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何度も何度も、目が覚めてはまた寝て、を繰り返し、最終的に起き上がったのは13時頃だった気がする。前日はなんやかんやと起きていて、寝たのは明け方4時だった。外はもううっすら明るくなっていた。

簡単なごはんの準備をして(なにかをつくるのがもう面倒だったので、お茶碗1杯のごはんに生卵を落として、かき混ぜて醤油をかけたものの上に、しらすと「かけ海苔」をさらに盛った)、半分寝ながらもそもそと食べた。

そうしたら、どこからともなく子どもたちの大きな掛け声と、太鼓や鉦の音が聞こえてきた。昨日から窓を開け放していたので、それはそれは鮮明に。

突然入り込んできた祭りの音色に私はちょっとだけワクワクしてしまい、ベランダに出て道路を見下ろした。少しだけ雨が降っていたので、カラフルな傘をさしながら、子どもたちが山車を引っ張っていた。わ、なつかしいなぁ。

もうあまりはっきりとは覚えていないが、私も幼い頃に山車を引っ張った経験がある。町内の小さな祭りだったと思う。友人と出かけていって一緒に引いた。まだ小学校3年生とかそこらだった。「もう少し大きくなったらお神輿かつげるよ」と言われた気がする。もう少し大きくなってからは、山車も神輿も興味がなくなった。


私は、あまり夏が好きではない。
夏の刹那的な感じが、物心ついた時から苦手だ。どうしても寂しさや侘しさの方が勝ってしまう。今日の祭りの音色にも、ときめくと同時に切なさも感じた。

近頃は5月から真夏日だって平気で来るし、10月頃まで残暑が残っている。暑い期間は長い。それでも、本当に勢いのある期間はほんの2〜3ヶ月だ。

夏祭りや夏フェスや花火大会や、その他諸々の「たのしい行事」は、その短い期間にうわっと押し寄せてくる。でも、その勢いのまま引いていってしまう。指折り数えて待っていても、夏は一瞬で終わる。

もちろん、夏ならではのうつくしさを感じることも多い。
けれど暑さが引くとすぐに彩度を落としはじめ、記憶の彼方に埋もれてしまう。それがいやなのだ。今日子どもたちがもたらしてくれた夏の片鱗も、このあと至るところで感じてはすぐに泡のように消えてしまうのだろう。

やだなぁ、夏。
もうやってきてしまっている。来月の終わりには、きっともう遠のいている。今年こそ好きな人と手持ち花火がしたいのに、好きな人すらいない。


小出祐介とは「夏観」が似ている気がする。
彼が夏や少女を切り取り続けているのは、おそらくその「一瞬性」や「刹那性」にうつくしさを感じているからだ。
私が就活している時期に公開されたこのMVが、あまりに自分とリンクしすぎていて泣けた。なかなか内定が出ず、あっつい頃にも引き続き就活をしていたな。



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