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春過ぎて 夏来にけらし 白妙の…(考察してみた)


春過ぎて
夏来にけらし   白妙の
衣干すてふ  天の香久山 (あまのかぐやま)

持統天皇

    持統天皇が詠んだとされる百人一首の二番詠で、小学生の頃から大好きな詠です。
現代語訳すると

春が過ぎて夏が来たようだ。
夏になると白い衣を干すという、天の香具山に真っ白い衣が干されているから。

となります。
それを国語の授業では”衣替えの風景を美化した詠”として教えられたわけですが、

だがしかしですよ!
それではあまりにも短絡的で味気ない解釈ではないですか。

衣干すてふ  の表現解釈が、なおざりになっていませんか?
”てふ”は言わば”という”の短縮バージョンです。
毎年恒例の決まりきった衣替え作業の光景に”衣を干すという”なんて表現を持統天皇は使われるでしょうか?
しかも、天から降りて来たとされ、天の文字を冠した神聖なる天の香久山です。

”衣干すてふ”の言葉をそのままとらえれば、季節の風物詩なる衣替えの光景ではなく、昔からの言い伝えなど、実際にはまだお目にかかった事が無い光景を思い浮かべるのが道理ではないでしょうか。
そんな国語の授業で感じた憤りを晴らすべく、自分なりの解釈をしてみました。

春過ぎて
夏来にけらし   白妙の
衣干すてふ  天の香久山
(持統天皇)

春が過ぎ、もうじき夏が来るようです
梅雨の長雨が上がる時
朝日を浴びて、靄(もや)が立ち込める

遠くに見える深い緑の山には
真っ白な山霧がかかり
薄く細く伸びた山霧がゆっくりと登ってゆく

天の香久山では夏が来る頃に、真っ白の衣を干すといわれています。

天の香久山の山霧が登って行く様子がまるで
天女が羽衣を干しているかのようではありませんか。
なんと言っても、天から降りて来たとの伝説がある、天の香久山ですから…

山田オケラの独断と偏見による現代語訳


    そんな梅雨明け風景の美しさと、夏を待ちわびる気持ちをあらわした詠のようだな、と鎌倉時代に想いを馳せ、浪漫に浸りながら
今日も雨上がりにかかる山霧を眺めている。




どうか、週末は晴れますように。

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