呉田軽穂という名前
わたしが最も好きな昭和の歌謡曲は「Wの悲劇」です。先日同名のドラマのリメイクを紹介した折に少しばかり語りました。
作詩は松本隆、作曲は荒井由実=松任谷由実=ユーミン。当時としては最強のタッグから生み出された名作中の名作。
しかしながら、ユーミンはあえて「呉田軽穂」というペンネームでこの曲を発表。
どうやら一流歌手であるご自身が歌わない、歌手としての自分には合わない、別の歌手のための曲は別名義で発表と決めていらしたそうです。
呉田軽穂とは奇妙な名前ですが、それもそのはず。
呉田軽穂とは伝説的な映画女優グレタ・ガルボ (1905-1990) をもじったものだからです。
Greta Garbo(1905-1990)
彼女はスウェーデン出身の二十世紀前半を代表する映画女優。無声映画の時代からハリウッド映画で大活躍して若くして引退した伝説の人物。
現在のスウェーデンの100クローナ紙幣の図柄に採用されているほどの方です。
カタカナで書いて「グレタ・ガルホ」、この名前をユーミンは日本語化して、呉田軽穂(クレタ・カルホ)。
Edgar Allan Poe (エドガー・アラン・ポー)を「江戸川乱歩(えどがわらんぽ)」とした昭和初期の推理小説作家の発想の作り方。このペンネーム、史上最強だと思います。
呉田軽穂はガ行の音をカ行の音に変えて濁音をなくしたことで柔らかくなり、女性的になりましたね。
というわけで、呉田軽穂経由でわたしは最近初めて伝説の大女優グレタ・ガルホを知ることとなりました。
著作権切れらしい映画がインターネットにたくさんあったので、大変に興味深く彼女の名作映画を少しばかり鑑賞いたしました。
白黒サイレント映画なのですが、あの時代は現代のように誰でも映画に出られる時代ではなく、本当の名優ばかりが銀幕の中に登場していた時代。
映画を見て、往年のグレタはやはり本物の大女優だったのだと、わたしもまた魅了されました。
第二次大戦が勃発して、若さが衰え始めたグレタは36歳にして永遠に映画の世界から去ることとなります。その後、半世紀ほどを社交界から身を引いて静かに半世紀ほどを独りで暮らして世を去ります。
どこか日本の原節子さんのようですね。原さんはグレタの前例を見習ったのでしょうか。
グレタ・ガルボの生涯
グレタの波乱万丈の生涯とその後はウィキペディアに詳しいです。
わたしは彼女がスウェーデン出身で英語が母国語でないことに注目しました。
若くしてアメリカハリウッドに渡るも、英語のハンデから最初はなかなか仕事が得られなかったそうです。当時の映画は無声映画なので、言葉は関係ないはずですが、やはり外国人が映画出演権を勝ち取るのは並大抵のことではなかったのでしょう。
英語の問題はそののちもしばらく付きまとったようです。
外国語を喋って暮らさねばならないことが人間嫌いと呼ばれるようになったきっかけなのではなどと邪推してしまいます。
わたしも英語の訛りで苦労したからです。
でも有名すぎて人を避けざるを得なかったゆえに社交嫌いになったということもあるでしょう。
ウィキペディアに書かれていますが、「I want to be alone」ではなく「I want to be let alone」といったのだという記述がとても印象的です。
なかなか含蓄の深い記述です。ウィキペディアも役立ちます。
1936年の椿姫
サイレントではないハリウッド映画ですので、音楽が素晴らしく、グレタは美しい英語を喋っています。やはりスウェーデン語は英語の親戚なので、訛りもほとんどない英語を見事にマスターしています。
三十歳ほどの長身の彼女の美貌は全く惚れ惚れとするほどのもので、立ち姿は九頭身くらいあるのではと思われるほどにスラリとしていてとても小顔。本当に北欧美人。なので日本文化的な視点から見て可愛い女性ではないといえるでしょう。クールビューティですね。
近寄り難く、ほ普通の人たちを寄せ付けないオーラのようなものをまとった、孤高の映画女優の鑑のような立ち居振る舞い。
この映画ではパリの病弱な高級娼婦という役柄のためもあるのでしょうが、なんとも近寄りがたい存在感です。そんな恋の駆け引きのプロのはずの彼女が純真な青年の真摯な愛に溺れてしまう。肺病を病んでいる彼女の健康をいたわるような男性にこれまで彼女は出会ったことがなかったから。
