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スポーツ苦手な子がアーチェリーにハマり、スポーツファーマシストになった、という自己紹介

#私のスポーツ遍歴 …面白そう。noteのお題企画に乗っかって、今回は私のスポーツ遍歴を自己紹介を兼ねて書き連ねようと思います。
※さらっと書くつもりが書き出したら1週間近く掛かり、まぁまぁなボリュームになりました。ご容赦ください。

運動神経の悪い子

スポーツ関連で一番古い記憶は幼稚園で、逆上がりが全然できなかったことだと思います。逆上がりは小学生になっても全然できませんでしたし、今もできません(笑)
走るのは速くない、登り棒は登れない、身体は硬い、腹筋が1mmも上がらない、などなど…。いわゆる“運動神経の悪い子”でした。

とはいえ、小学生の頃もスポーツを毛嫌いしていたわけではなかったです。休み時間にドッジボールはするし、スイミングスクールは嫌なことなく通ってたし、部活で水泳やソフトボールやバスケットボールをやってたし…、今振り返ると意外とアクティブですね(笑)
ドッジボールでは普通に投げても大したことないから変化球で勝負してました。それでも、変化球でも使わないと戦えない思っていた。
水泳部では100m自由形の選手になって町内の大会で入賞したりしました(スポーツで貰った賞状はこれが初めて)。それでも、水泳部にはスイミングガチ勢がいたので同級生にも2つ下の子にもはるかに速い子はいっぱいいて。
スポーツしてたとはいえ「運動できるぜ」って気持ちには全くならなかったです。

こう振り返ると、そんなに運動できないわけでもないように思います。運動神経が悪い子というよりは”運動神経の悪い子と言われて育ってきた”というのが正確かもしれません。家族からも言われてましたし。

ちなみに、中学時代はバスケ部の幽霊部員。黒歴史なのでここでは触れません(笑)

消去法が運命を変える!?

そんな私にとってのターニングポイントが高校進学直前にやってきます。
中高一貫校にいて中学は幽霊部員だった私。「このまま高校にあがっても変わり映えしない気がする」「何か変えないと…」と思い、

高校2年間ちゃんと部活をしよう(高3は受験だし…)」

と漠然と決意して部活を探すことにしました。
正直、部活ができるなら何部でもよかった。じゃあ、何部に入ろうか…??
文化部よりは運動部かな
中学からある部活はNG
コンタクトスポーツはNG

って感じでどんどん候補は消されていき…

唯一残ったのがアーチェリー部でした。

決めたからには、と下見も無しでアーチェリー部に入ったのが中3の春休み。消去法だからアーチェリーのことは全然知らない(笑)弓を使うってことだけは知っていたから、弓道で言う”巻き藁3年”のイメージがあって、「弓を持つまで時間かかっても基礎練習をちゃんとやろう…」と腹をくくって行った練習初日。

『とりあえず、射ってみようか』

へっ、いきなり射っていいんですか…??
いやいや、弓って1年ぐらい持たせてもらえないんじゃないの…??

頭の中にハテナが駆け巡りながらも、防具を付けて言われた通りに弓を引く。的まではせいぜい3mぐらいの至近距離。その1射目。

スパンっ。

「…あっ、これならやれる気がする…!!」

根拠は無いです。ただ、”楽しい”とか”面白い”とかではなくて、例えるなら自分が大切にしていた忘れ物を見つけたような感覚でした。(ドラクエ6のハッサンがせいけんづきを思い出した時に近いかもしれません。笑)
同時に、もう一つの気持ちが浮かんできました。

「どこまで上手くなれるか見てみたい」

他人事みたいな感じですが、間違いなく(上手くなりたいじゃなくて)見てみたいって思っていました。(この時の気持ちについてあまり深掘りしたことはなかったのですが、今思うと単純な好奇心が故の表現なのか、スポーツをする自分に過小評価があってのめり込めなかったのか、自分のことを客観視していたのか、よく分かりません)

この気持ちのおかげで、アーチェリーに夢中になるものでして。高校生活の目標はこの1射目で実質クリアしてしまったのです(笑)

後は好きなようにアーチェリーをする高校生活。ひょんなことから高2の終わりに全国高校選抜大会に出場(シードで!!)、高3の時はインターハイと国体に出場するまでになりました。別に全国大会を目指していたわけではなく、というかスポーツの全国大会に縁のない高校だったので、嬉しい反面「なんかすごい場違いな所にいるなぁ…」って気持ちは強かったですね。

それ以前に、部活は高2までと当初言っていたけど、中途半端に止められるわけもなく、高3のインターハイまでやる!!→国体までやる!!ってなって、高3の10月末まで目いっぱいアーチェリーをしてました。受験勉強は11月から。この展開も信じられない…
正直、受験のためにアーチェリーを止めていたらどっちも中途半端な気持ちで身が入らんだろうと思ったのもあるんですが、進路希望が白紙状態だったのが大きかったです。大学でもアーチェリーを、とは思っていたけど、何になりたいとか何に興味があるとかが全く無かったです(アーチェリー以外)。
結局、練習場が広かったので大阪大学に進学しました(ノリと勢いで現役合格)。学部は消去法で薬学部(ここでも消去法が活躍することになりました)。

