自己啓発を雑にふり返る。 (あくまで個人の主観です)
30年ほど前でしょうか。
一昔前の自己啓発本やセミナーなんかでは
やたらポジティブ思考を勧めているものが多かった気がします。
著者やセミナー主催者により表現は異なりますが、
ポジティブ思考で自らピグマリオン効果をもたらすのが目的であると思われます。
ポジティブ思考で自分自信に期待をかけ、
自分にはできる、自分は優秀な人間であると思いこむことでモチベーションを上げて、業績や学力の向上に繋げるきっかけ作りだったのかもしれません。
このような考え方は自己啓発本やセミナーだけにとどまらず、割と早くに社会的風潮として浸透していったように思います。
それまでにあった根性論とも相性が良かったのかもしれません。
そのポジティブ思考が根性論のような
『頑張れば出来る』という根拠の無い
雑な目標であれば、
掲げた目的は概ね達成されず
失敗した時には『できなかった』
『私には無理だ』『ダメな人間だ』と
ゴーレム効果がはたらいてしまう。
理想や願望ではなく、客観的にみて実現可能な正しい目標を定めなければ
ポジティブ思考とネガティブ思考の負のスパイラルでどんどん深みにはまっていく。
理想と現実とのギャップがクローズアップされてしまう。
何故だかそんなところだけ客観視してしまうひとが多い気がする。
客観視というよりも被害妄想の域まで達しているかもしれない。
まずは、そんな思考パターンこそを冷静に客観視しなければならないと思う。
一昔前の職場ならば
失敗しても
仕事中に落ち込まないで!仕事して!
と先輩に一喝されていただろう。
怒られながらも業務は続く。
通常業務をこなしつつ、頭はフル回転。
落ち込むよりもまずは反省。
何故上手くいかなかったのか?
失敗に繋がった原因は何か?
それからすぐに改善策を練る。
どう改善するか?
同じ失敗を繰り返さないためには何が必要か
本来のポジティブ思考とは、積極的に物ごとに取り組む姿勢だった。
失敗を次に活かす学びに変える思考だったはずです。
しかし、ポジティブ思考を楽観主義と勘違いしているひとが意外と多い気がする。
失敗しても謎にポジティブに励まされ、応援されてしまっては、反省の思考すら停止してしまい、我武者羅に進まざるを得ないのかもしれない。
成功者の都合の良いところだけ取り入れて
楽観主義で当たって砕けて落ち込み
今やポジティブ思考は危険な思想だといわれているではありませんか。
そして私には合わなかったから、と
新しい自己啓発本へ『正解』を求める。
最近は『ありのままの自分を受け入れよう』
『自分らしく生きる』という方向にシフトチェンジしたように思う。
でもコチラも受け取り方次第では十分に
危険な思想になっている。
大筋では他人の評価や価値観に依存せず、自分軸で生きるという内容が多い気がします。
自分と相手を客観視した上で自己受容し、自分軸で判断し、他人に振り回されない生き方を勧めているものが多いのではないでしょうか。
本当のありのままの自分を受け入れられれば良いのですが
自分を客観視できていないと、色々と弊害が出てきているように思います。
被害者意識が強くなったり、ただの自己中心的思考だったり相手を理解しようという概念すらなかったり。
近年は、他人の主張や要求をはねのけて自己主張を通すような心臓に毛が生えたタイプのHSPが数多く確認されている。
これでは本当に生き辛さを抱え苦労しているひとが、益々生き辛くなってしまいます。
確かにプライドが邪魔をして自分のダメな部分や間違っていた事を受け入れられないのは痛い程にわかります。
自分の意固地な部分、相手が正しいとしてもどうしても折れることができない時や、
譲歩できない部分もあります。
自分の核の部分を否定せず
それも人間味だと受け入れて
一旦保留にしておく。
譲れないところはお互いに距離をとって
自分を護る。
歩み寄れる部分だけ分かり合えたらそれでいいと思う。
ついでに言うと、社会や職場の人間関係に
強制的な馴れ合いは要らないと思う。
付かず離れずな適度な距離感で付き合って行きたい。
無理やりポジティブ思考に変換するよりも
ネガティブ思考を止めるための『自分軸』
を持とうってのが昨今の流れなのかなと思います。
社会的風潮に正しく取り入れられ浸透すると良いなと個人的に願っている。
と、金曜日の朝に
仕事行きたくない病を発症してしまって
仕事行きたくない理由を責任転嫁して
ちょっと現実逃避をしたかったので
長々と書き綴ってしまいました。
こんな自分も受け入れつつ、
秒で支度して仕事に行ってきます。
以上、金曜日の朝の戯言でした。
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