闇夜に光るマウスピース
リセット癖に気をつけよう
実を言うとnoteは今回で2回目の挑戦だ。昨年の暮れ、ふと思い立ってSNS断捨離をした。6年間続けたTwitterのアカウントも同時期に削除した。
noteのアカウントは確か3年は続けていたと思う。Twitterの方は懇意にしていたフォロワーさんも何人かいたので、罪悪感と失望感もあった。
けれどそのとき感じた、途轍もない爽快感は、いまもまだ続いている。
年末らしく2022年を振り返ってみたら「今年はこんな1年だったな、なんだかんだ言って頑張ったな、自分お疲れ」と労いの言葉もつぶやけるくらいには活動的だったが、「一体わたしは何をやりたかったんだろう」と疑問に思ってしまうくらい、とりとめのない1年だった。
それとSNS断捨離と何の関係が…?ともう一人の私が肩を叩いてくるが、まあ最後まで聞いてくれもう一人の私。
活動的だった分、刺激も多かったし印象に残る出来事も多かったから後悔はないのだけれども、「もう二度とこんな疲れる1年を過ごすのは嫌だ」と感じてしまった。
一体どんな1年だったか、書く気力があったら思い出話がてら記事にしてみたいものだが、ここで端的に言うならば、「薄給を嘆くことなくコツコツと7年間溜めた汗と涙の貯金100万円を、この1年間ですっからかんにした」、無鉄砲な1年だった。
自分の年収プラス100万円を使い切って遊びに遊んだ。もし高所得者がこの記事をご覧になったら、「100万くらいでごちゃごちゃ言うから万年社畜で甘んじてしまうのだ」と鼻で笑われてしまいそうだが、私としては切実だ。
100万円を使って私が手にしたシアワセは、早くもガラクタに変身。一目惚れしたファブリックも、やけに派手な洋服類も、銭湯の回数券も、通いつめていた整体院も、ぜんぶ手放した。
勢いづいて、これまで大事にとっておいたモノたちも手放した。
自分勝手な友達から届いた年賀状、何年も読んでいない中古のマンガ、うつ病の最中にすがった書籍たち、10年間ファンクラブに入っていたバンドのCD……そして卒業アルバムも。学校のことを思い出すと暗い記憶しか出てこないのに、処分したら自分が嫌な人間になる気がして、とっておいていた。
ぜんぶ処分するのに2週間かかった。それくらい、私は背負っていた。曲がった背骨を伸ばす方法を考えるより、ひたすら頑張って背負い続ける方法ばかり探していたんだと、ようやく気が付いた。
そんな感じで人間関係にも手をつけた。Twitter、Instagram、そしてLINE。
携帯が短く震える度に憂鬱な気分になる原因を、全て削除した。LINEの友だち登録は300件を超えていた。それを全て削除した。中には、近々にやり取りをしていた人もいた。
新しいアカウントを再度教えた人数は、家族を除いて5人。60分の1になった。Twitterはやっていない。
電話番号は去年、フィッシング詐欺に引っかかったときに変えていたし、もう10年以上会っていない大学の同期とは繋がれない。
自分でも薄情な人間だと思う。傷付いた人もいるかもしれない、というかいると思う。何も言い訳できないし、開き直るつもりもない。
でも、リセットが必要だった。断言できるのは、リセットして何も後悔がないからだ。
懇意にしていた先輩からの度重なる既読スルーや、当時も動いていたゼミやサークルのグループ、返信するのがもはや義務になり始めていたTwitterのコメント。それらに少しずつ傷付いていた自分も、何にも残らない無味無臭な時間も、ぜんぶリセットできた。
ただ一言、戒めるなら、「リセット癖に気をつけよう」。人間関係もモノも、大事にできない人間にはなりたくない。
新しく手にした習慣
私はミニマリストになれるほど、何かへの執着心を簡単に捨てられるような人間ではない。現に、1K10畳の部屋から40リットルゴミ袋10袋分+リサイクル品を手放したけれど、すっからかんになった収納スペースは一個もない。
ただ、物欲と散財の癖がおさまりつつあるのは確かだ。1週間に使う金額がガクンと減った。嬉しい右肩下がりだ。
高まった欲といえば、お菓子やパンをつくりたい欲、読書しまくりたい欲、筋トレやストレッチしたい欲。自分自身のことに集中できる時間が増えたことが一つの要因だと思う。でも一人で消化しきれないので、お菓子やパンは、近所に住む友達何人かに押し付けている…。
去年は自分の直感に頼った「好き」を追求して、湯水のごとくお金を使ってしまったが、自分が何を「好き」で何が「そうでもない」のか、くっきりと理解できた。
今年の自分はゆっくり吟味して「好き」を追求できていると思う。今年が始まってそろそろ2ヶ月が過ぎようとしているが、幸先の良いスタートを切れているんじゃないだろうか。このペースで進んでいきたい。
スケルトンのマウスピースも、今月始めた新習慣だ。違和感で眠りは浅くなるけど、なんだか新しいことに挑戦している自分が心地よくもある。
ぼんやりとした明かりに照らされても、闇のなかでぎらついているマウスピースを見ると、ふふ、と笑ってしまう。まるで生きているみたいだ。
「そんなに多くのモノは、必要ないよ」とにっこり笑いながら語りかけてくる。
私の背骨は、まだ何か背負うものを求めて曲がったままだ。新しい習慣が定着したら、職場のあの人のようにまっすぐ伸びるだろうか。
最初から付加価値を期待するとガッカリしてしまうので、まずは続ける癖をつけようと思う。
そんなわけで、noteも再度はじめることにしました。しばらくの間、お付き合いください。