スカートを履けなかった過去の私へ

昔の私はスカートが履けなかった。その理由は二つある。

まず1つは親の視線だ。私の親は私の女性としての成長を快く思わず、遠慮なく身体に触れてくるような人だった。香水を好めば"売女"、綺麗な服が欲しいと言えば"男を誘惑している"と言う。それだけでは飽き足らず、身体の特徴を人前で論う。思春期の私にとってそのすべてが不快で堪らず、親にも他人にも肌を見せたり女性らしい格好をしたりすることが怖かった。

2つめは、よくもまあここまで逸脱してるなってくらいに身体のサイズが平均から遠いことにある。

身長は平均+8 cm の166 cm。長く続けていた水泳のせいで発達した肩幅と,テニスで鍛えられた肘周りの筋肉にフレーム感の強い指。遺伝的に腕は細いけれど腰回りは広くて肉付きの良い脚。よく言えば個性的で、悪く言えばなにもかもがアンバランスで統一感がない。
骨格診断も診断してもらったけれど、全ての要素を持っているためどの骨格かは明言されなかった。

親の目を盗んで買った服は身体のふとましさを強調し、試着室では溜息をつく。ああ、一度でいいから試着をせずにネットショッピングで散財してみたい。片手で掴めそうなくらい細いウエストと華奢な肩幅で”守りたくなる”ような女の子になってみたい。はいる服じゃなくて好きな服を選びたい。そもそも誰の目も気にせず可愛い女の子になりたい。
自分にとってスカートは"可愛さ""女性らしさ"の象徴であり、最早神格化していたのかもしれない。けれど服を買う瞬間は身体の醜さと己の地味さを直視する時間。だから服を買う行為は怖かったし、私は自分の身体が嫌いだった。

だがその恐怖は、18歳の春に払拭されることとなる。

その日私は原宿に来た。カラフルな配色と雑誌から飛び出してきたようなセンスのいい女の子が沢山いる中で自分の周囲だけが色を失っていた。とても怖い。話し声が私をあざ笑っているかのように聞こえる。偶然かち合った視線が、私は場違いな人間であることを物語っているように感じた。それでも、後戻りすることは許さない。顔をあげてINGNIに足を踏み入れた。

大学に入学してすぐ、地味で浮いている自分に案の定ものすごい自己嫌悪が襲ってきたことを今でもはっきり覚えている。家に帰って大泣きして、田舎のダサい服を見つめてどうしようもない惨めさと虚しさで消えてしまいたくなった。太っているうえに勿論化粧なんて知らないし、女性としての魅力が死んでいると本気で泣いた。周囲の女の子はきっと親に愛されてて、雑誌から出てきたみたいに輝いていた。センスがいいのは一目瞭然で,18歳という時間を存分に楽しんでいることが私にはつらかった。

お洒落をしてみたい。でも怖い。
相反する気持ちがぶつかり、勝ったのは前者だった。

このまま恐怖に支配され続ける時間に意味はない。どこかで変わらなければ一生嫌な自分で生きていくことになる。それだけは避けたかった。
どうして私は家を出た?何のために私は上京した?自由を手にするためだ。私の人生を生きるためだ。失われた尊厳と人権を取り戻すには前に進むしかない。

私は立ち上がった。立ち上がって、一番マシに見える服を着て電車に乗った。向かうは原宿。カワイイとアートの街原宿。ここで私は可愛いを手に入れるんだ。

そうして私はINGNIへやってきた。ゆうちょで貯めていたお金をおろし、震える指で服をめくった。
水色のガラケーであらかじめ調べていた情報を脳内で反芻する。INGNIのいいところは、価格が安いだけでなく服のラインが細すぎないこと。服にストレッチが効いているものもあるということ。流行をさりげなく取り入れながら王道カワイイを外さないところ。情報の通り、目の前の服は私でも着れそうなものが沢山だった。

悲しいことにセンスが育っていなかったので、マネキンや雑誌をお手本にして何着か試着することにしてみた。
営業スマイルの美しい店員さんに声をかけ、試着室に入る。紺色で首が浅くU字に開いており、袖にリボンが付いたトップスと膝丈の白いスカート。入店して一番に目を惹いた組み合わせ。果たして、これは私に着こなせるのだろうか。

だが不安に思う必要はなかった。そこに映っていた自分は、どこからどう見ても"普通の可愛い女の子"だったからだ

自分に似合う服がこの世に存在するというのは生まれて初めての感覚だった。しかもスカート。憧れていたものを自分は手にすることができる。選んだものに選ばれている。息が詰まった。試着室で声を出さず泣いた。
ああ、自分もきちんと女の子だったんだな、という安心と共にもっと可愛い服を着てみたいなという欲求が湧き上がるようだった。

勿論その服は購入し、後日勇気を出して大学に着ていくことが出来た。その日以来、私は徐々にスカートを履くことへ恐怖心を抱かなくなっていった。

あの日から約6年経った今、私は躊躇なくスカートを履けるようになった。試着室で溜息を吐くこともあるし、ネットショッピングで失敗する日もまだあるけれど確実に昔の私とは違う。

もし、あの頃の自分に出会えるとしたらそんなに悲観的になる必要はないよと言いたい。

未だに服探しは難航するし、痩せても骨格はどうしようもできないし、華奢な人を見て羨ましく思う日もある。でも貴方は身体の欠点をカバーして長所を生かすような服装がわかるようになったし、似合う服を他者に頼らずとも着れる大人になっているよ。

今の貴方は自分の見た目を卑下したり嫌悪感を抱いているだろうけれど、それは自分の良さや似合う格好を知らないだけだと思う。背の高い所やメリハリの付いた身体は他人から羨まれるものだし、案外どんなジャンルの服でも着こなせるよ。私は色が白くて派手な色が似合うから、王道カワイイじゃなくて個性的な服が映えるよ。

なにより、私には自分のために行動する力がある。泣きながらも冷静に考えて自分にとってよい結果となるような行動を選ぶことが出来るし、勇気を出してスカートを履いていくことだってできる。親の呪縛から逃れることだってできるし、自分を変えるために努力をすることができる。
見た目だけではない人としての良さをきちんと持っているから貴方は自分の足で歩いていくことができるよ。

苦労は沢山すると思うけれど、最後には幸せを選べるから安心してね。
過去の私に負けないように未来の私も美しくなるから。だから、安心してスカートを履いてね。







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