5.想念形体(エレメンタル)~思考者の像の想念形体、物質的な像の想念形体
④の「相手に向けられた想念形体」に関しては、実例をたくさん集めて投稿しようと思っていますので、先に⑤「思考者の像をとる想念形体」と⑥「何か物質的なものの像をとる想念形体」を観ていきます。
⑤思考者の像をとる想念形体
人が自分自身を遠くのある場所に行きたいと熱心に願う。
↓
すると、その場所に自分自身の像を想念形体として作りだす。
見る人が透視能力を持っていたり、または、自らを物質化するだけの力を十分に持っていると、アストラル体、即ちその人自身の幽霊となって観える。
この記述を読んで思い出したのが、’あるヨギの自叙伝’ パラマハンサ・ヨガナンダ (著) の中のスリ・ユクテスワによる幽界から語られた霊界通信の場面です。
スリ・ユクテスワは、1936年3月9日9時に死去したが、’1936年6月19日15時に復活し、ヨガナンダの元に物質化して訪れました。(以下は、復活後二時間ほどの中で行われた霊界通信の一部です)
スリ・ユクテスワ:
これは血の通った肉体だ。わたしの目にはエーテルのように希薄に見えるが、お前の目には紛れもない肉体に見えるだろう。わたしは、宇宙原子から全く新しいからだをつくったのだ。
わたしはほんとうに復活したのだ。ただし、地球にではなく、幽界の星にだ。そこの住人たちは、地球の人々よりも、はるかによくわたしの高い水準に順応することができる。
ヨガナンダ:
私は、たこのようにしっかりと先生にしがみついていた。私には、ほのかななつかしい先生特有の快い体臭が感じられた。先生は、半分は言葉で、半分は精神感応によって、その意思を伝えられた。こうして私は、先生が伝えられる思想を非常な速さで理解することができたのである。
スリ・ユクテスワ:
私のこの新しいからだは、前の古いからだと全く同じに出来ている。わたしはこのからだを、いつでも自由に、しかも地上に居たときよりもずっと頻繁に、物質化したり解体したりしている。からだを急速に解体することによって、わたしは今では一つの星から他の星へ、あるいは、幽界から観念界や物質界へ、光という特急であっという間に旅行することができる。
これらは、スリ・ユクテスワが他界した後のカラダの物質化の様子ですが、スリ・ユクテスワは地上生活中も、遠方から物質化してヨガナンダの前に現れたことのある記述があります(幽体離脱)。
「枕元に立つ」・・・亡くなった直後の人が、遠くに居る深い縁のある人の前に、すう~っと現れたりする話はよく聞きます。この場合も亡くなった方の思いの深さがアストラル体となって訪れたのでしょう。
⑥何か物質的なものの像をとる想念形体
例を3つほど挙げます。
例1
ある人が、自分の友だちの事を考える。
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自分のメンタル体の中に、その友だちの小さな像を作る。
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その像は、外へ出て行き、普通はこの人の前の空中をぶら下がって漂っている。
同じように、例えば、部屋、家、景色などを考えるとこれらのものの小さなイメージがメンタル体の中に作られ、そのあとで具現化する。
具体的な事物でなく、想像を働かせている時にも、全く同じことが言える。
例2
自分の描こうとしている絵を考える。
↓
自分のメンタル体の資質で作り上げ、
↓
自分の前の空間に投射し、自分の心の目の前におき、
↓
それを写す。
例3
書こうとする小説の登場人物を考える。
↓
自分のメンタル体の資質で登場人物のイメージを作り上げ、
↓
意志の働きで、一つの場面からそれらのあやつり人形を動かして見たり、別に離して見たりしてみる。
↓
小説の話の筋は文字通り、この人の前で演じられたりしている。
このようなメンタル像は実際に存在し、イメージは全く客観的なものなので透視能力のある人には容易に見られ、それを作った人でない誰かによって再配列することさえ出来る。(普通の人では理解できない。)
例えば、小説の著者がはじめに考えていたのとは全く違った方向に話の筋が運ぶようになったり、時には想念形体が遊び好きの自然霊によって魂を吹き込まれたり、死んだ小説家がアストラル界で話の進展を見守り、手を加えることが出来ると考えると、彼は自分の暗示を提案したりする。
大好きな異性の事を真剣に考えたり、憧れのクルマの事を真剣に思い浮かべたりすると、メンタル資質の具現化した人なり物が自分の前にぶら下がって漂うのでしょうか?何とも想像できませんね。
霊能者が観る相手の情報などは、このようなメンタル資質のモノから得ているのでしょうか?
以前に、ある霊能者の所へ行った時に、胸に十字架のペンダントをして、赤い車に乗っていったのですが、見事にそれらを当てました。読心術やテレパシーなども同じような仕組みなのかもしれませんね。
想像物に関しては、絵画、楽曲、小説など芸術活動領域に多そうです。初めからイメージした通りの作品に出来上がるのならば、その人の投射しているモノを描きだしているのでしょうけれど、途中から、異なるインスピレーションを受け取って変化していく作品になる場合は、霊界からの誰かのアプローチがあるのかもしれません。
スポーツなどで取り入れるイメージ・トレーニングも、このような想念形体の形成で説明が付くのでしょうか?
つづく~
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