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寧静なる言の葉に守られて

30歳の記念に、島根にひとり旅をした時の話である。

出雲大社に行ってみたかったこともさることながら、日本海を一度、眺めてみたいと思ったのだ。

二泊目を仁万にある城福寺ユースホステルに決め、翌日に鳴り砂の浜として知られる『琴ヶ浜』に行こうと決めていた。

お寺では、博多からご年配のご夫婦が二人旅で宿泊しており、夕飯をご一緒させていただくことになった。旦那さんが持ち込んだ美味しいお刺身をご馳走してくれ、夫婦二人であちらこちらに旅をしてきたいろんな話を聞かせてくださり、楽しい時間を過ごした夜であった。

翌朝別れを告げて、住職さんが仁摩サンドミュージアムまで車で送ってくださった。

そのあと仁万駅まで歩き馬路駅へ向かった時のこと。

早々に馬路駅に着いて電車を降りようとした時に、お婆さんとちょうどタイミングが合ってしまったので、「どうぞ」と先に降りていただいた。

わたしは帰りの電車時刻を見ておこうと、フェンス伝いに裏手に回って、時刻表を確認していた。

さあ、ここからどうやって行くのだろうと前を向いた瞬間、とうに先に降りたはずのさっきのお婆さんが、こっちを向いて佇んでいた。

『あれ?どうしたんだろう・・』

するとおもむろに私に近寄って来て、どこから来たのかと尋ねてきた。

「埼玉からです」

「遠いところから、よう来たのう」

海に行くには季節外れの9月も半ばすぎ、冷たい風が辺りを吹き抜けていた。

普段見かけないような私みたいな人が、この時期にどうしたんだろうと心配になったと言う。

「海をね、見てみたくなって」

そうかそうか、とにっこり微笑んで、浜辺に出る近道があるから、案内するよと一緒に歩いてくださった。

別れ際、

『風が寒いからね、気をつけるんだよ』

そんなような言葉をかけてくださったと思う。もう15年近く前のことで、会話はおぼろげであるが、あの優しい眼差しと、かけてくださったその言葉のあたたかい音が、わたしのこころに沁み入てこの先も決して忘れることはないのだろう。

浜辺はさらに風が強くてビュービューと吹かれながらも、こころ穏やかに安心して、ただただひたすらに心ゆくまで海を眺めたのである。

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