もちろんその先には破滅しかありません。
デュマ・フィスの古典小説「椿姫」とはそういうお話。
英語音声で字幕もなくて英語が相当出来ないと難しいかもしれませんが、美しいモノクロ映像から二月革命前のフランスの爛熟した社交界の様子が窺えます。素晴らしい映画舞台。
デジタルリマスターに期待
生涯に30ほどの映画に出演したグレタですが、もう百年ほども前の時代の映画となりつつある彼女の作品たちは、今後デジタルリマスターなどで再び我々が目にする機会も増えるのではと期待しています。
人工知能によるカラー再現もいずれは可能になることでしょう。
わたしは二十世紀の映画や録音作品が最新技術で復刻されていることに心からの喜びを感じています。先日は往年の大ピアニスト・エドウィン・フィッシャーのことを書きました。また何度も戦前の白黒映画のことをNoteに書いたりもしています。
二十一世紀の新作を楽しむために映画館や劇場にもよく足を運びますが、こうして二十世紀の偉大な遺産にも簡単にアクセスできる時代、余暇はいくらあっても映画鑑賞や音楽鑑賞には時間が足りません。読書の時間も社交の時間も。
映画の世界を離れたグレタはいかにして半世紀を過ごしたのか、とても気にかかります。ウィキペディアは双極性障害 bipolar disorder の疑いについても記述していますが、独りの時間の充実した生き方を自分もまたしっかりと考えてみたいですね。
当て書きとは
さてグレタの話はこのくらいにして呉田軽穂に戻りましょう。
ある特定の誰かのために曲を書くということは「当て書き」と音楽の世界では呼ばれていますね。
モーツァルトの場合
1778年、マンハイム滞在中の22歳のモーツァルトは60歳過ぎの老テノール歌手アントン・ラーフのためにコンサート・アリアを作曲するのに、「仕立て屋が服を客に合わせて作るように」という言葉を残しています。
モーツァルトの手紙の中でもとても有名な部分。
名歌手だったラーフの声はもはや全盛期の頃の輝きはなく、モーツァルトの書いたアリアの高音や長い音が彼には歌いにくく、モーツァルトに書き直しを要求したのでしたが、モーツァルトは快くラーフの言葉を受け入れたのでした。
それも最初はラーフには歌いにくい音を書いておいて、そのうえで楽譜を見せて、わざと書き換え提案を持ち出してくるようにさせて、それからこうしようああしようと共同作業でラーフが歌いやすいように作り上げたのだとか。
手紙が残っているのでどうやって書かれたかの記録が作曲者自身の筆から残されているのです。
モーツァルトは社交性に問題があったADHDだったと推測されていますが、やはり作曲分野においては海千山千なのですね。
K.295の「Se al labbro mio non credi=もし私の言葉を信じないのなら」ですが、10分を超える長い曲ですが、老歌手にふさわしい中音域の伸びやかなテノールの美声を生かした聴きやすい曲ですのでおススメです。
モーツァルトが惚れこんだ、フィガロの初演でスザンナだったナンシー・ストレースや、初恋の人で奥さんコンスタンツェのお姉さんアロイジアといった世紀の名歌手の魅力を最大限に引き出す音楽を書けることがモーツァルトの凄さでした。
名曲の誕生の陰にはこうした人間的な出会いがたくさんあり、相手に会わせて相手に最もふさわしい作品が書けたことが天才モーツァルト作曲の秘密でした。
作曲者は仕立て屋だというのがモーツァルトの持論だからです。
出会いが音楽を作るのです。
クライエントの求める作品を提供する仕事は服の仕立てのようなもの。
クライエントの意向に沿った作品を作ってこそ(たとえそれが自分の最も好ま無仕事であってもやり遂げて相手を満足させてこそ)プロフェッショナル。現代にも通じる仕事への姿勢ですね。
クライエントとクリエイターの共同作業、これが創作。
というわけで日本の歌謡曲、またはJポップの世界でも、様々なシンガーソングライターが特定の歌手のために、ポップスの場合は大抵若いアイドル歌手のために、名曲を提供したのでした。
歌わない作曲家が曲を誰かのために書くのではなく、自分とは合わなさそうな曲を誰かのために用意してあげるというのが要点です。
後に自分で歌ってしまう場合もありますが、やはり誰かのために書くことで、自分一人では作れなかったような音楽も生まれます。
