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リーダーシップとフォロワーシップ:言葉の力を信じるホモサピ

遅ればせながら、イスラエル国へブル大学のハラリ教授が2014年に出版した世界的ベストセラー「Sapiens(邦題はサピエンス全史)」の英語原作版を読んでいます。

まだすべて読み終えていませんが、人類史を新たな視点から読み解くというハラリ教授のストーリーテリングは非常に興味深い。

知っていたことも英語で読むことで、この言葉どうやって発音するのだろうとか、辞書で発音を逐一調べながら読んでいます。

長年の習慣のために英文の意味はほぼ問題なくわかりますが、日本語の知識で学んだ単語でも英語で出会うと全く別のものに思えることもあります。

その昔、「ネアンデルタール人」という言葉の英単語、Neanderthalが発音できなくて困りました。なかなか難しい。

ドイツ・北ライン=ヴェストファリア州の大都市デュッセルドルフ近くのネアンダー(ネアンデル)にある谷、ここがネアンダタール人の命名の発祥の地。ホモ・サピエンスとは違ったタイプの人類の骨がこの谷の中の洞窟で見つかったためにこの名がつきました。

ドイツ語 Das Tal が英語のValley。

ネアンダーのタールなので「ネアンデルタール」。ネアンデル谷とも呼ばれます。ネアンデルタール人とはネアンデル谷人!

ネアンデルタール、日本語のカタカナではこれでいいのですが、ドイツ語の音を英語読みするとローマ字的には読めないので、ややこしい。

ドイツ語ならそのままローマ字読みでアンデルタール。アクセントは最初の音節。複数ならアンデルターラー・Die Neandertaler。

しかしですね、英語発音は奇々怪々。アクセントの位置はいろいろ変わる。

この場合は二つ目の音節。でもなぜか、Neandetalというドイツ語綴りはNeanderthalというように、余分なHを得て、日本人の苦手な舌を突き出して発声するTHの音が含まれるようになります。

無理やりカタカタで書くとこんな感じ(笑)。

「二ンダァサー」または「二ンダァソー」または「二ンダァター」
発音記号では、niˈæn dərˌθɔl またはniˈændərˌtɑːl

さて、ユヴァル・ノア・ハラリ教授 (1976-) の「サピエンス」は、ホモ・サピエンスという我々現生人類がいかにして同族のほかの種類の人類と袂を分かち、生き残ったかを論じて、その後のホモサピの歴史を論じるわけです。

冒頭数章は、まさにホモサピとネアンデルタールとの違いについて。

この二つの近親種は少なくとも数万年は地球上、同じ時代に共存して暮らしていたのですが、ホモサピが勢力を拡大してゆくことでネアンデルタールは姿を消しました。

この二つの人類が交雑したことはDNA分析によって判明していて、発見者は昨年暮れにノーベル医学省を受賞しました。

ドイツのスバンテ・ペーボ博士
古代人の遺骨からDNAを取り出して解析
ゲノムはホモサピとネアンデルタールは間違いなく交雑してきたことを証明しました
白人圭コーカソイドばかりか、日本人を含めたモンゴロイドにもネアンデルタールのゲノムは含まれているのです
人類の多様性はデニソワ人やネアンデルタール人の遺伝子ゆえだと示唆されています。

おそらくネアンデルタールは我々の祖先らによって殺戮されたと考えられています。

人類による史上最初の大量虐殺。ホモサピは民族浄化と訳されるジェノサイドをおそらく考案したと考えられています。

ネアンデルタールには逆にジェノサイドなどという大掛かりで遠大な計画を組織的に実行することは不可能であったろうというのが、ハラリ教授の推論。

ホモサピとネアンデルタール
頭蓋骨の形態の違いから脳の発達パターンを推測すると、ネアンデルタール人は相続力を司る脳の箇所があまり発達していなかったと判明

民族浄化のような大規模な行動を一斉に行わせるには、ネアンデルタールは敵であるから排除しなければならないという考え方を仲間のうちで共有して浸透させないといけない。

それができたのが我々の祖先のホモサピなのです。

「サピエンス」におけるネアンデルタール人

「サピエンス」においては発掘された後頭部の細長いネアンデルタールの頭骨の特徴からおそらく抽象的思考は苦手であっただろうという仮説が紹介されています。

残された洞窟壁画から、狩猟した動物たちを象徴的に表現するなど新人類クロマニョン人に通じる思考をしたと判断されています。

ですが遺跡からは巨大な集落を作り出したりするために必要な神話だとか普遍的な法律などの部族を超えて通じ合うような思想のようなものは考え出せなかったというのが、「サピエンス」の語るネアンデルタール人。

