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大人になりたくなかった[アラサーINFJ男の気持ち]



ここ最近、「もう大人だから〜」
という言葉を口にすることが増えた。


大人になっていく自分にモヤモヤしていた。

「大人になりたくない」というモヤモヤは
30歳という節目をもうすぐ迎える、
ということを意識してから特に増えたと思うけど、


覚えている限り
数年前に心因性の失声を経験する少し前あたりからだった気がする。





ぼくは高校に上がる頃あたりからずっと、
大人になることが怖くて、とてもイヤだと思っていた。


母や友人には冗談っぽく
「自分はピーターパン」なんて言っていたけど、
内心、本気だった。


このまま歳を重ねて、進学や就職をして、社会人になって、
スーツを着て、毎朝満員の電車に揺られて、居酒屋で仕事の愚痴を言って。


それが悪いわけでは決してないと 今は思っているけど
当時の自分は、いつか自分がそんな大人になってしまうのではないか
という事がとても怖くて、
本当にイヤだと思っていた。


そしてこれは、ぼくが芸能のお仕事を志す理由の一つで、
行動するエネルギーになりました。

夢や憧れだけで決めたって言えたらかっこよかったのかな…。

友人たちは「将来の事ちゃんと考えて偉い」「行動しててすごい」
なんて言ってくれたけど、
そんな大層な理由で始めていないぼくは引け目を感じていた。


それから約7年。
役者の道を諦めてから就いた仕事で
声が出せないほど心が病んでしまった。

とても辛かった。

それは、当時の環境も大いに関係あると思うけど、
大人になることを心が拒絶していたのかもしれない、とも思う。



あと1ヶ月で30歳。
生まれて30回目の夏。
大人になんてなりたくないと、今も思っている。

だから、
30歳で寿命を迎えられたらいいのに、なんて思っていた。

「30で死ぬから〜」なんて
冗談半分、もう半分は本気で言っていた。

30歳でこの世を去ってもいい。本気で思っていた。




それでも、気づかされてしまった。

世界は続いていく。

ぼくがいなくなっても、
大好きな人や、大好きなものは生き続ける。

まだ出会っていない大好きな人やものが、この世界にはたくさんある。

まだ見ていない景色がたくさんある。

友人が結婚や出産で離れていって、
なかなか会えなくなっても、
会った時に「やっぱり友だちだ」と実感できる喜びも、

生きていかなければ、
40歳、50歳、それ以上になった時に会う友人への大好きは味わえない。

大好きなオードリーANN、ヒロアカ、MCU作品が続いていくワクワク感とか
いつか来る終わりも、味わえないのはすごく勿体無い。


それに、もしかしたら、この先、
自分を心から愛してくれる人が現れるかもしれない。




30年生きて、ようやく気がついた。

自分の中にあった希死念慮のようなものは、
未来を思う自分の裏返しでしかなかった。

石橋を叩きすぎる、取り越し苦労、杞憂ばかりしてしまう
INFJ特有の不安だったのだと言えるのかもしれない。

この記事を書いたことで、今の心を整理して
腹を括ることができた。


生きていかないといけない。
生きてさえいればいい。

どんなに不安でも、
寂しくても、
悩みが多くても、
偏頭痛が辛くても、(笑)


この世界を生きるしかない。

その先に 希望があるかもしれないから。


未来が怖くて嫌っていた自分、今までありがとう。
君とはここでお別れだ。



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