見出し画像

時間という制限の中で生きるということ

私たちはこの世界に生まれてから時間という制限の中で生きています。

全人類に平等に与えられた、一日24時間という時間。

時間術や効率化などで使える時間を増やせることはあるかと思いますが、1日24時間をそれ以上に増やすことは誰にも叶いません。
(もちろん、感覚としてそれ以上の時間を持っているような"気持ち"にはなれるかもしれませんが)

その時間をどのように過ごすかは、勿論、人それぞれ。
同じ時間を過ごしたとしても、どんな意味付けをするかもその人次第です。

ふと不思議に思います。
「なぜ、時間という制限の中で、私たちは生きているのか」

ある時、こんな言葉に出会いました。


"私たちが時間の存在する地球に生きている理由、それは、
時間という制限を受けることで成長を加速させるため"


これを聞いたとき、なるほど、と腑に落ちるものがありました。

時間という概念が存在せず、永遠に続く命だったら、もしかしたら、ぼーっと何もしないで過ごしていても、ほんのすこーしずつは成長・進化していくかもしれません。
でも、時間に制限があると思うから、自ら行動し成長しようとするアクションが生まれるのかもしれません。


確かに、締め切りがないとついダラダラしちゃいませんか?
お尻が決まっていないと、やらなきゃ!って気持ちがブレがちかもしれません。
夏休みの宿題も、2学期が始まるから間に合わせようと頑張るわけだし。

ちなみに、いつも始業式前日の夜に徹夜して終わらせていたのは私ですが、何か?


ところで、人が死ぬ直前に後悔する事の第一位は
「〇〇をしておけばよかった」
ということだそうです。

やりたいと思ったことをやっておけばよかった
行きたいところに行けばよかった
会いたい人に会っておきたかった
あの人に謝りたかった
等々…


「〇〇をしなければよかった」ではない、というところが印象的です。


やっぱり人は、行動することで

抱えている問題を解決したり
何らかのステージをクリアしたり
自分のより望む姿に近づいていったり

するのだと思います。


限られた時間の中で、やり残しのないように人生を生きる。

何も、ガツガツ行動しなきゃということではないと思うんです。

楽しみながら生きられればそれだけでも十分かもしれませんが、
そこに「成長」というエッセンスがあると人生はより満ち足りたものになるのではないでしょうか。


なんだか悟ったようなことを偉そうに書いてしまいましたが、当の本人は自分の時間を司るのがとても苦手です。
でもね、きっと得意だったらこのように人に伝えることもできないと思うのです。
だって、得意なことって「なぜ?」に対してうまく答えられないくらい無意識にできてしまうことだったりするから。苦手だからこそ、その理由だったり背景だったりを分解して考えるようになるのではないかな。

さあ、あなたが加速させたい成長とはどんなことでしょうか。
人生の終わりに、どんなことを思って、言い換えれば、どんなことを後悔しないように、幕を下ろしたいでしょうか。

私も改めて考えてみたいと思います。


最後までお読みくださりありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?