「サピエンス」はホモ・サピエンスは神話などのフィクションを考え出して、それを伝え合い、共有するという能力に優れていて、この力において、ホモサピはネアンデルタール人よりも肉体的に劣っても彼らを征服できたと語ります。

ホモサピの武器は抽象思考を信じて多くの人に伝達する力。

つまり、太陽は神様であるとか、森には精霊が満ちているだとかを考え出して、皆で信じる力。そうした力がある偉大な個人に宿っていると信じさせるなどの力。

フィクションとは言葉の力。

ネアンデルタールは言葉を話したはずですが、物語を作り出す能力は未発達だったため、お互いに人見知りになれる以上の集団は作り得なかったというのです。

ネアンデルタールは言葉を使って想像力を駆使することにおいて劣っていた。

だからネアンデルタールの集団は小規模でした。彼らの遺構からは大規模な集落を作り出していたとは考えられていません。

しかしホモサピは、神がこの時に何かをしないと怒り出すというような思想を何万人という数の人と共有出来た。目に見えない想像の世界のことを信じる能力を持ち得たというのがハラリ教授の仮説。

現在の多くの人類学者たちはネアンデルタール人はフィクションを作り出す能力と信じる能力に乏しかったという点で一致しています。

つまり、いわゆる社会性を発達させるのが苦手で、社会性に乏しい人たちであったということです。

どこか我々ホモサピの自閉症な人たちと通じ合える特徴を色濃く持っていたのがネアンデルタール人でした。芸術家気質と言い換えてもいいかもしれません。ネアンデルタール人は道具を作り出したり絵を描ける偉大なアーティストだったらしいことが遺跡発掘調査から判明しています。

ホモサピをネアンデルタール人から隔てて、そしてホモサピをホモサピたらしめている能力は、言葉を駆使して大勢の人を導くリーダーの存在。

これですね。

これがハラリ教授の「サピエンス」という大著の大まかな趣旨です(まだ読み終えていませんが、農業革命などもフィクションを作り出す能力ゆえの産物です)。

フィクションの力によって人類史は作られてきたというわけです。

防大漫画のリーダーシップ論

「サピエンス」を解説することは本稿の趣旨ではありません。

そこでですが、自衛隊士官学校である防衛大学の学生たちの物語を漫画で読みました。

以下の漫画では士官の卵たちがリーダーシップを学んでゆく過程でいろんなリーダーシップ論が実践されてゆきます。

ですが、読みながら、この漫画のリーダシップ論は「サピエンス」の語るホモサピの本質を語っていると感心しました。おかげで大変におもしろく読めたのでした。

フィクションを信じるホモサピを導くには?

「サピエンス」で語られた言葉を信じるホモサピという現生人類を導くリーダーとはいかに作られるか。それが問題です。

我々ホモサピが言葉によって語られる思想が好きだとしても、上手に語らないと信じてついてゆく人の数は限られたものです。誰もが上手にフィクションを語れるわけではない。誰もが民衆を導くデマゴーグにはなれない。

人を導く言葉は学ばれないといけない。かつてはある宗教的指導者によって人々は導かれたことでしょう。

政治家は、言葉によって人々を共通の理念を信じさせて共同体を導き、または共同体の多数を魅了洗脳してしまいます。

現代ではそうした成功した過去の偉大なリーダーシップは分析されています。

リーダーシップ論は山ほど語られていて、ホモサピを導くリーダーシップは、学問としても学ぶことができるのです。

「あおざくら防衛大学校物語」は、未来のリーダーの作り方の教科書のような良書です。あなたがリーダーを目指されるならば必読。またリーダーに導かれる立場にあるのならばいかなるものが良いリーダーシップなのかを知ることでフォローシップという考え方も学べます。

