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なぜ「黒人選手は身体能力に優れる」と思ってしまうのか?

前回、メディアが本当につくっているものは、ものの見方であるという話をしました。
そして、取材した人であっても報道を見た人であっても、自分のステレオタイプな価値観で判断してしまい、それは避けられないということも話しました。

ちょっと難しい話でもあるので、今回は、メディアによってつくられたものの見方で、スポーツ界の代表的な例を一つ紹介し、理解を深めてもらいたいと思います。

それは、いわゆる黒人選手、アフリカ系選手にまつわるものです。こう言っただけで、ピンとくる人もいるでしょう。

私達の多くは、黒人選手は身体能力が優れていると思っています。そして、その身体能力は、持って生まれたものであると考えがちです。

本来、スポーツはどれだけ恵まれた身体能力を持っていたとしても、その競技に固有の技術を何度も練習して身につけたり、その競技の戦術を学んだり、精神的なところも鍛えたりすることで、上達するものです。トップアスリートなら、尚更、これらを全て兼ね備えているはずです。そして、それはどの人種であっても同じことです。

しかしながら、黒人選手を語る時には、技術や戦術などの部分は省かれて、持って生まれた身体能力が優れているという点で、全てを説明しようとしがちです。
バスケットボール、陸上など、メディアにも今でもそのような傾向があります。そして、それを見ている私たちも、メディアによってつくられたものの見方に少なからず影響されていて、「やっぱり、身体能力が違う」と思ってしまいます。

しかし、中公新書「人種とスポーツ」(川島康平・著)を読むと、いつ頃からそうなったのかが書かれています。

古いアメリカの資料を調べると、白人と分離されて、黒人は劣っているものとみなされ、それには運動能力も含まれていた時代が長くありました。「黒人アスリートが集団として白人アスリートに優る可能性が言われるようになるには、長い年月が必要だった」と指摘しています。

1912年に、医学者チャールズ・E・ウッドラフが発表した学説から流れが変わってきます。その学説を新聞などが"証明"して、信じようとする流れが起こります。その後、1930年代に黒人アスリートが活躍しました。しかし、メディアでは学者に話を聞くなどして、いろいろな"背景の説明"がなされましたが、黒人が台頭した理由は、説でしかなく、誰にも本当のことはわからないのです。

報道が同じパターンで繰り返され、それに影響されたひとり一人のものの見方が集まって、いつしか社会のものの見方がそうなってしまいました。
それから100年近く経っても変わっていない。メディアのせいだろう、という話でもありません。
我々は、たとえ、新しい見方を受け取ったとしても、既に文化として定着しているステレオタイプ化した形のまま知覚してしまうのです。それを避けることは、非常に難しいということです。

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