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アニメになった児童文学から見えてくる世界<8>:自閉症という子供の個性

世界名作劇場という三十年以上に渡り作られた、世界の名作児童文学を題材にして作られたアニメシリーズにはいろんな種類の子供たちが登場します。

大抵は成功する孤児なためなのか、非常に聡明な子ばかりですが、時には一風変わった子供も登場いたします。

わたしはインターネットを通じて、子供の頃に見た、または見たいと思っていても見られなかった昭和のアニメを余暇に鑑賞していて、そんなアニメから学んだ知見を積極的に書いています。

書いていることは、懐かしさよりも、子供の頃に見たくても見れなかったもののこと、そして以前だったら分からなかったこと。

わたしは人生の半分をほぼ生きた、昭和生まれの人ですが、これからの後半性をどう生きてゆくべきかを考えています。よく人は第二の人生において、前半生でできなかったことを実現することを求めるのだとよく耳にします。

わたし自身もそうですね。

子供の頃に憧れたピアノを成人してから弾き始めて20年ほどで、大抵の楽譜に書かれた音符はさらえるようになりました。かつて読みたかった本も大分読めました。

若かった日々にこれをしたかったというものを後半生に人は求めるものらしいです。

昭和や平成初期の子供のための世界名作劇場などというアニメに今自分が夢中なのも、そうした自己実現の一環なのでしょうか。

さて本題ですが、わたしも子供の頃は少し変わった子供でした。

そして、自分にどこかよく似た子供を「南の虹のルーシー」という1982年放映の作品に見つけたのです。
主人公のルーシー=メイ・ポップルのことです。

世界自閉症啓発の日

毎年4月2日はInternational Autism Awareness Dayなのだそうです。
過去には、世界中でいろんな場所の特別なモニュメントは青い光に照らされました。青は自閉症の色だとされています。

ニューヨーク
シドニー
エジプトのピラミッドとスフィンクスも

日本でも祝われていて、東京タワーや大阪城などは特別な癒しと希望の青い光に包まれたのでした。今年もきっと再現されるはずなので、ご近所の方には見ていただきたいですね。

でもこうした催しが大っぴらに祝われるようになったのも、ついこの間からのこと。今年で十二回目の開催になるのだそうです。

ASDという言葉が認知されるようになったのも、超天才的な能力を持つサヴァン症という映画レインマンで有名になったような特殊な自閉症ではなく、知的障害が見られないタイプの自閉症が社会的にもようやく理解されようとしています。

しかしながら、アスペルガーやADHDや発達凸凹という意味をまだ世のほとんどの人は理解していないものです。

病気だと思っている人も少なくはありません。先天的な脳の構造の違いのために治療などは出来ませんし、その個性的な思考回路ゆえに通常発達する人には絶対にできないようなことを考え出したりもする可能性を秘めてもいるのです。

昔は発達障害という脳に偏りを持つ人を変な人として社会的不適合者と看做す風潮もありましたが、どうしてなのかは理解されないできました。

そこで昭和の昔の世界名作劇場の一つを見直すことで、ある個性的な発達凸凹らしい子供を見つけたのです。それがルーシーでした。昭和の終わりに、まだほとんどの人がアスペルガーとか高機能自閉症何て言葉が世界に存在することさえ知らなかった時代に描かれたアニメ。

動物好きのルーシー

自閉症はスペクトラムと言われて虹色の極相のように、いろんなタイプがありますが、特徴の一つに強いこだわりを持つというものがあります。

そして人と心を通じ合わせることが苦手なことがほとんどで、だからこそ犬や猫が大好き、動物を心から愛するということが良くあるのです(社会的能力は訓練すれば身に付きます)。

コアラを飼いたいルーシー

ルーシーは世界名作劇場の登場人物の中で誰よりも動物が好き。

オーストラリアで出会う、コアラやディンゴやオオトカゲなど、ありとあらゆる動物に愛を注ぎます。劇中であらゆる動物を飼ってみたいとさえ語ります。小さな彼女は人間の友達を欲しいとは思いません。

いつも二つ年上のお姉ちゃんのケイトと一緒なので友達なんていなくてもいいし、学校にも行きたがりません。算数も苦手。でも誰よりも動物を愛する女の子。

今ならば動物を人間の友達よりも好きな少し何事にも強いこだわりを持つ子と呼ばれるのでしょうが。

物語中盤である印象的なエピソードがありました。

オーストラリアに農場を持ちたいとイギリスから移住してきた家族の新天地での生活は思うようにゆかず、オーストラリア最初の家はとても小さなあばら家でしたが、その家の土地のちにお金持ちに買い取られ、家を壊してしまうために家は故意に燃やされてしまいます。

思い出深い隣家が燃え上がる悲惨な情景に姉のケイトは言葉を失いますが、妹のルーシーは炎を見てこう呟くのです。

なんて綺麗なんだろう

ケイトはすぐに妹の不謹慎な言葉を嗜めますが、こういう発想は通常発達と呼ばれる社会的に大多数として存在する人の口からは聞けないものです。

天然で不思議ちゃんだからとか、今ではそういう言葉もありますが、こういう子供の個性が1980年代のアニメに描かれていることに驚きました。もちろん「南の虹のルーシー」は世界名作劇場の一つの真面目な作品。作品はルーシーという非常に強いこだわりを持つ少女像を描き出すためにこういうエピソードを入れたのでしょう。

他にもいろいろとルーシーのユニークな一面を描き出すエピソードもありますが、社会的に大多数と同じ考え方を持つ常識的な姉のケイトといつもともに過ごしているからこそ、ルーシーのユニークさは際立ちます。

自閉症とは何かを知らないで見るならば、この姉妹のやりとりはルーシーの天然ボケとケイトの鋭いツッコミのようなお笑い漫才のようなものにも見えないでもないですが、やはりルーシーは特別な思考を持っている子なのだと思います。

家族という社会の中で

世界名作劇場の他の大部分の主人公とは異なり、ルーシーにはいつも周りには大きな家族がいます。ルーシーは護られている。だからこそこんな個性でもやってゆけているのではとも思えます。

超優秀なペリーヌのように孤児になったり、強い意志のマルコのように一人旅はできそうにないルーシー。でもだからこそ、誰かと生きてゆくことの大切さを思い出させてくれます。

前世紀の二十世紀とは違い、現代は小さな家族の時代。家族がいないとルーシーのような子は社会を学べません。姉妹がいないと愛情を知ることもできないかも知れません。

ASDや発達凸凹という言葉が知られるようになって、そういう個性の子は社会的に認知されても、彼らに親身になって人生の生き方を教えてくれる人はどれだけいるのでしょうか。

ルーシーの家族のポップル一家。
キャラクターデザインの関修一氏による素敵なイラスト

大きな家族がいれば、社会参加を苦手とするASDな人も自然と生きる上で必要な社交性を身につけることができるのかも知れません。

ルーシーはしばしば大きな声を出します。感情が高まるとどうしてもこうなるのです。これもASD的ですね。でも家族の中では、こういうことはよくないとも学びます。

少し変わった子。
変わった人。
あなたの周りにもいませんか。

どうしてなんだろうと考えてみるのもいいかもしれません。そして少しばかりでも脳に偏りのある人たちへの理解を深めていただけたらなと思います。

この投稿を執筆している本日は4月2日なのです。ですので世界自閉症啓蒙デーに寄せて書きました。良い週末をお過ごし下さいね。

ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。