あなたがリーダーでリーダーであることに苦しまれているならば、やはりよい読書になりますよ。

日本国という近代国家=フィクション

国のような大きな組織を作り上げたとしましょう。次にやるべきことは国を維持してゆくための物語。それがフィクションであり、必要なのは国を支えるための共通の信念。

日本国という国を外敵より守るというフィクション。それを信仰の如くに信じてその理念を実現させるリーダーシップとフォロワーシップを学んでいるのが防衛大学生たち。

理想ヴィジョンを語り、物語を信じさせるリーダーたちの卵。自分で実践して見せて自分について来いというリーダーがいて、組織に最大限の力を出させるために前線で戦う兵隊のために後方支援に全力を捧げるリーダーがいる。

やり方はどうであれ、どんなリーダーのタイプもある信念、

近代国家という国を守る

という物語=フィクションのために滅私奉公しているのです。

防大生たちはまさに、ハラリ教授の言うところのホモサピの教科書的なモデルなのです。

馬鹿にしているのではありません。まさに彼らこそがホモサピの真の理想像。言いかえると、彼らほどに人間=ホモサピらしい人たちはいない。

というわけで、言葉を信じることを特徴とする我らがホモサピたちのための有益なリーダー論、これが「あおざくら防衛大学校物語」です。

リーダーのタイプ

1: レトリックにおいて理想を語るリーダー

まずは「サピエンス」の語る理想的なリーダー像とも言える、言葉で理想や夢を語り、それを信じさせて導くリーダー。

ビジネスリーダー的にはヴィジョンを語る指導者。

成功する政治家は多かれ少なかれこのタイプ。

人は希望に夢に満ちた言葉に惹かれるのです。

ホモサピは、夢や理想を語り、その思想や思想を共有して、語られた言葉の世界の実現を夢見る人類なのですから。

「あおざくら防衛大学校物語」では、伊東という弁舌豊かな学生がこうしたリーダー像の典型として登場。

ここで喋っているのは伊東と同じ高校出身の学生

アメリカのキング牧師の I have a dream だとか、ケネディ大統領の就任演説の次のような言葉。心に訴えかける言葉で聴き手を魅了させることが出来ることはリーダーとなるべき人の大事な資質。

国があなたたちに何をしてくれるかではなく、あなたがたが国のために何ができるかを尋ねなさい
どんな組織でも組織の上に立つ人ほど言葉を上手に使えこなせないといけない
現場のリーダーと大組織の頂点のリーダーは違う

この言葉の力こそが、ハラリ教授の言うところのホモサピを団結させて、肉体的能力に勝るネアンデルタールを撃退させた力なのです。

シェイクスピアの悲劇「ジュリアス・シーザー」では、民衆がリーダーの演説によって揺り動かされる大衆心理が見事に描かれています。

シーザーが皇帝位に就くことを阻止するためにシーザー殺したブルータスは民衆の前で、国家のためにシーザーを殺さねばならなかったと語り、民衆の支持を得ます。

ですが、すぐ後に演説を始めたマーク・アントニーは、ブルータスの誠実さと愛国心を褒め立てるも、民衆にブルータスによるシーザー殺害は本当に必要だったのかと疑わせる言葉を語ります。

シーザーは野心家ではなかったのではないか。

民衆に急かれて遺言状を読み上げると、そこには自分の財産をローマに寄贈すると書かれていて、これで民衆はマーク・アントニー支持へと一変して、ブルータスは追われる身になります。

シェイクスピア全作品中でも最も冴え渡るレトリックな演説です。名場面。

マーク・アントニーはレトリックを使って大勢の人を魅了させる能力を持つホモサピの最高傑作なのですね。

ブルータスの演説
「わたしはシーザーを愛していなかったのではない、だがわたしはよりローマを愛していたのだ」
シーザーが皇帝になれば、覇権のために多くのローマ人が死ぬ、でもシーザーが帝位につかなければ多くのローマ人は死ななくても済むのだ
「友よ、ローマ人たち、耳を貸してくれ」
ここからマーク・アントニーはシーザーは本当に王位に就こうとしていたかを民衆に問います

2: 理想を言葉で語らずに自らの行いで示すリーダー

言葉のレトリックで大衆を魅了できることがホモサピ人類にとってのリーダーの資質。

だから宗教的指導者や政治的デマゴーグ、ポピュリストというものは、ホモサピという人類特有なリーダー。

では言葉が苦手だけれども、コツコツとモノを作り出したりすることに長けていたと考えられているネアンデルタール的なリーダーとは?

