見出し画像

11月見聞録【映画編】-2018-

 去年1年間で観た映画は3本だったけれど、今年は現段階で13本観ている。もともと映像作品を観るのは苦手だった。なぜなら、途中でやめられないからだ。120分の映画なら120分だけ時間を取られることも、あまり好きではない要因だった(本や漫画なら自分のペースで、隙間時間で読める)。だけれど、11月は4本観たし、そのどれもがすばらしかった。

11/2(金)ここは退屈迎えに来て
 なるほどこれはコンプレックスの話だったのか。3つの年代から構成される独特の群像劇から浮かび上がるのは、地方都市に生まれ育った者の、都会・「東京」に対するコンプレックス、そしてクラスで浮かないポジションだった者の、人気者に対するコンプレックスだ。でも実は、東京も人気者も「大したことはない」。憧れ続け、親の反対を押し切って東京に出てきた少女の、熱のないエンディングのセリフ。学校のみんなからの憧れの的だった「椎名くん」の結婚相手が放つ強烈なセリフ。そして、椎名くんが主人公の“わたし”に投げかける、なんとも気の抜けたかなしいセリフ。コンプレックスに囚われ続け、もがき苦しんだ者を、あっさりと裏切っていく。鮮やかだ。
 大阪と東京という、西と東の都会で生まれ育った私としては、主人公たちにあまり共感ができなくてなんだか置いていかれた感じだった。でも、「転勤族ゆえに地元がない」という、映画には関係のない、私自身のコンプレックスがうずいてしまった。“わたし(橋本愛)”は、東京に出たものの、夢半ばで挫折、地方都市の地元に戻るが、私にはその地元がない。青春時代の思い出を振り返れるような友人も、高校以前にはいない。帰れる場所があるだけで十分じゃないか。なんて思ってしまったのだった(こういうコンプレックスもまた、長い目で見れば「大したことはない」のだろう)
 それにしても、『ここは退屈迎えに来て』というタイトルをばっちり体現した作品だった。後半、登場人物たちがフジファブリックの“茜色の夕日”を歌うクライマックスに差し掛かるまでの、鬱屈としたテンポ、繰り返し語られる「東京」への、羨望や嫉妬、解放、自由といった一辺倒のイメージ。正直、なんだかつまらなく感じてしまって、このままこの感じで終わったらどうしよう、と焦った。観終わってはじめて、「もしや、あの感じが『ここ』の退屈さだったのか……!?」と腑に落ちた。そして「迎えに来て」という他力本願なワードも、「東京に出れば、東京がなんとかしてくれる」というニュアンスを含んだ登場人物たちの言動にもつながるような気がする。
 そうそう、この映画は新保くんという地味な男子役の渡辺大知がすこぶる良い。複雑で、ひたすらにやさしい眼差しを持つ新保くんを、とても繊細に演じていた。彼観たさに映画館に足を運んだのは、やはり正解だった。

11/24 生きてるだけで、愛
 こちらはすでに書いた通りなので、もしよければ「ここ」へ。すでに文量が想定以上になってしまっているので、次にいきます。

11/25 ボヘミアン・ラプソディ
 様々な人が、様々な場所で熱狂的な感想を書いているところに、私なんかが一体なにを書けよう……と思って、なんども書いては消し、書いては消しだったが、やっぱりなにかしら残しておきたいと思う。「なんとなく」で観に行ったにも関わらず、あまりの良さに胸がいっぱいになり、次の日には会う人会う人におすすめし、『風立ちぬ』以降、数年ぶり2回目の「映画館で2回観る」をキメたくらいなんだもの。
 「なんとなく」で観に行った私が、フレディ・マーキュリーの死後に生まれ、あの時代の空気を感じたことのない私が、ふだん洋楽や洋画にもそれほど親しまず、Queenは中学生の頃に父親のCD棚から『GREATEST HITS』を拝借し、たまに聴いていた程度だった私が、なぜこんなにもはまってしまったのか。それはやっぱり、圧倒的な物語の濃度に心揺さぶられたからだと思う。生い立ちへのコンプレックス、性的マイノリティであることの孤独--だれもが羨む才能を持ち、名声や富を得るのと同時に度々突きつけられるそれらに、一度は自らを破滅に向かわせる。けれども、彼は自身の力で立ち上がる。そして迎えるのがラスト21分間の「ライブエイド」。世界最大規模のチャリティーライブで、彼は再起するのである。
 ライブでのパフォーマンス自体も圧巻でそれだけでも胸に迫るものがあるのだけれど、繰り出される曲たちがフレディの「これまで」の人生を鏡のように写しており、ラストまでの様々なシーンを否応なしに思い出させ、二重の感動が観客を襲うようになっている。最後の“We Are The Champions”なんか、もう泣かない理由がない(とか言いつつ、私はもう泣く余裕すらなかった)。
 あと単純に、普段私たちが絶対に見ることのできない「音楽が生まれる瞬間」の数々に立ち会えることにとてもワクワクさせられる。“We Will Rock You”誕生のシーンは忘れることができない。あぁ、Queenの音源を流しながら書いていたら、また観たくなってきた。

