日本が負けた朝
タラレバはどちらにもある。あのシュートが入っていれば、あそこで止めていれば。
それは日本にもベルギーにもあった。残るのはリアルな現実だけだ。
原口が日本中の眠気を吹き飛ばし、乾が続いてゴラッソ。それでも少し時間が早いな、という贅沢な悩みを俺は考えていた。
このまま試合を終わらせるか、ベルギーの息の根を止めるか、つまり3点目をとるか。
結局、一点返され、あれよと同点。
最後の最後にカウンターで逆転された。
惜しかったという見方もある。
これだけベスト8に近づいた事はないのだから、それはそうだと思う。しかしながら、あそこまでやってもダメなのか、という気持ちにもなる。「世界との差」という名の「差」がどこにあるのか。おそらくは全てが少しずつの差を生んで、積もり積もって大きな差になっているんだろうと思うけど。
じゃ、いつになったら埋まるのかと。
ひとつ思うのはメンタル。
今回も惜しかったかもしれないけど、69分に失点したあと、74分に同点にされている。その間、1失点目から同点まで約5分間。
これをどう考えるか。
同じようなことが2014年にもあった。
グループリーグ第1戦コートジボアール。
先制して折り返すも、ドログバ投入でムードがかわると、64分、66分と立て続けに失点して逆転負け。こちらは1失点目から逆転まで約2分。
前者は決勝トーナメント、2点リード。後者はグループリーグ、1点リードと状況をかさねるには厳しいかもしれないが、いずれも短時間で同点、または逆転されているという点は似ている。
今回のベルギー戦も最後のカウンターが問題だったわけではなく、2点リードした状態、もしくは1点返されたあとの試合の進め方に問題があったんではないかと思う。試合後の選手からもその辺に関しての後悔の念が多く聞かれた。
なんだか状況が状況だっただけに、スゲー惜しいって雰囲気になってしまうが、実は「短時間での連続失点」は経験済みだったわけ。ただし、今回はそれでもまだ同点だった。しかしベルギーの勢いを押し戻し、押し返す力はさすがに残っていなかった。
結局はこういう時頼りになるのは、「持ってる」という根拠のないもの、神頼みみたいな事しかなく、日本でいうと、それは本田だった。距離があったが、最後のフリーキックが決まっていたら、それこそ本田は神になっていたかもしれないが、実際は俺たちと同じ人間だった。
本田がどうこうではなく、やはり神頼み的な事では勝てない。
2-0はサッカーではもっとも危険な点差といわれるが、どう考えても圧倒的に優位だったはず。その優位を生かせないメンタルはまさに勝ち慣れていないという点からくるものだ。
もし、仮に失点しても、まだリードしている。
だから慌てる必要もない。相手はイケイケになるだろうが、知らねーよ、勝ってんのは俺たちだしよ、という図太さ。
ポーランド戦であれだけブーイングされながらもボールを回し続けたメンタル。
あれと、これとは全然違うんだけど、ポーランド戦を見た時、ああ、日本人もふてぶてしくなったなぁと感心したものだ。
しかし、やはり、日本人は日本人だった。
今回の日本のワールドカップを振り返るのはちょっと先にするとして、
ひとつ言いたいのは、批判と議論は違うということだ。もっと違うのは勘違い。
「日本、強くね?次いけるんじゃね?」からのグループリーグ敗退という流れ。これを何回繰り返しているのか、と。
だからこそ、今回の敗戦を「大善戦、よくやった」で済ましてはいけない。
だから俺は拍手はできない。
負けて拍手はないだろう、と思うし。
選手には何て言うかな。
きっと「おつかれ様」がしっくりくるな。
最後に。
知り合いでサッカーあんまり見たことないって人が、今回ベルギー戦を見て感動した、と。
サッカー面白い、と。そんな感想を聞いた。
勝敗には現れないが、そんな人を生み出す試合をした、というのも事実だ。
まだW杯は続く。
日本のいないW杯が。
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