シェイクスピアと音楽(11): 「ヴェニスの商人」が悲劇だとすれば?
前回からの続きです。
「ヴェニスの商人」という作品、友バザーリオの借金を肩代わりする、何隻もの商船を所有する裕福なヴェニスの商人アントーニオに敵対するユダヤ人高利貸しシャイロックを悪者として上演するならば、間違いなく喜劇。
善人アントーニオを陥れようとした邪悪なシャイロックは馬鹿にされて貶めされて、お終いです。
ヴァーグナー唯一の喜劇作品「ニュルンベルクのマイスタージンガー」にも物笑いの対象とされるユダヤ人ベックメッサーが登場しますが、
もしかすると、ベックメッサーはシャイロックの分身なのかも知れません(ヴァーグナーの敵と見做された評論家のエドゥアルト・ハンスリックがモデルです)。
ベックメッサーもまた、シャイロック同様に満場の聴衆の前で馬鹿にされて退場します。
リヒャルト・ヴァーグナーは、ユダヤ人作曲家メンデルスゾーンの死後に、メンデルスゾーンを貶める論文を発表した、世に知られた反ユダヤ主義者。
人種差別または信仰差別は、現代の人権基準に照らし合わせるならば、到底許されることではありません。でも新興宗教の人たちは嫌われるし、白人は優遇されている。人は、親近感を抱けない、自分とは異なる相手を忌避します。世の中、難しいものです。それで社会的には棲み分けが解決策として提示されますが、これも公平には行われない。
ベックメッサーの失敗は、コンテストの歌を盗作するという自業自得の結果ですが、シャイロックの場合は違います。
人種差別に宗教差別だらけの「ヴェニスの商人」。
全くひどい物語です。でも非常に現実的。「ヴェニスの商人」はおとぎ話だとしても、この点では、シェイクスピア作品のどれよりも現実的。
シャイロック視点で読み解くと
前回、喜劇としての劇のあらすじをこのように説明しました。
第一幕: ポーシャに結婚を申し込むために借金を返済する必要があるバザーリオは、大金を借りるために、アントーニオに借金保証人になってもらい、金貸しシャイロックから3000ダカットを借り受ける。
第二幕: ポーシャへの求婚者たちのチャレンジ。
第三幕: バザーリオの運試し。鉛の箱を選んで、ポーシャと結婚する権利を得るが、アントーニオの商船は沈没したという知らせが届く。
第四幕: 借金返済が不可能になるシャイロックとアントーニオの裁判。なんとポーシャは裁判官として登場してシャイロックをやり込めるが、男装したポーシャはバザーリオの結婚指輪を説得してもらい受ける。
第五幕: 美しい月夜の晩、結婚初夜に愛の証の大事な指輪を裁判官に渡してしまったことで一悶着。でもポーシャは自分が裁判官に変装していたと告白して、夫婦の関係は女性優位に!二組の新婚は初夜のベッドへ。幕。
この物語、シャイロックはいわれのない差別を受けているとされると解釈すると(シャイロック個人に罪はなく、ユダヤ民族に属するという理由でシャイロックがいじめられて疎まれているという解釈では)物語は次のように書き換えることも可能。
第一幕: バザーリオはポーシャに結婚を申し込みたいがために、異教徒の金貸しシャイロックから3000ダカットを借り受ける。友アントーニオを借金保証人として。アントーニオはシャイロックを侮辱、売り言葉に買い言葉、立腹したシャイロックは返済不履行の場合には、アントーニオの肉体から肉片を切り取ってもよいという証文を考え出すことで大金を貸す。