大学でもとにかくアーチェリーな日々でした。高校時代と変わらず上手くなりたいって気持ちだけでやっていました。いつの間にか全日本選手権や国際大会の選考会にまで出場していました。全日本とか雲の上の大会だと思っていて目標にすらしていなかったので、これまた不思議な感じでしたね。そもそもアーチェリーを始めた時から自分が上手くなることに興味があって、大会とか勝敗に目標を置いていなかったのが良かったのかもしれません。大きな大会は私にとってログのようなもので、これぐらいのレベルはできてるよって客観的に認めてもらえるものって位置づけです。

また、大学3年4年の時には競技と並行して学連の役員もしていました。アーチェリーをアスリートの目線と運営組織の目線の両方から見る2年間は、物事を多角的に見ることの大切さを教えてくれました。

(ちなみに学業の方はサッパリついていけず、毎日大学には行くけど講義室には…って感じで、人より少し長い大学生活を送ることになりました。ノリと勢いの付けが回ったわけです)

気付いた自分の変化

アーチェリーを始めてからスポーツ・運動に対する自分の意識が変わっていった気がします。一番の変化は自分の得手不得手を理解して受け止められたことです。具体的にはこんな感じ↓

  • 筋力とか敏捷性とか、身体の基礎能力は低い

  • 限られた基礎能力の中で身体の動かし方を工夫するのが好き

  • 対人競技や変化に対応しなければならない競技は苦手

  • ↑こういう競技の基礎練習は割とできたりする

  • 繰り返し動作が得意

小さい頃に漠然と運動が苦手と思っていたのが、自分の中でできることと苦手なことに振り分けられるようになりましたし、苦手なことはしゃーないといい意味で開き直るようになったなと思います。この意識が私にとってスポーツ全般をポジティブに捉えられるようになったきっかけになっています。

もう一つの変化は、大学に入ってからスポーツできる子扱いをされがちになったことです。大阪大学はそもそも学生数が多い上に特別スポーツで売ってる大学でもありません。実際に様々なタイプのスポーツできる人・苦手な人がいました。そんな中で、なぜかスポーツできる子扱いをされる。でも腕立て伏せは誰よりもできない。逆上がりも当然できない。これは”スポーツができる”をどこから見られるかの切り口次第なのか、と思い始めました。

“スポーツのできるできないは誰にでもあるもの”
そこに気づけたことは自分の気持ちを楽にしましたし、他の人を見る時にもワンクッションを置く働きをしてくれています。

スポーツファーマシストになった理由

さて、大学卒業まであと半年ぐらいにせまった2008年のある日、ネット上でとある文字を見つけます。

スポーツ・・・ファーマシスト??

そう、スポーツファーマシスト制度が始まるというプレスリリースでした。
薬学部に行こうと思った頃からスポーツと薬学の接点はドーピングか、と漠然と考えてはいましたが、特にそれ以上何かつながることはなく過ごしていました。それが、この資格には今の自分の手持ちカードの全てが集結している。というか、消去法と消去法の組み合わせが資格になっているとか奇跡じゃないですか(笑)

と、興味深々だったのですが、この時点で進路は未定(院試は落ちた)。もし普通に薬剤師として働きだしていたら初年度に資格を取りに行ってたと思いますが、大学病院内での臨床開発関係に就職したので、しばらく資格取得は様子見をすることにしました。(立ち上がったばかりの資格の動向を見ておく意味合いも兼ねて、でした)
働き出してからもスポーツファーマシストの情報はチェックしていました。そして、3年経つ頃に「仕事とか関係なしにやっぱり取りたいな」と思ってたので、(一応職場には断りを入れて)2013年にスポーツファーマシストを取得したわけです。

アーチェリーの止め時を失った⁉

一方、社会人になってからもアーチェリーは続けていました(止める理由が無かったですから)。ただ、調子は低迷そのもの。学生とは違う生活リズム、少なくなる練習、ズレる感覚…。でも、悪いところを直せれば上手くなるわけだし、上手くなりたい気持ちは消えない。 と、思ってました、あの日までは。

2012年5月、ある試合中。その日も相変わらず思うようなプレーはできず、試行錯誤を繰り返していました。そんな試合も中盤を過ぎたころ、ある1射を射った時に何の前触れもなく浮かんだ思い。

「あっ、これは何をやっても上手くなれないわ」

心が折れた瞬間でした。これは、どこまで上手くなれるか見てみたかった答えが出た瞬間でもありました。

「止めよう、引退や」

この決断自体は一瞬でした。ただ、同時に一つの巨大な問題が立ちはだかります。

「アーチェリーを止めたら何をしたらいいのか分からない」

あまりにアーチェリーにどっぷり浸かりすぎてました。弓を射ってる自分こそが自分自身だと思ってました。アーチェリーが無くなることで何もない自分になるのが怖かったのです。

