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無限ではない時間や空間への対処法

突然ですが、私たちは制限の元に生きています。
なんて書くと、なんだか窮屈な気持ちにさせてしまいそうですが。

これが現実なんですよね。

「いやいや、サブスクとかで”無制限”とかあるでしょ」
なんて思うかもしれませんが、
そのサービス自体は無制限でも、それを使う私たち自身のほうに制限があります。限界と言い換えてもいいかもしれません。

それは、時間的限界、身体的限界(体力や健康等)、空間的限界、金銭的限界・・・等々あるかと思います。

片付けで例えるなら、モノを収めるための家や部屋の大きさに制限がありますし、片付けをするための時間、それに使える体力・精神力、投資できるお金にも限界があります。(限界のライン自体は人それぞれ異なるとは思いますが)

限界を超えると、うまくいくものがいかなくなっていきます。

収納に収まらず部屋にモノが溢れてしまったり、「時間ができたら片付けよう」などと先延ばしにしたがためにその蓄積が後々自分の提供できる時間のキャパを超えてしまったり。

そんな風になったら、体力や精神力も相当必要となりそうですし、プロや業者に頼むとなれば多額のお金も必要になってしまいます。

制限や限界があるということを知っておくのは、決してネガティブなことではないと思います。

制限や限界があるなら、私たちは「選ぶ」必要があります。

または「そぎ落とす」と言ってもいいかもしれません。

収納棚への収納率は、8割程度がよいとされています。
たとえもう2割収められるのだとしても、出し入れや見た目を考えた時、その2割の余白にも役割があるのだと気付きます。

なので、実際のキャパよりさらに2割落として考える、くらいが理想かもしれません。

これは何も片付けに限った話ではなく、日常での時間の使い方、仕事の量、担う役割なんかにも応用できる考え方かなと思っています。

繰り返しますが、制限や限界があるなら「無制限」の中から選ぶ必要があります。
どれも選びたいなら、優先順位をつける必要もあります。

それなのに私たちはつい、選べるものを選べるだけ持とうとしてしまう。
なぜか?

それは、それらが無限にあると漠然と思っているからではないでしょうか。

片付けでいうなら、空間を無視して自分の欲のままにモノを所有していたり、片付けるための時間がいつかは作れるだろうという見立てなどが、無限にあると漠然と思っていることの表れになります。

生きる時間にも制限があると頭では分かっていても、自分には明日はやって来ると漠然と思っていたり。(死のタイミングは自分では決められません)

この「漠然と」というのがポイントなので、対策として考えらえるのは、

目に見えるようにしておく。(視覚化)
数で分かるようにしておく。(数値化)
そして、何事も有限であることを理解しておく。

でしょうか。例えば…

モノだったら、
・仕舞い込み過ぎずに目に見えるようにしておく
・収納のサイズを測っておく
・持っている数を数えておく

時間だったら、
・タイマーやアラームを活用して使っている時間を体感
・一日のタイムスケジュールを書いて見直してみたり、人生タイムラインを作ってみる
・定期的に過去を振り返る(振り返ることで未来に向けて何をいつまでにやるということが明確になる)

言うのは簡単でも、本当に理解するのはなかなか難しいですが…

私は特に「いつ死ぬかは分からない」という気持ちは忘れないようにしたいと思っています。(よく忘れてますけど)

この制限を自覚すると、けっこうしんどかったりもするのですが、(だから私たちは死について考えることを避けようとしますよね)時間が限られているからこそ、できることをできるときにやろうという気持ちにもなれるのです。

空間についても、制限のある中でいかに使っていくかと工夫してみたり、また、空間の制限があることでそもそもそんなにモノはいらないんじゃないかとモノの持ち方を見直すきっかけにもなり得るのです。

お読みいただきありがとうございました。

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◆定期的に過去を振り返る会、やっています◆


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