ここはわたし個人の私的考察ですが、漫画の伝えるところの口下手な主人公近藤のタイプなリーダーでしょう。

昭和的に全然に立って率先して働き、俺の背中についてこいと言うタイプのリーダー。

旧日本海軍の山本五十六は典型的な行動型リーダーでしたが、
リーダーが前線に立っては長期的な戦略は敢行できません。
でも日本的にもっとも愛されるリーダー像でしょうか。
戦略的リーダーは後方にいて、前線の兵隊を動かし、彼らに最善の働きが出来るようにするものです。
ヴィジョンをレトリックを用いて語ることと自ら行動するリーダーの融合型が第三のリーダー像、後方支援リーダーです

近藤という頭脳明晰だけれども社会的には不器用な男は持ち前の地頭の良さを生かして効率良い行動を極めて、同級生たちが驚くほどの成果を学業や部活動において成し遂げます。

そしてそうした彼の頑張る姿に惹かれる仲間が彼についてくるのです。

誰よりも頑張る近藤は素晴らしい。

でも彼のやり方は小さなチームの中では完璧かもしれない。百人から数百人の集団には彼の魅力は伝わることでしょう。軍隊の一個小隊を率いれば彼こそは理想的なリーダー。

でも数万人を超える大勢には彼の言葉は伝わらない。

これが「サピエンス」の伝えるところのホモサピとネアンデルタールの違い。

ホモサピはフィクションを、ここで頑張ればより多くの報酬を得ることができるなどの言葉で他者を叱咤する言葉を分かりやすい、記憶に残る言葉を詩人的なレトリックを用いて語れるのです。

ネアンデルタールは、あそこにはたくさんの獲物があるから取りにゆこうというような言葉しか使えない。これこれこうすればもっと獲物を取ることが出来る(捕まえて放牧しよう、事業を広げよう)というようなことは語れなかったらしい。

3: 組織の潤滑な運営をもっとも重んじる守るリーダー

リーダーは理想をヴィジョンを語れないとダメです。同時に口だけで行動しないリーダーには本当にリーダーを信奉してついてくる人は出てこない。

漫画には、言葉で青臭い正論を語り、理においては誰も言い負かせないけれども、人の気持ちを動かす言葉を使えない土方という学生が登場します。

彼の個人的能力は体力知力ともに秀でていますが、彼のやり方は典型的なトップダウンリーダーで、人望のない彼にチームメイトはついては行かない。

チームは最初の試練において成果は出しましたが、彼は全てのチームメイトからの信頼を失うのです。

そんな彼は先輩のアドヴァイスを受け入れて、リーダーシップスタイルを変えます。失われた信頼はなかなか取り戻せるものではありませんが、彼は先頭に立つタイプへと変身します。

上の号令するボスタイプが最初の頃の土方学生
彼はやがてレッツゴーというタイプのリーダーになる

トップダウンのボスから真のリーダーになるには?

彼が先輩から受けた助言は、サーヴァント・リーダーになることでした。

アニメTシャツはアニメ好き先輩を籠絡するため
嫌いなアニメでも相手を喜ばせるために着てみせるのです

これからのちは、学生たちが自分でしないといけない制服にアイロンをかけたりご飯を前もってチームメイトが望むような形で用意して、とにかくチームメイトが完璧な状態で働けるように、達成するべき仕事以外を考えなくてもよいように、リーダーの土方はまさに召使いサーヴァントのようにチームメイトに尽くすのです。

「部下のストレス源を見つける
部下を人格としてただ単なる同僚としてではなく理解する(個人として理解する)
褒める!(部下の仕事を褒めましょう)
部下の個人的な問題にも理解を示す
働きやすい環境を整える」
こんなリーダーの下で働きたいものですね!
サーヴァント・リーダーと伝統的なリーダーの違い
リーダーが話して部下が聴くか(古い型)
リーダーが部下の話を聴くか(サーヴァント型)
問題が起きても部下のせいではないと考えるか(サーヴァント型)
問題が起きると部下の責任と考えるか(古い型)

