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スポーツと私(幼少期)

スポーツを人生におけるトピックの一つにしている自分。その変遷を掘り下げてみます。自身でもここまで振り返るのは初めて。幼少期から初めて、何回かにわけて、振り返ってみます。

サッカーとの出会い

小学生1,2年生あたりから、地元のサッカークラブに入った。
特に運動神経がいいわけではなかったけど、一応、スタメンにぎりぎり出れるくらいで、市大会で優勝した事も。チーム内には、その後、プロになる一歩手前までいった選手も多く、そこそこレベルの高いチームに所属した。ちなみに、自分のポジションはDFが多かった。
そのころから、サッカーは生活に欠かせない存在であった。特に、自分からやりたい!、と言った記憶も、親から強制されて始めた、という記憶もない。多分、自然な流れ的なものだったと思う。いわゆる、「やらされている」感はなかった。なので、6年で卒業するまで、割と一生懸命取り組んだ記憶がある。苦しんだ記憶はない。
ちなみに、4年生くらいからは、父親もコーチとして手伝うようになった。試合会場への送り迎え、練習のサポート、合宿への付き添いなど、今にして思えば、本当に頭が下がる。

サッカー以外でも、スポーツというか、外遊びが日常の一部だった記憶が強い。家のすぐ近くに、プラスチックの地面だったが、コンクリート壁に囲まれたスポーツ広場があった。テニスの壁打ち、野球、サッカーの壁蹴り、ができた。いつもそこで、何かしらボール遊びをしていた。サッカー、野球、テニス、キックベース。家には、それぞれの道具が一式揃っていた。

両親との思い出

両親はスポーツがすごく得意、という感じはしなかったが、二人ともテニスを楽しんでいた。出会ったきっかけもテニスだったらしい。自分が大人になってもテニスをしているくらいだから、もともとスポーツは好きな両親だったと思う。特に父親は、いろんなスポーツに触れる機会を創ってくれた。サッカー、水泳、体操、野球、テニス、バスケ、バレーボール、卓球、スキー、ひと通り、遊びで経験した。また、それぞれの競技もよく見に行った。家が横浜だったので、平日の水泳教室が終わった後、迎えにきた父親と横浜スタジアムで、「ハマの大魔神」の登場前にスタジアムに入り、外野席の階段に座って勝利を見守るのが毎週の楽しみだった。

父親との思い出で思い出すのがもう一つ。よく遊んだ広場には、当然他の子供たちも遊びに来る。そうすると、みんなでバラバラでやっている姿を見ると、おもむろに、父親は他の子供たちに声をかけ始める。知っている友達から、知らない友達まで。そして、気づいたらそこでミニゲームをよくやっていた。キックベース、時には野球も。そして、後日また広場で会えば、今度は子供たち同士で話して一緒に遊ぶ。今、ボール遊びができる広場に行っても、なかなかこういう事は起こらないと思う。スポーツを一緒にする事が、何かコミュニケーションというか、繋がりを創るきっかけになっていた。

あと、キャンプや山登りといった、外での野遊びも毎年いった。それも、両親のテニス仲間、10家族くらいで。今、そういう繋がりって少ないなとつくづく思う。

まとめ

自身とスポーツの出会いを掘り下げると、両親との思い出話が多くなった。今思うと、自分にとってはスポーツ、屋外で体を動かす、というのは、かなり日常的だったんだなと感じる。
「Sports」の語源は、ラテン語で「Deportare」、日々の生活から離れる、気晴らしをする、非日常という意味があるといわれている。自分にとっては、幼いころから、この「非日常」を体感することが、「日常」になるくらい習慣化されていったと感じる。自分にとっては、幼少期にすでに、スポーツがなくてはならない存在になっていた。



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