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教育のツールとしての将棋

下記の通り、スーパーファミコンのソフトについては既に「自己紹介をゲームで語る」のお題に投稿しました。しかし私史上最長の付き合いである将棋については触れられませんでしたので、今回それだけ切り出して書くことにします。ただし自己紹介というよりは、将棋をすることで何ができるようになったか、あるいは反省点を振り返ることで、教育のツールとしての有効性について考察できたらと思います。

これまでの将棋との関わりについて

私が通っていた小学校は当時、高学年になると部活動に入ることが義務化されていました。義務というのがまず嫌なので、どこにも入りたくなかったのですが、将棋は面倒くさくなさそうなので選んだと、そういう感じだったように記憶しています。やってみると面白かったので中学高校でも将棋部があれば入ったと思いますが、なかったので、電車で家から割と離れたところにある将棋道場に通いながら、個人で不定期にアマチュアの将棋大会に出ていました。

大学では将棋部があり、大学対抗の団体戦など目標がある中、部室に行けばいつも誰かと指せますので、大学在籍中にだいぶ力が付きました。インターネット対局が一般的になっていたことも、棋力の向上に貢献したように思います。そうして大学卒業が間近になった頃、私は全国学生名人戦への出場と、関西の学生タイトルの獲得を果たしました。社会人になってからは、会社対抗の団体戦に出るくらいでめっきり将棋を指す機会は少なくなりましたが、業界の動向やタイトル戦の棋譜等はずっと追い続けて今に至ります。

先日、史上最年少で藤井聡太棋聖がタイトルを獲得しました。もともと天才と騒がれていて、モンテッソーリ教育を受けていたことでも有名でしたので、子育てをしている世の親御さんの中には将棋に注目している方もおられるのではないでしょうか。

私も子育て中の身として子供が夢中になれるものを見つけてほしいとは思いますが、それが将棋じゃなくても構いません。ただ、将棋を避けるつもりもありません。そして、どうせ教えるのであれば自分が将棋を通して培った以上のことを教えたいし、将棋だけでは補完できないものがあるということも教えたいです。そういうわけで、まずは将棋のメリットから見ていきます。

将棋を覚え、強くなることのメリット

1.礼儀作法と感情のコントロール

将棋は礼に始まり礼に終わります。一生懸命考えて勝ちを目指す中でも、舌打ちをするとかズルをするとか、見苦しい姿を見せてはいけません。競争心と負けた者への配慮を両立し、勝敗に関わらず互いに最善を尽くして美しい棋譜を作り上げようとする協調性や探究心を育むことができます。

2.頭の中で読む技術の向上

対戦相手と盤を挟んで次の1手を考える時、「こう指して、相手がこう来たらこう指す、それに対して相手がこう来たらこう…」と実際に駒を動しながら考えられたら楽ですが、試合中それはやってはいけないことになっています。そのため、頭の中に駒を配置して脳内で動かす。これが「読む」という作業です。

頭の中のイメージを自由に動かせるようになるということは、それが将棋と関係ないことであっても可能だということです。コミュニケーションでも可能だし(対話を、交互に行う文字のやりとりと捉える)、旅行中に地図のどこをどう移動すると考えることも可能だし、色々と応用が利きます。

世の中にはどちらかというと、頭から外に出す技術のほうが多く紹介されています。例えば手帳、マインドマップ、プロジェクト管理表といったものです。これらは確かに便利だし、使わないといけない場面も勿論ありますが、いつでも乱用していいものではありません。頭の中がいっぱいになっている状態では情報を少し外に出して眺めることに意味がありますが、十分空きがあるのに同じことをしては、読む技術が育たないのです。

頭の中で読まなくても、将棋以外のことなら紙か何かの実物を使って考えたらいいじゃないかと思われるでしょうか?そう簡単ではない大きな理由が2つあります。思考のスピードと、情報全体との関連性です。

仮に将棋のプロが、「今日は特別に実物の盤と駒を使って考えてもいいよ」と言われたとしましょう。まず使いません。頭の中で駒を動かしたほうが短時間でたくさんこなせるからです。同様に、暗算ではしんどい計算問題でもなければ、頭の中でやったほうが速いことは色々あります。これが1つ目の理由、思考のスピードです。あまりにゆっくり読書をすると内容が頭に入ってこないという経験は誰でもあると思います。スピードの速さは時間の節約にとどまらず、全体の見通しを良くする効果があります。