11/27 ギャングース
 職ナシ、学歴ナシ、犯罪歴アリの男子3人組が織りなす、エンターテインメントとして最高のアウトロー青春映画。出自を呪い、日々葛藤し、ぶつけどころのない悔しさに涙しても、生きることにしがみつく彼らの姿がまぶしく輝く。またもや渡辺大知と、演技している加藤諒が観たくて映画館に駆け込み、彼らの演技への喜びを噛み締めていたら、完全ノーマークだった高杉真宙に頭をガツンと殴られた。とあるきっかけで一騎打ちになる半グレ(暴力団に属さずに犯罪を繰り返す集団)の犯罪営利集団・六龍天とのアクションシーンは手に汗握りキリリと痺れるが、ただの殴る蹴るのスカッと映画ではなく、社会派の側面も持っている。原作漫画が犯罪少年のルポから生まれたというのだから納得である。
 少年院出身の彼らの生きる術は、アガリ(犯罪者が詐欺などで得たお金)をタタく(強盗する)こと。犯罪で得た金品に被害届が出されることはないためだ。だが、相手が相手だけに、常に危険がつきまとう。なぜ彼らは自らを投げ打ってまでこんなことをしているのか? 「真っ当に生きるには金が必要だから」、だ。それは高杉真宙演じるサイケのセリフから明らかになる。日雇いで1日13時間働いても、少年院出身だと足元を見られ、日当は2000円。その日を生き抜くのが精一杯で、身分証をつくるためのお金はない。身分証がないから家を借りられず、住所不定のためアルバイトすらできない。生活保護も受けられない。真っ当に生きるためのお金は、真っ当でない先から得ない限り一生貯まることはないのだ。「とっとと金稼いで、こんなことからは早く足を洗おう」。サイケはそんな意味の言葉を苦々しく吐く。親から虐待を受けていたため帰る場所もない3人の目の前には、過酷な現実しかない。社会のセーフティネットが彼らには機能しないのだ。
 私は会社員として働き日常を生きているが、彼らのことを到底人ごとだとは思えなかった。3人が走り回る街は、悪い人間しかいないような特別な場所ではなく、我々が「ふつう」に生きている街角だったからだ。彼らのような存在は、きっとすぐ隣にいる。なのに、いままで気づいていなかったのは、「知らなかった」からだろう。知ろうともしていなかった。ギャングースから、まさに課題を突きつけられたような気がした。
 それにしても、俳優陣がみんな魅力的だ。トリプル主演のほかに、林遣都や篠田麻里子、金子ノブアキにMIYAVIの名前が連なる。特に後者の2名は強烈で、まるでライブのようなグルーヴ感たっぷりの演説を繰り出してくるカンパニーの長・金子ノブアキのキレ具合と、血も涙もない六龍天のトップ・MIYAVIのおそろしさは見る者をゾワつかせる。
 すでに上映している劇場がほとんどないのだが、お近くに会場がある方はぜひ観に行ってほしい……。

↑ ギャングースpresents『実録!!振り込め詐欺のしくみ』が秀逸すぎるのでぜひ観て。振り込め詐欺や犯罪組織の実態がめちゃくちゃわかりやすい上に、映画館で「ウォー!」となった金子ノブアキのグルーヴ感たっぷりの長回しのセリフが全部聞けちゃう。太っ腹!

 長かった!  もう12月も半分が終わるというのに、やっと精算できました。このあとは2018年の振り返りとして、ベストアルバムとベストトラック、ベストライブの整理かなぁ。まだ聴けてない作品いっぱいあるなぁ。忙しくなるぞ。

#映画 #映画感想 #ここは退屈迎えに来て #生きてるだけで愛 #ボヘミアンラプソディ #ギャングース #コンテンツ会議

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

最後まで読んでくれて、ありがとうございます!