「プロフィールを書いてみよう」に共感し自己紹介を書いていたはずが、気付いたら5万字近い文章になり途方に暮れた話
はじめまして、SPHERE+OLOGY(スフィアオロジー)と申します。
noteという媒体を知り、約半月、毎日黙々と小説を上げ続けた結果、
自分の中で様々な収穫がありました。
いわゆる「やってみた」ならぬ「やらかしてみた」という
自己フィードバック記事になりますが、お付き合いいただけたら幸いです。
※本題に入る前に、お伝えしたいことがあります。
そこそこ長い小説にも関わらず、
目を通していただいた方々がいらっしゃいます。
心より感謝申し上げます。
驚きとともに恐縮しております。
それでは、さっそく本題に入りたいと思いますが、
せっかくなので私の「やらかしポイント」を晒していきたいと思います。
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やらかしポイント1「あなたは誰ですか問題」
これはなかなかの致命傷です。
学校などの「小さなコミュニティ」では、
運営が個々の所属メンバーの一定の情報を認識し、管理しています。
個々の所属メンバー同士が初対面のときは、自己紹介⇒相互の関係性を構築していくことが王道スタイルですね。
関係性を構築していく過程で、「あだな」や「呼び名」の称号を得るタイミングがあったりします。ポジティブなモノから、ネガティブなモノ、偶発的なモノから、必然・不可避なモノまで様々ですよね。
ある程度は、「自己プロデュース」次第でコントロールできたりもするのですが、その「巧拙」が顕著に出るのが名称だったりします。
ちなみに私が学生時代に得た称号で印象的だったのは、
・小学生時代の「暴走ピアニスト」
・中学生時代の「影の統治者」
・大学生時代の「カルロス」
自己プロデュースに失敗してきた学生時代を送りました。
「暴走ピアニスト」と呼ばれるようになった経緯は、小説「名前のない木」の中の逸話に書いておりますので、思いっきり宣伝していますが、気になった方は読んでいただけたら幸いです。
「リアル社会」といった大きなコミュニティでは、
所属メンバーが不特定多数になりやすい性質から、”一期一会の出会いであっても大事にしよう” という目的で「名刺」という「便利なIDツール」があるわけです。
ビジネスでは「信用性」がより重視されることが多いことから、
「私はこういうものです」というツールの必要性は一層高まりますね。
「ネット社会」では、
一定の匿名性が担保される性質から、「リアル社会」ほど個人情報は重要視されないケースが多いですが、それでも不特定多数のメンバーから、個を認識するためには「名前」と「プロフィール」がないと、やはり「あなたは誰ですか問題」が発生するわけです。
以上の考察を踏まえて、私の現状に照らし合わせてみます。
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やらかしポイント2「名前が認識しにくい問題」
私の名前は、英語でしかも造語です。
スフィアオロジーと読むのですが、おそらく初見の人は「変な名前!」
と敬遠するリスクを自ら高める悪手ではないでしょうか。
また、造語ゆえに「説明文がない」と意味を為さないのが致命的です。
基本的には「認識されやすい、または覚えやすい名前」
あたりが良いと思います。
ちなみに、私は自社も難解な英語の造語をつけています。
新規の顧客や弊社の担当者が変わるたびに、
「日本語では、どう宛名を書けばよろしいでしょうか?」
と質問させてしまう傍迷惑なことを相手に押し付けています。
本来は、相手や第三者に「余計な負担をかけさせない」配慮
これはかなり重要なことですね。
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やらかしポイント3「プロフがない問題」
「自己紹介・プロフィールがない」ということは、
『もしかしてこの人やばい人なんじゃ』というヒトコワ(人が怖い)警戒が発動するリスクを爆上げします。私のケースでは、小説の内容が「怪談・ミステリー」でしたのでなおさらです。
さらに、『この筆者はどういうジャンルを書く人なのか?』という疑問も当然生まれます。読者が求めるもの、いわゆる「デマンド」は細分化していくものなのですが、私が提供するもの、いわゆる「サプライ」であるカテゴリーが不明なままなのは、致命傷です。
「パスタが食べたい」という人に「牛丼を提供する」
