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育児で考えること
今朝も送ってきました。保育園へ、愛する子供たちを。
駐輪場に自転車を置き、子供たちの」ヘルメットを外していると、後ろから私と同じ状況のお母さんがやってきて、私の隣に自転車を停めました。
私は挨拶をします。
私 「おはようございます」(目を見て、にっこりも忘れずに。)
娘 (私につられるように)「おはよございまーちゅ」(さ行が弱い)
お母さん「おはようございます」
と、ここまでは良かった。私の娘の挨拶が聞こえたかどうかはわからないけれど、お母さんは素早い動きで子供たちを降ろすと即座に怒りモードになられて…
お母さん「(息子さんに対して)何でおはようございますの一言も言えないの!?あいさつができないなんてありえないよ。今度おはようございますがいえなかったら×××だからねっ!」
息子「…」
という激しい言葉をぼんやりと駐輪場から見送るという時間がありました。
割と、こういうコミュニケーション、多いですよね。
もし〇〇だったら××だよ!
仮定法というやつです。
英語の勉強で、仮定法を使う時は敬意ある距離感を保つときに使えるなんて習いましたけど、ここでの仮定法はちょいといただけないなあ…と元教師目線で捉えてしまい、朝から残念な気持ちになりました。
実は、身近なところでもそんな言葉が子供に突き刺さる状況が続いて、今回の記事にしたいという欲求が生まれたので行動に移したところです。
例えば「大人の求めることを聞いてくれないならば、私もあなたの言うことや求めることには一切応じないよ」と子供に伝えて言葉を通そうとする。
子供は、大人を頼る以外に生きられない。その時点でフェアではない。全権を握っていながら、あなたの言うことを聞いて(やって)いるのだからあなたも聞くことが「対等な関係」みたいなフリをしているところに、どうしても気持ち悪さを感じてしまいます。
また、
「人にやさしい行動ができないのならば、あなたには優しくされるほどの価値はない」
子供に対して理由はどうあれ、仮定法であったとはいえ、「価値がない」という言葉を発するのは、私にとって怒りの感情が沸き上がるほどの、受け入れ難い言葉でした。
ついつい子供への言葉掛けが気になってしまう職業だったこともあってか、本当に多くのキツイ言葉に出くわします。
日々忙しいのはわかるし、仕事に育児に家庭内でのことなど、きっと大変なのだと思います。それでも、愛するわが子にそんなストレスをぶつけてしまうことは、いずれご自身に返ってきます。
最悪だけど、大人には子供に当たるということができる。立場が強いし。
でも、子供には自分だけで生きるという選択肢がない。
そして、何だか不機嫌な親からの攻撃的な言葉というのを敏感に感じ取っている。意味がわからない年齢であったとしても、察知している。
〇〇なくせに
もし次に〇〇したら夕飯はなしだよ
一方的に要求を伝えておいて「約束は守ろうよ」
何でこんなこともできないの。〇〇ちゃんはできているのに。
嘘つき
何気ない言葉のようだけれど、上に書いたような言葉に僕自身はとても嫌な気持ちになっていきます。
リフレーミングやらアンガーマネージメントやら、育児関係のことを学んで、何とかストレスを子供たちにぶちまけるようなことだけは避けられる親になりたいと常々思っています。
最後に、友人が教えてくれた広島の「ばっちゃん」の奮闘を紹介した番組のリンクを貼っておこうと思います。
愛こそすべて。
簡単に人には伝わらないし、一方通行のまま終わることがほとんどかもしれない。
それでも、集合住宅の一室でご飯を作って君を待っているよ。
そんな愛にあふれる番組でした。
お時間が許すようでしたらぜひ。
2017/01/07 NHKスペシャル「ばっちゃん~子どもたちが立ち直る居場所~」
Posted by 親が育てられない子どもを家庭に!里親連絡会 on Sunday, January 8, 2017
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