目的遂行のために、相手に成り代わってしてやることをフォローすると言います。

土方学生のしていることは軍隊的には後方支援、兵站担当ともいえます。補給物資を適切に最も求められたときに運んでくるのです。軍隊においては兵站という地味な仕事程に大切なことはない。

だからチームメイトが達成するべきミッションを完璧に理論的に理解共有したのならば、もうリーダーは言葉は要りません。前線で働くメンバーに尽くして彼らの力を120%発揮できるようにしてあげることが良いですね。

これは「サピエンス」には語られてはいないことでしたが、ホモサピの長所であるミッション伝達とネアンデルタール的な具体的な行動リーダーの組み合わさった最高のリーダーシップかもしれません。

ハラリ教授はネアンデルタール人が滅びた理由はリーダーの存在(皆を導く言葉を喋れるリーダーの存在)をフィクションを語る能力として挙げています。

でも実際にサーヴァント・リーダーであることは難しい
優秀な部下が育っていないと、
リーダーを理解しない部下はリーダーに甘えることになる
必要なのはフォロワーシップ、リーダーの理念を理解できているか

リーダシップのPM理論

以上のリーダーシップ像から、リーダーシップPM理論を思い出しました。

P = Performance = 成果、実績、結果
M = maintenance = 維持、後方支援

PとMのバランスが良いリーダーシップ
Pm型は、漫画の伊藤タイプ。理想を語り、鼓舞して仲間をやる気にさせる、でも言葉が過ぎると最初の頃の土方のようにこうやれああやれというボス型リーダーに出してしまう。伊藤式でもリーダーがMに気を配らないと組織はまとまらない
pM型は、優秀な仲間の集まりの場合、彼らに今のままのやり方で最大限に本領を発揮させるととてもうまくゆく。リーダーはチームの和を保ち続けることに全力を注げばいい
でもpM型は新しいことを始めるには弱い
PM型という成果を生み出しながらよいチームを維持できるリーダーは少ない
リーダーシップにはいろんなタイプがありますが、
臨機応変でPmだったりmPだったりすることが多い

チームの現状維持か、トップダウンでやらせるかのマトリックス。

理想的なのは、Performance成果Maintenance現状維持との両方を支えることのできるリーダー。

PM理論は日本発の考え方ですが、英語世界でもリーダーシップタイプ理解のために取り上げられます。

色々な解釈が可能ですが、AssistとInstructの両方の資質を兼ね備えたリーダー。

let’s go といって皆と一緒にやるべきことを成し遂げられるといいですね。Goと命じるだけではチームは動かない。

リーダーはレトリックを使って皆を引っ張る言葉を語れないといけない、そしてその言葉を率先して実行する人でないといけない。

言葉がないと誰もついてこない。リーダーの言葉を理解した上で、初めて彼らはあなたの言葉を信じてついてくるのです。これがフォロワーシップ。

言葉でまだ成し遂げていない出来事や理想を語る!ホモサピ最大の力なのです。やり遂げたらこれだけの報酬ボーナスを得れる!というのもこれの一部。報酬=Incentiveはリーダーシップとは少しばかり違いますが。長期的に見ると、報奨目当てのチームは長続きはしません。

だからこのリーダーについてゆきたい!と思わせて、彼らにフォロワーシップを実践させないといけない。

誰かに従うことでもリーダーシップは学べるのです

以前に新しいチームリーダーの下で仕事をしたことがありましたが、アメリカ出身のアメリカ英語の彼女はあなたが仕事しやすい環境を整えたいと常々語っていました。

でもチームとしてのまとまりがうまく作り出せずに彼女は二年ばかりでリーダーを辞めてしまったのです。

彼女の失敗(連絡ミスなど)に自分のフォローは不十分だったのではないかと今でも悔やみます。彼女はわたしの能力を買ってくれていたのに。

彼女は人格的には良い人でしたが、部下を型にはめて管理するという部分にばかり気を取られて、よくわたしも含めた部下たちの小さな失敗を咎めたりしていました。わたしも彼女の稚拙なやり方に腹を立てたりもしました。わたしには十分なフォロワーシップがありませんでしたね。

彼女は大きな理想をチームに対して彼女の言葉で伝えられなかった。全体を見て、目標を達成させるように仕向ける。その中で部下のプロジェクトに支障あるミスを最小にさせて。そういうことを完全に彼女は理解できていなかった。

リーダーになることは難しくないかもしれない、でもリーダーであり続けることって難しいです。失敗すればクビになります。

ホモサピとは?

