名前のない木 17章 検証
仮説の検証
ザクッ ザクッ
小石交じりだが、雑草ごと土を掘る。掘った土は横に広げて何もなければ同じ位置に埋める。そこまで暑くなかったのがよかった。
ただ、体を動かすことをさぼっていたためか、スコップのヘリに足を掛けるときに、太ももの筋肉が張る感覚が分かる。
これは筋肉痛になるだろうな、と感じたが、深さは30cmも掘れば十分なはずなので重労働ではない、と言い聞かせる。
同じ動作を繰り返す作業は、肉体と精神(思考)が分離する感覚が私は嫌いではない。仕事で重要なテーマを考えるときは、プールで泳ぎながら考えることをルーティンにしていた時期もあった。
掘っている間に「スコップ」と「シャベル」の名称の違いは、『何か形状、用途、機能、歴史的な差異があっての区別なのかどうか』が無性に気になってくる。
いやいや、「スコップ・シャベル問題」よりも「仮説の検証」を進めよう
と意識を集中する。
「さっき考えてたんだけど」
ザクッ ザクッ
「倒れてた自分を運んでくれたときに、双眼鏡をポケットから出して出窓のところに置いたのは母さん?」
作業を続けながら母に問いかける。
「双眼鏡?」
――母の沈黙が続く。母が置いたとしてもさすがに忘れてしまった可能性は十分にある
と思った時、口を開く。
「・・・あぁそうね。お父さんがあなたをベッドに降ろした後、着ていた上下の服が雨と土で汚れたから、ベッドシーツも汚れたのよね。だから、私がパジャマに着替えさせようとして、ズボンを脱がしたら片方のポケットの中に泥まみれの双眼鏡が入ってたわ。ポケットの中の汚れって面倒なのよ。」
――やはり
「双眼鏡も泥の汚れがひどかったから、水で洗い流したんだけど、隙間に泥が詰まっててたから、落とすのに面倒だったわ。その後どこに置いたのかまでは覚えてないけど。あれ、お気に入りの双眼鏡だったんでしょ?」
そうだね。お祖父ちゃんがくれた双眼鏡だったからね。と私は答える。
人は”嫌だったこと、面倒だったことほど記憶に残りやすい”という説をよく耳にするが、今回はこれがプラスに働いたのかもしれない。
――『母がポケットの中をチェックしていたこと』が確定した。
『カメラがポケットに入っていなかったこと』も確定となる。
となれば、いよいよここにカメラが存在する可能性が高い
ザクッ ザクッ
掘り始めてから20分は経っただろう。直径4~5mぐらいの円になるように反時計回りで螺旋状に掘り進めてきた。
休憩をとろうと顔を上げて、ふと掘った周囲を眺めてみると、ミステリーサークルを作ってるような感覚になってきた。
いつのまにか母は自宅と往復していたのだろう、紙パックの野菜ジュースを渡してくれた。「ありがとう」と受け取り、一気に飲み干す。
わざわざ会社を休んで実家に戻ってきたにもかかわらず、雑草が生い茂る荒地を汗をかきながら、黙々とスコップで掘っている。
母からしたら「奇異な行動をする息子」を心配するのも当然だろうな、
と見つからない焦燥感からだろうか、自虐的な思考が渦巻いてくる。
「検証行為とは、淡々と事象を掘り下げる、掘り進めるものなんだ!」
と、文字通り土を掘っている自分自身に言い聞かす。
疲れなのか、上手いことを言ったような自己満足感が心地よい。
『掘りつづけるんだ』
義務感ではなく、使命感をモチベーションの軸に置き、掘りを再開する。
すると、8割ぐらいまで掘ったところで、
スコップに乗せた土の中にプラスチックのようなものが見える。
――これは!?
苗木のように土から生えている草を手で引っこ抜き、土を手で優しくもみほぐしていく。
土に埋もれたカメラはたしかにあった。
ただ、外のケースが割れていたことが原因なのだろうか、原型はほぼ留めておらず、土から出したときにはバラバラになっていた。
――くぬぎの木を伐採したときに、クレーン車や木に押し潰されたか、業者の人に踏まれたか、それとも単なる経年劣化か?
内部も泥が入り込んで固まり腐食していたが、間違いなくあの時代のカメラの残骸だ。
「やっぱりあったよ」と離れたところに立っている母に、カメラの残骸をスコップに乗せて見せる。
「おぉーすごいわね。」と驚く母。
「これは昔のカメラ?フィルムも現像できたら良いけど、これじゃ無理そうね」
と残念がっているが、私のメイン目的はそこではなかった。
これで「母が話した内容が事実」ということが確定した瞬間だった。
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