第二幕: シャイロックの娘ジェシカは、父親であるシャイロックの金を盗んで恋人と駆け落ちする。娘に裏切られた父親シャイロックは悲嘆にくれる。人聞きの娘の消息によると、ジェシカはパドヴァの賭博場で大金を失い、母親の形見である指輪をペットの猿を得るために手放したという話を聞く。
第三幕: バザーリオの運試し。鉛の箱を選んで、ポーシャと結婚する権利を得るが、アントーニオの商船は沈没したという知らせが届き、シャイロックは裁判所に訴え出る。シャイロックはユダヤ民族の復讐であると語る。
第四幕: 借金返済が不可能になるシャイロックとアントーニオの裁判。シャイロックは倍額の現金よりも、証文に書かれた肉片を求めるが、血は一滴も垂らしてはならないという判決に、シャイロック全面的敗北。
第五幕: シャイロックの出番なし。しかしシャイロックの財産は彼の死後、娘ジェシカとジェシカと結婚したロレンツォの手に渡ると伝えられる。
という風に、オセローやリア王、マクベス並みの性格悲劇とも読み取れます。
ユダヤ人として虐げられてきたことで暗い復讐心を抱き、その復讐に失敗した男、一人娘に裏切られた男やもめ。自身の社会的地位の証である財産を失う孤独な男。
こういう解釈からシャイロックを描き出したのが、2005年の映画「ヴェニスの商人」でした。
アル・パチーノ扮するシャイロックが凄いのです。
「ゴッドファーザー」でマイケル・コルレオーネを演じたアル・パチーノをシャイロックに配した映画。
英語は原作にはない、16世紀終わりのヴェニスにおけるユダヤ人の暮らしのひどさを説明する字幕から幕開けます。
こういう物語が「ヴェニスの商人」。
反ユダヤ主義の戯曲として、反ユダヤ主義のナチス政権統治下のドイツで、1933年から1939年までの間、50回以上も上演された人気演目だったというのも頷けます。「ハムレット」や「リア王」よりも人気の演目でした。
上記の動画は、アル・パチーノ迫真の演技による、シャイロックの名セリフ。1ポンドの肉をもらったところで何の役に立つと訊ねられて、
しかしながら、裁判で敗北して、すべてを失います。
シャイロックはアントーニオの言葉によって(アントーニオが良心の呵責に駆られたため?)許されますが、条件はキリスト教に改宗すること。
キリスト教徒はアントーニオの寛容さに喝采を挙げたのかもしれませんが、全くこのように、異教徒ユダヤ人は「人間扱い」されてはいなかったのです。信仰の自由はないのです。異邦人は受け入れられません。
映画の最後、部屋に取り残されたシャイロックの孤影。
続きは、ロレンツォと結ばれたジェシカが屋敷の外に駆け出して、ヴェニスの干潟で弓を海に放って魚を取っている一人の男を遠くから見つめす場面。
この男の顔は影の中にあり、誰なのかわかりませんが、背の高くない男なので、おそらく父親シャイロックではないかと思われます。
彼女の指には、母親レアに指輪がはめられています。指輪の場面からエンドロールへ。
つまり、賭博場で小さな猿を買い取るために指輪をなくしたという話は、真実ではなかったという解釈です。
彼女もまた、ユダヤ人とキリスト教徒の宗教対立する社会の犠牲者なのかも。
背後に流れてゆく、エンドロールにつながる悲しい歌が印象的。
「ヴェニスの商人」は悲劇なのです、この映画の解釈においては。
映画には、楽しいバザーリオらの喜劇が悲劇的なシャイロックの物語の間に挟まれています。原作に準じた結果です。
でも最後にシャイロックのその後とジェシカの姿を映し出すことで、悲劇と喜劇の入り混じったような不思議な作品としての余韻を見る者の胸に残すのです。
後年書かれる「シンベリン」や「冬物語」のような問題劇なのでしょうか、「ヴェニスの商人」は?