以上のように、我々ホモサピという人類の特徴を踏まえると、我々の集団を効率よく導いてくれるであろう指導者の典型的なタイプが理解できるようになるのです。

自衛隊という、攻撃してくる敵にも決して先制攻撃をかけてはいけないという理念からなる、規模こそ小規模ながらも、質的には世界最高の精鋭軍隊である自衛隊。でも定義的には軍隊ではないという自衛隊のフィクションを信じて、日本国という国を非現実に核なしで守ろうとしている自衛官将校学校を漫画にした「あおざくら防衛大学物語」から、二十一世紀にあるべきリーダシップ像を語りました。

愛する者を守るためにいつ攻め込まれても大災害が起こっても対応できるように自衛する部隊を鍛え上げるという思想は尊いでしょう。

尖閣諸島を、末には沖縄をもぎ取ろうとしている隣国の挑発に毎日のように対応している海上自衛隊はすごいですね。自然災害に危険な場面で救助を差し伸べる陸上自衛隊も。そして制空権をアメリカに奪われながらも、万が一のために備えている空上自衛隊も。

我々はまさに理想を信じて団結する特徴を持つホモサピという人類。

防衛大学校物語という漫画の示唆するリーダー像は、人とは何かを、国防などとは無縁なところで生活している自分にも深く物事を考えさせました。

素晴らしいリーダーシップ漫画でした。

我々は物語を必要としている

ホモサピとは、架空の物語を信じて生きてきました。我々の最大の力は信じること。

物語とは、民族をつなぐ神話であり、伝承であり、近代においては王権神授説であり、社会主義であり、資本主義であり、民主主義です。

博愛思想やヒューマニズムという人権主義や法治国家、そして新たな地球温暖化や人類の共存という考え方も。

今地球上生き残っている人類が、かつて旧人と呼ばれたネアンデルタール人ならば、こうしたイデオロギーに導かれて生きてはゆかず、全く違った世界をこの地球上に作り上げていたことでしょう。

世界中に溢れる荒唐無稽なフィクション。

アメリカ合衆国は理想的な民主主義国家というフィクション。
大東亜共栄圏という異民族の理想郷設立を信じた大日本帝国のフィクション。
中国は全世界の中心であるという中華人民共和国のフィクション。
選民思想のユダヤ教イスラエルのフィクション。
はたまた、世界を牛耳っているのは謎の世界組織ディープステートというフィクション。

ここにあげたどれかは本当かもしれないけれども、本当でなくとも本当だと信じることで信じた人には本当になる。

我々は物語を語り、物語を信じていないと落ち着かない。そして日々、テレビや本で、またはSNSで電話で物語を消費して生きている。

このわたしがここに書いている文章も、そうした物語のひとつに過ぎないものかもしれない。

でもわたしも物語が大好きなホモサピの一員。

物語ることを愛することで、ネアンデルタール人などの他の人類を滅ぼし淘汰して、同族の人類である異民族や信仰の異なる人たちや肌などの見た目の違う人たちを差別排除虐殺することができたのも物語の力ゆえ。

だから我々の最良のリーダーとはヴィジョンを語れる人のことなのです。

そのヴィジョンの実践の仕方は様々でも、ホモサピらしさのもっともホモサピらしい物語る力を持った人、信じさせる力を持った人こそ最強。

そういうことをハラリ教授の「サピエンス」と漫画「あおざくら防衛大学校物語」から学びました。

あなたがリーダーになりたければ、ヴィジョンを語り、そのヴィジョンをフォロワーとともに実現させられる人になればいい

よいフォロワーであるためには、リーダーの語る理想を疑うことなく共に信じてゆけばいい。

ホモサピは、ホモサピらしさを発揮する時、最強となれるのです。

そして我々の幸福も、我々の信じる架空の幸福を実現実践することで幸福感を最大に味わえるのです。

信じることができることが我々らしさ。

あなたはこの「サピエンス」をどんなふうに読まれますか?
きっと私のように読む人は少ないと思うのだけれども。

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