見出し画像

毎年残された者に季節が訪れること『サマーフィーリング(2016)』

僕が観た直近鑑賞作品の感想。
今回は『サマーフィーリング』

2016年/『サマーフィーリング』
監督:ミカエル・アース
主演:アンデルシュ・ダニエルセン・リー
製作:フランス

ローレンスの恋人サシャが突然命を落とす。
事故でも自殺でもなく、それは突然。
胸の空白が埋まることはなく日々が過ぎていく。


この世で誰もに訪れること。
それはである。

自分が死んでしまえば人生はそこで終わる。
自分にとっての問題は消えてしまうからどうでもいい。
問題なのは最愛の人が亡くなってしまうこと。
残された自分はどうすればいい?


幾度も他人の死に直面した映画を観てきた。
本作もその中のひとつで、大してドラマチックでもファンタジーでもない。
事実があるだけで、その先は自分が乗り越えていくしかないからだ。


本作の良さは見守るという行為。
元気付けるわけでも、悲しみでドラマチックに描くわけではない。
それは現実世界の僕たちとリンクしている。

残された側には深い悲しみがまとわりつく。
拭っても追いかけてくるようで。
でも悪いことじゃないからたちが悪い。
本当に愛していたからこそ苦しむし悲しむ。


毎年訪れる、彼女が亡くなった季節。
嫌なほど青い海と空。
前に進むために必要なものは時間。
そして新たな道を歩き出す。
悲しみは追い払うものではなく、抱えていくもの。
だからこそ人は深みを得るし、幸せを望んでいけるのだと思う。


本作は人が亡くなるというよりはいなくなるような描き。優しい。
死ぬという事実だけでなく、僕たちの人生の記憶の中からいなくなること=死であるというということでもあるんだよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?