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誰のためでもなく、自分のために髪を伸ばしている。

長年ショートカットだった自分が、約10年ぶりくらいに髪を伸ばしている。
とても些細なことだが、わりと自分の中では大きな出来事なのでわざわざ書き記させていただく。

◇  ◇  ◇

自分の意思でショートカットにしたのは大学1年生の冬だった。小学校でスポーツをするために長い髪を親に切り落とされてからは、スポーツ生活を離れるまでずっと男性と見間違えられるかのように短い髪だった。「お前、◯◯(クラスの男子)かと思ったわ」と言われることは、割と日常茶飯事。

反抗するが如く高校生大学に入学した頃から髪を伸ばし始め、最終的に大学入学当初は背中の半ばくらいまで直毛の黒髪を垂らしていた。

とはいえ別に長い髪にこだわりがあった訳ではない。長い間髪を伸ばし続けたことで反抗心はナリを潜め、最終的に残ったのはただ単純に美容院へ行くという選択肢を知らない人間だった。

意外や意外、綺麗に髪を伸ばすには定期的なメンテナンスが必要になる。美容院は愚か、元より床屋の1000円カットに通わされていた自分にとって髪とは「邪魔になったら切るもの」という認識で。人から良く見られるために切るということは皆無だった。

もとから癖のない髪であったので、さらさらと手を撫でるような質感を保ったままではあれた。ただ、手入れというものはある意味正直で。それを知らなかった私の伸ばしっぱなしな髪は、出会う人に暗い印象を一層強めるような重さがあったと振り返れば思う。

こだわりもなく、執着もなく流れるように灰色の時間が過ぎていく。
そんなある日、好きな人ができた。
その人は目をまっすぐ見て話すような正直さと、虐待で傷ついていた私を特別扱いしない真っすぐさを持っていた。

その人は言った。「長い黒髪が素敵だ」と。
重たく手入れもしない邪魔な髪だと認識していたのに、何故かその人が言ってくれた言葉は煌めく夜空に一番星が宿るように心へと滑り落ちて来た。自分にとってどうかではなく、その人にとって「綺麗」であるという事実が何よりも自分の心を補填した。

その人はその性格の通り真っすぐに言葉をくれた。そうしてもその人に何のメリットもないことを分かっていて、嘘偽りなく単純に褒めてくれた。それを自覚して、その言葉にそれ以上の意味がないことを理解しつつも自身の髪に「綺麗」だと価値を見出した。

稚拙だと思う。単純で余りにも浅い考えだと思う。若くて青くて、そしてあまりにも泣きたくなるような純粋さだろう。それでもそう言われた言葉の価値は余りにも大きな感情を私に齎して、結局振られた後もなんとなく髪を切らずにいた。

撫でてくれた髪がどんどん伸びていく。
一緒にいた時間がどんどん過去になっていく。
好きだった人を忘れるために会わない選択肢をしても、それでも何故か「綺麗な」髪を手放すことだけはできなかった。

◇ ◇ ◇

そんなある日のAM2:00、衝動的に美容院を予約することになる。心の葛藤は色々あったのだが、端的に述べると「ああこの気持ちも髪も邪魔だな」という不快感から髪をバッサリ切ろうと思った。

おしゃれな美容院へ行き、開口一番に「ばっさり切ってください。もう、いらないんで。」と述べた。

1時間もしないうちに背中まであった髪はフェイスラインに切り揃えられ、お気に入りだった大ぶりのイヤリングはこちらを覗くように輝いていた。

ざまあみやがれ。

誰に向けた言葉だったのか。結局長年好きな人を引き摺ったはずなのに、その時は何故か、清々しい気持ちでいっぱいだった。

次の日、大学へ行くと沢山の同級生にショートカットが似合うと褒められた。中には冗談めかして「失恋でもしたの?」と聞いてくる人も居たけれど、なんとなく失恋で切ったというには相応しくない程に自分でもショートカットを気に入ってしまった。

切り落としたのは髪なのか、執着なのか。

今となってはもうわからないけれど、その時のショートカットはあまりにも沢山の人に褒められたので、今度は髪を伸ばせなくなってしまった。

2ヶ月に一度、美容院が乱立するおしゃれな場所で整えてもらう。私が1番良く見られる髪型で、それを自分自身が好きであれるのは気持ちがいいものだと学んだ私は、今度は他人を魅せるために髪を切るようになった。

◇    ◇    ◇

それから約7年ほどショートカットを保っていたのだが、この度髪を伸ばすという煩わしい行為を選ぶことになる。

理由は単純で、結婚式を挙げるからだ。
ショートカットのままでも良かったのだが、なんとなく編み込みやティアラの輝きにやられて「まあ気に入らなければ切ればいいか」と思い伸ばし始めた。

邪魔だな、と思わない訳ではない。
少々ばかりドライヤーの時間が長くなったことも、寝起きの癖がつきやすくなったことも、煩わしく感じるのは何も変わらない。

ただ、定期的に美容院へ通って整えてもらう度、新しい自分に出会えている気がして少しずつ楽しくなっている。

さらさらとこぼれるような長さはまだない。
ひょっとしたら式までに肩まで伸びないのかもしれない。
それでもあの頃のように好きな人が褒めてくれたから伸ばしている訳でもなく、大勢からの承認を得られるからそうしているわけでもない。

煩わしくてもコテで髪をゆるくカールさせておしゃれを楽しむことの方が、私にとっては幸せだということを遅ればせながら自覚した。

それは私に一番似合うような髪型ではないのかもしれないし、もしかしたら「ショートの方が似合っていた」と言われるものなのかもしれない。

けれども、かつての私よりもずっと自由で美しい姿の現在だと思う。他者から見てどうこうではなく、私自身が満足している。
それは誰かから称賛を得るよりもずっと難しくて、尊いものなのかもしれない。

もうすぐ春になる。
梅が咲き乱れて、交代するように桜が街路樹をピンク色に染め上げるだろう。

そしてその桜が葉桜になるころ、私は結婚式を挙げる。長い冬があけて春が来るように、私もまた自分の意思で己の幸福を追求できる人間に変化しているのだろう。

誰のためでもない。自分のため、好きな人に好きな自分を見せるために、私は今日も髪を伸ばす。

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