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アウトプットする意味: noteの自分なりの使い方

noteにおいて、閲覧数を増やしたければ、書くトピックを精選すべき。

どこのSNSでもブログでも、一番人気は自己啓発な記事。

ハウツーものベストセラーがずらりと並ぶ、本屋さんの店頭と同じ。

誰にでも役立ちそうな、深くなくて浅い内容のものが売れる。ネットではそんなのがよく読まれる。

https://all-special-life.com/?p=32066 

「継続は力なり」
「習慣力が大事」
「伝え方が大事、内容が良くても、伝え方が下手だと伝わらない」

など、ためになることを書くと、閲覧数は伸びる。

楽器を練習するにも、週末にだけまとめて数時間続けてやるよりも、毎日十五分ほど楽器で基本をさらう方がいい。少しでも毎日やっていると下手にならないし、むしろ上達する。

習慣の力。語学も筋トレも同じ。

こういった、いわば当たり前のことばかりだけど、こういう当たり前のことをなかなか実践したりできないのが人のさがだから、確かに何度も書いてくれて思い出させてくれるのはありがたいかも。

またはお金儲けの話。

ブログを金銭化するにはどうすればよいか、売れる記事の特徴とか、そんなことばかり書かれている人もいますよね。

恋愛や健康なども大人気。

または食べ物の話。美味しいカフェの話とか、チーズケーキを上手に作る秘訣とか。

そんなものが一般受けする。

YouTubeの再生回数にも、こうした法則は当てはまる。

フォロワー千人なんて方は、書く前から何を書くかで、どれだけ読まれるかわかると書かれていました。まあそうですよね。

上級者英語に至る英語発音矯正の話を書いても、おそらくNote読者の大多数である、実践英語初学者にはピンとこない。

記事を不特定多数の人に読んでもらうには、もっと読み手が誰であるかをマーケティングしてから、彼らにもっとも喜んでもらえるレベルの内容を書くべき。

マーケティングでは買ってくれる可能性のある人だけ相手にする。

高級家具なんて、世のほとんどの人にはどうでもいい。でも欲しがる人はそれに夢中で、うまくやると必ず買ってくれる。

誰のために書いてるのか、意識しておくべきですよね。

それでも自分の書きたいことについて書く

個人的な趣味の領域の音楽の話など、専門的であればあるほど読まれない。

物を売るのと同じで、100人の顧客になりそうな人がいても、100人全てにアピールできるような商品は少ないし、買う気のない人を相手にしていても時間の無駄。

健康的生活のススメや自己啓発本は売れる。子供の教育も、子を持つ親の最大の関心事。

でもお金儲けのために書いてばかりでは退屈ですね。

だから自分の好きなことを書きたい。

一般受けしないニッチなトピックでも、大勢の中には、必ずどこかに特殊な興味を共有してくれる人たちもいる。

例えば音楽。

でも読書と同じで、いろんな音楽ジャンルがある。

音楽を嫌いな人は少ないと思うけれども、ジャンルの違いを語れるだけの高度な音楽理解を持つ人は非常に限られている。

100人のうちの30人がある程度の音楽理解力を持つ音楽好きな人だとすると、その30人の人の心をつかむような記事を書くべき。

純文学や古典もそんなもの。本のことを書くならば、書くべき対象の本を厳選するべき。

全ての人を相手にしていてはいけない。

特定の人たちのために書かないと。

でもその30人のうちでも、きっとクラシック音楽などに限定すると、読んでくれる人はますます限られてくる。

ベートーヴェンやシェイクスピアの話を専門的に映える立派な文章で書いても、YOASOBIや村上春樹の話題ほどには読まれることはあり得ない。

売るための文章、読まれるための文章を書くことは大変。でもターゲットを定めてみると書くべきことが見えてくる。

全ての人のために書かない=自分の語る内容を共感してくれる人をいつだって念頭に入れて書く

これが大事。

閲覧数を増やしたいならば、上記のようにトピックを厳選するべきだけど、個人的には本当に自分が書きたいもののために書いていたい。

自分の書いた好きなことを理解して共感してくれる人とつながりあいたい。

だから書く。

でも独りよがりになってしまう誘惑に駆られることもある。

だから、読んでくれる人とコミュニケーションするように書く。

語りかけよう。

きっと同じ思いを感じてくれる人がいる。

うまく誰かのことを思いながら書けると、閲覧数は後から勝手についてくる。

と言っても、クラシック音楽や古典を語っても、限られた数しか増えないけど、そういう10や20は、不特定多数のその他大勢ではない、自分に近い人たち。

友達になれるかもしれない、同じ思いを共有できる人かもしれない。

アウトプットとインプット

自分はNoteに何か書いて金銭的な利益は一切受け取っていない。有料記事にはしないし、趣味や娯楽で書いているといえる。

でも自分にとっての趣味は、ただ単なる暇つぶしではない。

文学や音楽は、自分には仕事と同じくらいに大事な人生の目的。文学や音楽を極めてみたい、調べて新しい知識を得ること作り出すこと以上に楽しいことはあまりない。

だから本を読めば(インプット)読んだ内容をより理解できるように必ずどこかに読んで感銘を受けたことなどを書いておく(アウトプット)。

読書はアウトプットしないと完結しない。

読むにしても何かを意識しながら読むことで読んだ本から得られる体験は変わる。

世界名作劇場というアニメシリーズを見て、大人の視点から、子供たちの世界を見る。

子供の頃に見た情景とは全く別のものが見えて来る。そして自分が学んだことをシェアすることで、自分の体験や新しく得た知識は自分自身のものになる。

人は自分の読んだ本の感想を語りたいし、動画や映画の感想を論じたい。

自慢したがりなのではなく、自分自身のために語りたいのだ。そして誰かに共感してもらえると最高に嬉しい。

自分の好きなことについて語ることほど愉しいことはない。

岩明均「ヒストリエ」

名作漫画「ヒストリエ」のこの場面を座右に置いている。知識とは何かを自分に思い出させるためにこのシーンを時々読む。

ギリシア人として育てられたエウメネスは異文化の村で語り部として認められる。
本を読むことを無常の喜びとした彼は自分の知識を村人に語る。
誰かに語ることで他人だった知識は「身内」になる。
インプットされた知識は、アウトプットされないと、自分自身の血肉とは決してなり得ないのだ。だから語らないといけないし、書かないといけない。

シェアすることで、誰かに自分の学びを拡散できる。

でも語ることは、本当は自分のため。

noteは自分にはアウトプットのための道具。

そして読んでくれる人に理解されるように自分自身の言葉で書く。

こうすることで、自分の記憶をさらに印象深く自分の中に留めておくことができるようになる。外から得た知識と知恵は語ることで自分自身の一部となる。

だから我々は語り続ける。

語ることでスキを押してもらえて時々コメントさえもいただける。

だから毎日noteしています。

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