二度と弓を射ちたくない自分とアーチェリーを失くしたくない自分。アーチェリーの止め方が分からない状態に陥っていました。
しばらく悩んだ後、一つの決断をしました。

左射ちに転向しよう

弓を左右逆に持ち替えて、今まで右手で引いていた弓を左手で引こう、っていう発想です。左右逆、って口で言うのは簡単ですが、そもそも道具がほとんど右利き用左利き用と別に作られているので、始める前から金銭面のハードルが高いです(笑)それでも、アーチェリーを止めずにゼロからアーチェリーができるなら…。
結局、止めるか続けるかで悩んでいた結論は”方向転換をする”に落ち着いたわけです。
(ちなみに、今ではこの日を境に自分は”ゾンビアーチャー”になったと思っています。笑)

方向転換で見えてきたもの

この左射ちにするという方向転換は思わぬ副産物をたくさん生み出すことになりました。
まず、自分への期待値(ハードル)が下がったこと。ゼロからのスタート+利き手じゃない方で射つ+そもそも練習時間少ないなので、今までのようなレベルはそもそも考えられない。そんな状況になっただけで、何だか気楽に射てるようになりました。
そうすると次第に、アーチェリーをenjoyする感覚が出てきたのです。元々始めた時から知的好奇心(interest)でアーチェリーをしてきていた感じだったので、実はアーチェリーに対して“楽しい”“楽しむ”感覚が分からなかったのです。ここにきてアーチェリーと純粋に向き合えたのかもしれません。
こういう変化によって、スポーツに対する自分の視野が拡がっていくことにもなりました。逆に言うと、高校・大学と部活でやってきたアーチェリーが狭い世界だったんだなぁ…って感じです。狭い世界の中で何一つ強制されることなくアーチェリーができたのは恵まれてたな、とも思います。

アスリート×スポーツファーマシストの相互作用

この方向転換の時期が偶然にもスポーツファーマシスト取得中のこと。そして、スポーツファーマシストになったことがアスリート(ゾンビだけど)の自分自身にプラスの影響をもたらしています。
スポーツファーマシストはアンチ・ドーピングの専門家なのですが、その仕事は薬がドーピングに引っかからないかどうかをチェックするだけではありません。予防策のような感じで、
そもそもなぜドーピングはダメなのか」
「自分にとってのスポーツの良さ・魅力は何なのか」
といった考えを巡らせていくことがアンチ・ドーピングの肝心要
になります。
アンチ・ドーピングを学んでいく中で、自分とスポーツのことを考える時間が増えました。自分にとってのスポーツと向き合うことが増えていくうちに、
「スポーツの答えは一つじゃないし、関わり方や考え方に変化があってもいいんだな」
って受け入れられるようになっていきました。
運動神経が悪いと思っていた子供の頃も、アーチェリーにどっぷりだったことも、アーチェリーを方向転換した事も、アンチ・ドーピングの視点から捉えるとポジティブに受け止められるようになったし、他の人を見ていても「それぞれの考え方があるんやろうなぁ」って寛容に思えるようになったし。スポーツファーマシストの自分がアスリートの自分の考えをサポートし、時にアスリートの自分がスポーツファーマシストの自分に問いかける、そんな相互作用が続いています。

スポーツへの想い、絶賛拡大中

おかげで日に日にスポーツへの想いは拡がっています!!
アーチェリーの方はその後ベアボウ(照準器とか諸々のパーツが無い弓)という部門に転向しました。アーチェリーってどうしても競技指向が強いスポーツなんですけど、もっと幅広さを求めた時に種別変更してみよう、となりました。不思議なことに、転向後2018年に全日本社会人大会で3位入賞しました。ホンマに不思議。

それから、見る方では横浜DeNAベイスターズのファンになりました(これも偶然にも2012年から)。ここ5年ぐらいは横浜スタジアムにも行くようになって、ハマスタの雰囲気、イベントにハマっています。エンターテイメントから見たスポーツにも興味が湧いてきていて、他の球場や他競技のスタジアムにも足を運んで見てみたいなと思っています(ガンバ大阪はド地元ですし)。

スポーツファーマシストとしては、身近なアーチェリー選手のサポートから始まった活動も、様々なスポーツ団体での研修の講師や大学・専門学校での講義の機会をいただくまでになりました。これまでの活動をベースに一つの仕事の形をと思い、昨年から個人事業を立ち上げました。
アンチ・ドーピングは恐らくアスリートに花を咲かせるものではないです。その代わりに、アスリートの根っこを強くするものであるのは間違いありません。

「アスリートの活動の土台を陰ながら支えていきたい」

これが今の私とスポーツをつなぐ一番の思いです。

終わりに

私のスポーツ遍歴のはずが私の半生みたいになりましたね。
自分でもここまでしっかり振り返ったことは無かったのですが、スポーツが苦手だった自分が、いつの間にかスポーツを大きな軸に持っていたのも不思議だし、消去法の結果が軸になっているのも不思議で仕方なかったです。(ここまで何度不思議と言ったことでしょうか…)
色んな形・立ち位置でスポーツと接してきたんだなぁ、ってことを胸に、押し付けにならないように自分にとってのスポーツを発信していきたいと思いました。

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