もしかしたらギリギリヒットするかも・・・というマーケティング手法も存在しますが、なかなかのハードモードです。
「食べたい人」に「食べたいもの+α」を提供する。
やはり、これが定石ですね。
ということで、やらかしポイント1,2,3をまとめると、
1.「あなたは誰ですか問題」が起こりやすい
その解決策の一つとして、
2.「自己プロデュースが大事」
つまり、
3.「プロフィールが大事」
ということなのですね。
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やらかしポイント4「文章の長さ問題」
これは、文章を書いている途中から薄々気づいていました。
noteのたいへん便利な機能の一つに、下書きに現在の文字数がリアルタイムで表示されるので、1万字を超えたあたりからどうしようかと悩んでいました。
最終的に5万字を超えたことで、「これはさすがにまずい」と途方にくれました。添削を試みるも4万字にしかならない。
もちろん、読者を引き込める内容であれば、文章の長さを気にする読者は少ないはずです。そういう読者は「むしろもっと長く書いてほしい」と思う可能性が高く、私自身も読者のときはそう思います。
しかし、筆者としての視点では、
「そもそも読んでくれる方はいるのだろうか?」
という根本的な疑問がムクムクと膨らみます。
加えて、私が描いていた内容は「プロフィール」だったのです。
プロフィールに4万字の自己紹介を載せるのはどうなんだろう?
ということで、思い切って「自己紹介」ではなく「小説」として再構築し、
24分割にして毎日投稿に切り替えました。
ここで新たなやらかしに気付きます。
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やらかしポイント5「分割によって全体構成が崩れる問題」
1章から読んでいただける方を前提に分割したことにより、
途中から読まれる方は話についていけず「置き去り」にしている可能性が極めて高い。
「文庫本などの最初から読まれる方をイメージしていたこと」が、やらかしとなった主要因ですね。
noteのようなタグや画像などから、気軽に「記事」にアクセスしやすい環境を構築している媒体では、「たまたま見ていただいた方でも入り込みやすい導入、仕組み」が重要でした。
これは、やらかし3でも触れた「デマンド」⇔「サプライ」
をいかに成立させるか、という基本に回帰しますね。
実際に、読んでいただいた方の反応も、タグや画像に沿った章内で完結するエピソードがある章は「反響がより大きい」というのが数字に現れました。
名作とされるドラマやアニメなどでも「残念回」と評されるものが存在したりします。純粋に残念なものだけでなく、谷と山を作るためにあえてニーズを外した内容を盛り込むなどの狙いがあったりもしますね。
「全体構成、章内構成という読者にとって分かりやすい視点作りや、それを逆手にとった複雑な視点作りなどの技術が上達していくと、筆者も読者も一体になって、楽しめる確度が高くなる」
ということが改めて良く分かりました。
一方で、「1章から全部読ませるぐらいの文章を書けば解決しますよ」というご指摘もありそうですが、それもごもっともで、読者が偶然目にした章で「引き込ませるテクニック」も磨いていくことが重要ですね。
『引き込まれて、突き放される』こういう感情を揺さぶらせるような文章と出会うことが、私にとっての理想なのだと気付きました。
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まとめ
執筆している間、「もしかして自分の中の隠れた才能か?」と自己陶酔によって自己評価が爆上げになるも、次の日に書き終えた文を冷静に読み、一気に現実に立ち戻るという心の葛藤が、頻繁に起こりました。
「修正しつつパッションで押し切る」という衝動に突き動かされたことが、
貴重な経験でした。
「やらかしを楽しむ」
ながながと書き連ねてきましたが、これに尽きます。
「あっ、この人はまたやらかすぞ」
「この人、重要なやらかしポイント分かってないな」
「あなたは誰ですか?」
という生ぬるい目で見ていただける方がいらっしゃっいましたら、
私にとって一番の喜びです。
この自己フィードバックが、どなたかの役に立つのかは大いに謎ですが、
「こういう事例があったらしいよ」というご報告になります。
それでは、よい執筆ライフ、読書ライフを。
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