もう1つの、情報全体との関連性とは次のようなことです。何か思いついて、メモを書いたとします。このメモの内容が、例えば「牛乳を買う」のような単独のタスクみたいなものであれば問題ないのですが、頭の中にある他の情報と組み合わせて使わないと意味がない場合には、困ったことになります。なぜならメモをするということは、その情報はメモを見ない限り頭の中に返ってこないということですから、(メモを見ない状態で)頭の中にある他の情報とメモの内容を組み合わせて考えることができなくなるからです。

記憶の強化や整理が目的のメモなら、それでもいいでしょう。しかし、頭を空にすることが目的のメモは忘れることを助長し、記憶力を下げ、手持ちの情報全体を統合して考える力を弱めてしまいます。また、思い出の写真のことを考えてみれば分かる通り、それがバックアップされているだけでは人生にとって何の意味もありません(一度は見返す必要がある)。少なくとも、何か考える時には、重要な情報は頭の中になければならないのです。そういう意味で将棋は、すぐ一杯一杯にならないためのトレーニングとして機能します。

3.盤と駒という簡単な装置だけで奥深い世界を作れることが分かる

将棋は本当にコストがかからないゲームです。盤と駒は、紙とペンとハサミくらいあれば作ることができますし(私は中学生の時、版画用のゴム版と彫刻刀で駒を作り、布とミシンで盤を作ったことがあります)、プレイ時間にしても早指しであれば10分~30分程度で終わらせることができます。それでいて、幼少期から始めて何万局も指しこなしてプロになった人たちが、ずっと飽きずに最善手を追い求め、何十年という期間に渡って将棋界全体が進歩を続けている。単純なルールから、これほどの文化が生まれるのです。

これを知っている人は、ゲームやルール、仕組みを作ることの醍醐味と偉大さを知っています。経済学のゲーム理論や、将棋界の進歩に貢献しているAI、ゲームやAIそのものを作るためのプログラミングなど、すぐに興味を持てるようになるでしょう。

4.時間感覚と集中力、決断力、止まる力の醸成

将棋の正式な試合では、対局時計というものを使います。試合時間が長引くことや、どちらか一方が考えすぎる不公平を防ぐためです。例えば30分切れ負けというルールでは、1手指すのに1分考えると30手ほどで持ち時間を使い切って負けてしまうことになりますから、1局平均100手と言われる将棋を最後までやり遂げることができません。

なので、通常は高速運転しながらも、重要な局面になるとピタッと止まり、よく考えるといったようにメリハリのある時間戦略が必要となります。また短時間でたくさん読むわけですから、集中力が必要なことは勿論、劣勢でも考えすぎず最も逆転に繋がりやすい1手、あるいは粘り強く簡単に崩れない1手を選ぶための決断力が必要です。相手が最善を尽くせばこちらの負けということが読めている場合、自分が選ぶ手は全て負けの手なのですが、形勢が悪いこと自体や数手前に指した悪い手をクヨクヨ考えても仕方がなく、現局面から最善を尽くせるかどうかだけが関心事となります。

5.最後まで諦めないこと、失敗を糧にすることの重要性が分かる

よく言われるように、将棋はいい手より悪い手のほうが多いゲームです。相手の王様を仕留める寸前までいい手を積み重ねても、ざくざく持ち駒を蓄えても、1つ悪い手を指せば一瞬で形勢は逆転します。これは裏を返せば、途中で失敗してもクヨクヨする必要がないということです。

また将棋には感想戦というものがあり、対局が終わった後でどこが悪かったのか、意見を述べ合います。悪い手が多いゲームだということは、勝っても負けても反省点が多くあるということでもあります。何が悪かったか理解すると同じ間違いを繰り返しにくくなるという経験を通して、勝敗だけに一喜一憂せず地道に勉強を積み重ねる姿勢や、失敗して負けても勉強になるだけで大した損失はないのだから、やりたいことをやってみようというチャレンジ精神が身につきます。

※ただし現実には、失敗して損失のあることも色々あります。そのチャレンジをしたほうがいいのかどうか、損失が大きそうな場合はピタッと止まってよく考えましょう。スモールに始められるケースもあるかもしれません。