16世紀英国人シェイクスピアはおそらくユダヤ人に同情はしていない。
わたしはながらく差別主義的な「ヴェニスの商人」が大嫌いだったのですが、この映画を見て作品への評価を改めました。
シャイロックをあざ笑うだけの軽薄な喜劇ではない現代的解釈ならば、「ヴェニスの商人」を見ても不快にはなりません。
シャイロックに同情し、また、ああいう社会的状況に置かれてユダヤ人を差別していたアントーニオたちのことも理解できます。
16世紀のヴェニスは現代的視点から眺めると本当に不条理な世界。
21世紀は人権保護が行き過ぎて、白人逆差別などが起きたりもしていますが(黒人の人権を保護しすぎて、低所得者層の白人が貧困者層であるにもかかわらず、社会福祉の不公平に甘んじることです)、人が人らしくあることが大変なのはいつの時代も同じなのですね。
ヴォーン=ウィアムズの名作歌曲
最後に「ヴェニスの商人」から生まれた美しい歌。
シャイロックに肩入れする解釈が生まれたのは、おそらく20世紀になってからのこと。
ナチスによるユダヤ人大虐殺が判明して、世界中の同情がユダヤ民族に集まり、第二次大戦後、シオニズム運動は世界中の輿論を動かして、中東に無理やり、イスラエルを建国。
今度はユダヤ人の国がパレスチナ人を虐げる立場に置かれるのですが、そうしたユダヤ問題を別にすれば、「ヴェニスの商人」はやはり喜劇。
第五幕の非常に美しい月夜のセレナーデのシーンは、「ヴェニスの商人」がシャイロックの悲劇だとすれば、何とも共感できないひどい場面なのですが、悪人シャイロックを懲らしめて、キリスト教徒に改宗させた大勝利の場面とみれば、この第五幕の男装の種明かしの場面、そしてその場を導く月明かりの下のセレナーデの場面は素晴らしい。
シェイクスピアの時代の舞台には女性俳優は禁じられていたので、少年俳優が女性を演じることになっていましたが(だからこそ、美しい少年俳優への愛をうたったソネット集が編まれたりもしました)女性役と男性役が衣装を取り換えて舞台に現れることは、だからこそ、楽しいものでした。
「十二夜」のヴァイオラばかりではなく、「お気に召すまま」のロザリンドも男装し、ポーシャもこうしてバサザールという若い青年判事として登場。
旧約聖書の名判事として知られる預言者ダニエルのようなバサザールは、実はポーシャだったという落ちは何とも見事なもので、喜劇は素晴らしい大団円を迎えます。
そのような喜劇「ヴェニスの商人」にふさわしい美しい歌が、ヴォーン=ウィアムズの次の音楽。シェイクスピアの劇のために書かれた最も美しい音楽の一つでしょう。
天上の音楽
中世ヨーロッパにおいては、天上の音楽という思想が信じられました。
歌詞に使われたシェイクスピアの言葉は劇中では「語られる」ものですが、ヴォーン=ウィアムズは話し言葉を美しい合唱曲へと仕立て上げました。
第五幕の冒頭の部分全てが歌われます。
13分のかかるのですが、美しい月明かりの中の愛の音楽、シェイクスピアがたびたび語る天上の音楽の最良の描写。
人気クラシック音楽漫画「のだめカンタービレ」にも天上の音楽への言及があります。さそうあきらの映画にもなった「マエストロ」という漫画にも。
中世の人たちは、天の美しい星たちは神の調和に支えられていて、お互いに音楽を奏で合っているのだと信じていました。
天籟という耳に聞こえない音楽が、シェイクスピア作品の中で美しい星空を語る場面でしばしば仄めかされるのです。
「ヴェニスの商人」第五幕冒頭は、そんな天上の音楽を描写した、シェイクスピア作品で最も美しい場面。
このような天上の音楽の場面を完璧に音楽化したのがヴォーン=ウィリアムズ。
しかしながら、シャイロックを悪人と見做して成敗した後に語られることに複雑な思いがします。シャイロックに思い入れると、この場面に感情移入できなくなってしまうのです。
しかも次の言葉はシャイロックの娘ジェシカと恋人ロレンツォによって語られる。
映画では、この美しい場面、裁判の始まる前夜に置き換えられています。映画を見ながら、なるほど、うまいな、と感心しました。
まとめると
「ヴェニスの商人」は、四大悲劇にも勝るとも劣らない傑作であり、また世紀の問題作。非現実なおとぎ話として上演することも可能。
現代ではこうした劇は、ポリコレ的に創作は許されそうにありません。
作者シェイクスピアが意図せずして、これほどに議論され続ける作品となったのは、被差別民族ユダヤ人シャイロックの存在ゆえ。
「ヴェニスの商人」を以前読まれた方には再読をお勧めいたします。まだ物語を、知らない方は映画をぜひご覧ください。
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