歌謡曲=JPOPの場合
たとえば、さだまさしの「秋桜(コスモス)」。いつまでも歴史に残るであろう昭和の名曲です。
結婚して引退してゆく山口百恵さんに提供されました。1977年の歌。
呉田軽穂(ユーミン)は薬師丸ひろ子の「Woman~Wの悲劇」の他に、アイドル松田聖子のために数々の歌を提供しています。
秋桜に負けず劣らぬ名曲。
これも薬師丸ひろ子という透明感のある女性が存在していたからこそ生まれた名曲でしょう。
呉田軽穂の他にもよく知られた名曲は、典型的な1980年代アイドルの歌「赤いスイトピー」。
聴いていて久しぶりにフレッシュな気持ちになりました。若々しい抒情いっぱいの一曲。永遠のアオハルといったところでしょうか。1982年の歌。
また古いものではアルフィーの高見沢俊彦がキョンキョンと呼ばれていたアイドル小泉今日子へ提供した次の曲。1986年の歌。
THE ALFEEもまた、この曲を自作自演で録音しています。必ずしも女性視点ではありませんので、この場合の自作自演は捨てがたい。
次は日本中を騒がせた不倫騒動で離婚、現在は芸能活動自粛中で今後の復帰も危ぶまれる広末涼子のアイドル時代の歌。
わたしは曲を提供した岡本真夜が好きだったので、この曲を知りました。
大人びた真夜さんが歌うには、可愛すぎる恋に恋してるような女の子らしい曲。こんな曲が書けたのは、あの頃の広末涼子がまさにこんな女の子だったからですね。1997年の曲。ほんとに当て書きらしい当て書き。
最近の曲でとても気に入っているのは、あいみょんがダンスロックバンドのDISH//のために提供した「猫」。2017年の曲。
あいみょんは病弱ヒロイン物語の映画「君の脾臓を食べたい」にインスパイアされたとか。「君の脾臓を食べたい」を見てからこの曲を聴くと感銘度は高まりはひとしおです。
ちなみに脾臓は英語でPancreas。この映画の英語版から学びました。
他にもシンガーソングライターがアイドルなどに提供した良い曲はたくさんありますが、誰かの音楽的特性を考えて、その人に最もふさわしい曲を書くというコンセプトが好きです。
さだまさしは自分のコンサートで自作自演の「秋桜」を披露しますが、この曲は嫁いでゆく若い女性の置いた母親への心情を吐露した歌。やはり百恵さんの方がお似合いです。
ユーミンがアイドルソング「赤いスイートピー」を歌う姿は想像しがたい(笑)。若いころの彼女の姿を知らないからかもしれませんが。
あいみょんは普段から男性目線の歌を多く作って歌っているので、この場合はあいみょん版もまた最高です。
誰かのための仕事
当て書きというアーティストたちの仕事を思いながら、こんな感慨にふけっています。
自宅勤務でますます人と出会わない毎日、これからの世界、どうやって生きてゆけばいいのだろう。
モーツァルトが当て書きした歌手たち(またはほかの音楽家たち)に出会ったように、出会いは大切です。
大人な歌を書くユーミンが呉田軽穂として若い娘のための曲を書いたように、だれかのために何かをする必要があります。
誰かのために仕事をする。
わたしもまた、誰かのために仕事をしている。
でもほとんどオンラインでしか人に出会わないし、Thank youの言葉もメイルなどで届くことがほとんど。
働くとは「人偏に動く」と書きます。
中国ではなく、日本で作られて中国に輸出された和製漢字。
仕事をするとは働くとは、「人を動かす」ことなのだなとつくづく感じます。
自分が何かをして人が動く。それが働く。
当て書きの歌にはそんな思いがたくさん詰まっています。
グレタが若くして銀幕を去ったのは自分の仕事で人が動かなくなった(自分の映画が売れなくなった、自分の魅力が乏しくなったから)からとあきらめてしまったからでしょうか。
わたしの仕事もまた誰かを動かしている。でもどこかしら人間関係がどんどん希薄になってゆく。
わたしは大学のリサーチにかかわる人間だけれども、そんな仕事もまた、誰かのために役立っていると思いたい。
なかなか相手の顔が見えてこないのだけれども。
それでもいいのかもしれないけれども。
当て書きから、誰かのための仕事ということに想いを馳せていました。
お仕事頑張ってくださいね。
ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。