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未来のためにできること

 独身、三十六歳。十年程前から鬱を繰り返し、現在は無職。孤独と日々肩を並べて歩いている。世帯を持つことは恐らくこの先無いように思う。それが私のプロフィールだ。
 そんな私にとって、「未来」という言葉から連想するイメージは、いつも暗澹として仄暗く、どこまで続いているかも判然とせず常に靄に包まれて見える。

 ひどい鬱で起き上がれなかったある日、私はとあるジャンルYOUTUBEを見て過ごした。それは日本人なら誰もが知っているような、凄惨な事件を起こした犯人や死刑囚に関する解説の動画だった。私は彼らの鬼気迫る姿を見て、どこか他人事だとは思えない焦燥を感じた。
 秋葉原の連続通り魔。京都アニメーションの放火犯。私が彼らについて知ることは、日本中の誰もが知っている情報と大差は無い。専門家でもなければ本人でもない私に、彼らの本意など察しようもない。ただ、彼らと私に共通した何かを感じるのも、また事実だった。

 それは、人生に一切の喜びを見出だせず、誰からも見向きもされずに置き去りにされ、一人で生きるには余りに長い時間を鬱屈と過ごし、とうとう自暴自棄という病魔に冒されていく人間がどのような最後を辿るのかを、想像することは出来るからだと思う。これは私も含め、誰しもが持つ可能性の話だ。

 未来のためにできること――私には革新的なアイデアも無ければ、卓越した行動力も持たない。私は私が自暴自棄にならないように、自分を救うにはどうすれば良いのか考えるばかりで、もう手一杯なのだ。
 しかし私はこれについて、人の道を外れているとは考えない。人は誰しも、まず自分を救ってやらなければならない。動画で見た犯人達の少なくとも一部は、彼ら自身が自らを救えなかった結果が生んだ悲劇だと感じるのだ。
 この頃少し復調した私は街に繰り出し、酒場で知らないおじさんと肩を並べて語り合う。それは、私が私を救うための行動の一つだ。十歳も年上のおじさんが「俺は一生独身だよ」と寂しそうに笑うと、私は思うのだ。
 せめて今だけは、例えばおじさんが自暴自棄にならないための一助になれていたら良い、と。私が未来の為にできることは、本当にこのくらいしかない。

 それでも人がより良い社会を作るために、それは決して忘れてはならない小さな一歩だと思うのだ。



著:がるあん
絵:ヨツベ


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