なのは ゴールではなく歩んできた道 どれだけ長く生きたかではなくどれだけ濃い時間を生きたか どう生きるか、どう死ぬか、他の誰の意思にも依らず 自分で決めたい
喜怒哀楽 人間の感情をおおまかに表すと4つ 感情は人間が進化する前の野生の哺乳動物だったころからの生存本能、 生存するための有効手段から派生したものだと脳科学の本で読んだ 死の危険を感じた際は恐怖が沸き、今後似たような経験をした場合すぐに 逃げられるように記憶する 餌を見つけた際は、次回も見つけられやすいように喜びや安堵という感情 とともに記憶する 人間の感情は理性や本能、社会の中の複雑な人間関係などさまざまな要因 があり、原因を特定するのが難しい 自分がある感情
「目に見えるものが真実とは限らない」←コンフィデンスマンシリーズの メインテーマ 「本物も偽物もない、信じればそれが真実」←テーマに対する一つの答え(正解とは限らない) 世の中には 「○○しなければならない」 「○○すべきだ」 「○○ってこういう仕事」 「○○に来る人はこういう人たち」 とされている常識や暗黙の了解、差別意識のようなものがあふれている 例に出すのも申し訳ないのだが 撮り鉄=他人に迷惑かけてまで写真を撮りたがる厄介集団 ドルオタ=幼女性愛をこじらせた犯罪者予
「好きの反対は無関心」はノーベル賞受賞者のマザー・テレサが言ったとされている しかし彼女が言った言葉は 「愛の反対は無関心」 そしてこの言葉の元ネタは ユダヤ人作家でノーベル賞受賞者のエリ・ヴィーゼルの 「愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。」 愛は人に命や夢を与える 憎しみは人から命や夢を奪う 自分の今までの行動を省みて 周りの人を愛せているか その人のために行っている行動が他者を傷つけ 愛している人を悲しませ 自分を苦しめていないか よく考えて
絵の具は混ざれば混ざるほどどす黒くなる 光は混ざれば透明になる 現在地球ではLGBTという枠組みでの考え方がアメリカ主導で世界に広まりつつある 万物に魂が宿るという日本の土着思想の側からみると、人間だけに限定するのも違和感がある また、LGBT(Qだのなんだの)といって限定するのも違和感がある 「生物学上は男性、自己認識は女性の個人が、生物学上の女性、自己認識が男性の個人を好き」 一見すると女の振りした男が、男らしくて強い女性と結ばれたいだけのようにも見えるが、結局の
国語力 その国の言語を正しく理解し使える能力 「作者は何を言いたいのか」「登場人物は何を考えているのか」 こういったことを考え、理解できる能力がない人は現実世界で相手の考えていることを理解できず、「自分の中の勝手な解釈」を押し付け、他人に迷惑をかけるいわゆる「コミュニケーション障碍者」となる。 「コミュ障」は決して人見知りがちな人や、吃音などの障碍を持った人のことを指すわけではなく、「空気の読めない人」「KY」、さらに他人を不愉快にする人のことを呼ぶのだと私は思う。 コミ