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古民家再生はじめました ~釿(ちょうな)削りの梁は、江戸時代の古材~

大正後期に建てられたらしい我が家のつくりは、街道沿いに多く残る江戸時代の建物とは異なっている、と以前の記事で紹介した。屋根が高く勾配も急なために屋根裏の空間が広い。そして、江戸時代には参勤交代のお殿様行列を見下ろさぬよう低く作られていたという二階の階高が、現代とあまり変わらない構造になっているのだ。

ところが天井板を外してみると、思わぬところに江戸時代の大工仕事が残されていることが判明した。天井梁の一部に、この場所にもともとあった(らしい)更に古い建物の材料が転用されていたのだ。

奥行き方向(写真では縦)の黒い梁に残る削り痕、これは、釿(ちょうな/手斧)仕上げといって、江戸時代の大工さんたちの熟練技だそうだ。電動工具がどんどん便利になった今、この技を引き継ぐ職人さんは減る一方だという。そして柱の色が黒いのは、当時の台所の竈(かまど・おくどさん)の煙で、煤(すす)がついているから。一方、横方向の丸い梁は建設当時の材料で、丸太の皮を剥いただけのものだ。

丸い梁に黒い煤がついていないのは、もう調理に竈が使われていなかったからかしら?…いやいや、建て替えられたこの家の二階は天井が貼られていたからである。台所があったのは別の場所だ。いろいろ想像するだけでも楽しいし、あれこれ検証すると妄想が正しかったのかどうかつまびらかになる、というあたりが実に面白い。

話が逸れるが、このごろつくづく思うことがある。ワタシは学生時代に歴史がとても苦手だったのだけれど、思えば、それはアプローチの仕方が間違っていたからだ。要するに「暗記できない=歴史の試験の点数が悪い」だったのだ。もし、その時代の物語を探りだすプロセスこそが「歴史を学ぶ」ことだと気づいていたら、間違いなくワクワクしながら取り組んだはずだ。当時のワタシは、そのことを理解できてはいなかった…。

…さて、話を戻すと。

昔は家を解体するとき、傷みのない丈夫な材を丁寧により分けて再利用するのが当たり前だった。だからこそ、200年近い歴史をもつ釿削りの黒い梁と100年前の丸太梁が、今は共同で我が家の屋根を支えてくれているということだ。なんというか、これまた感無量なのである。

新しい住まいの二階には天井板を貼るので、小屋裏の全貌は見えなくなる。けれど、建築士さんのアイデアで、このふたつの時代の梁が組み合わさっている部分は、ちょうど天窓から見える設計になっている。時代を超えたコラボを身近に感じながら生活できるなんて、なんだか贅沢だなあ。ワクワク♪



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