将棋を学ぶにあたって気をつけるべきこと

以上で見てきたように、将棋で強くなることは多くのメリットをもたらします。しかし、将棋に限らず何でもそうですが、1つのことを追求するだけでは不足する要素も出てきます。本章では教育上のデメリットあるいはリスクに視点を移して、それらをコントロールするためにどうすれば良いかを考えていきます。

1.将棋以外の様々なゲームや体験をすること

将棋は、自分の駒も相手の駒も全てが見えており、次の1手を考えるために必要な情報が全て揃っています。このようなゲームを完全情報ゲームと呼びます。一方で例えばポーカーのようなゲームでは、相手の手札等を見ることはできません。いわゆる不完全情報ゲームです。また将棋は2人で交互に指しますが、現実社会のコミュニケーションは3人以上のこともあるし、誰かが多く話すこともあるでしょう。従って、不完全情報ゲームはもとより、タイプが異なる様々なゲームや体験をすると補完的に学習できると思います。

また将棋を指す人は近視の人が多く、気をつけないと姿勢も悪くなってしまいますので、目や体をよく動かす趣味を持てればベターかと思います。例えばテニスなどは2人で交互に打つところが将棋と似ており、親和性があります。外部刺激やリアルタイム性を補完する意味では、複数人で行う音楽などもいいかもしれませんね。本人に興味があればの話ですが。

2.頭の中で読むことばかりに囚われないこと

メリットの2番目で述べた、「頭の中で読む技術の向上」の補完です。訓練として、頭の中で読むようにすることは有効ですし、難しいことは最終的に頭で考えるより仕方ないのですが、かといって全ての考える作業を脳内だけで完結しようとするのは良くありません。世の中にはAIや計算ソフトなど様々な自動化を行うためのツールや、物事を整理するための手法があることを知り、使いこなすべきです。そうなっていてこそ、本当に頭を使うべきことに「読む技術」を適用できるようになります。

※余談ですが、難しいことをAIが全て考えられるような時代が来ても、人間が考えることの価値は失われません。将棋ではAIが人間より強くなりましたがプロ棋士という職業は一層魅了的なものになっていますし、そもそも考えることを放棄した人生なんて楽しくないですよね。私はそういう人間なので、考えすぎて苦しい思いをすることもありました。

3.与えられたルールだけの世界に満足しないこと

将棋は奥深いゲームであるために、却ってその世界から外に出なくなるリスクがあります。与えられた世界に安住せずに、ゲームやルールを作る側に回ってみる、何らかの創作活動をしてみると、世界が広がると思います。ルールは作ろうと思えば誰だって作れますが、実際それが奥深い世界を生み出すかどうかは別問題です。創作活動を通して、自分が理想とするゲームの最高の理解者になれる可能性があるのは勿論、古来のゲームが優れていると評される理由についてもより深く理解できるようになるでしょう。

4.自分より強い人の存在に腐らないこと

現代はネット社会であって、自分より強い人とすぐに繋がることができます。その体験を通して自分の才能が客観的に掴めた時に、自分はこんなものかと落ち込まないことです。将棋は基本的に誰かとの競争ですが、現実は誰かとの協調でもあります。天才だけで世の中が回るわけではないし、身近に強い人がいるのは勉強するチャンスなわけで、基本的には幸運なことです。勝ち負けがハッキリついてしまう将棋をやっているうちに、世の中には勝ちと負けしかないのだと思い込まないように気をつけたいものです。

まとめ

将棋が教育に良いことは、これまでにも多くの人が述べてきた一般的な話だと思います。しかし私の経験上、将棋はそれ以上に良いことをもたらすと同時に、ある種の偏りを生んでしまうものでもあります。デメリットに気をつけながらメリットを吸収できれば、非常に強力なツールになることでしょう。なお、バランスをとることが重要であるとはいえ、子供が心から夢中になる趣味ができたら、それをとことん応援したいとも思います。何かを突き詰めた経験は、他の様々なことを習得していく中でもきっと活きるものだからです。

親の勝手な押し付けにならないように、子供の興味が何に向いているかを観察し、思い切り夢中になれる環境を整えてあげられたらいいですね。興味が湧いていることについては、勉強の効率が甚だ良い。モンテッソーリ教育については私はまだ少し本をかじった程度ですが、他の有名な教育法も合わせてざっと見た感じ、それがエッセンスなのかなと思いました。

ではでは。

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