見出し画像

植物の病原菌


<植物の病原菌>

植物の病原菌の特徴的なことは糸状菌(菌類のうち菌糸を伸ばす菌の総称、カビ菌など)によって起きる病気がほとんど、ということだ。ヒトの病原体は細菌とウィルスがほとんどである。ヒトの糸状菌の病気は白癬(水虫、たむしなど)やカンジタ症などごく限られた例しか知られていない。

植物は2018年現在、433の植物種で、計1万802種類の植物病害が日本で報告されている。そのうち糸状菌が8217種、細菌(ファイトプラズマを含む)が714種、ウィルス(ウイロイドを含む)が679種。つまり、約80%が糸状菌によって引き起こされる。

糸状菌の仲間は約150万種いると考えられ、そのうち生きた植物に病気を起こすのはたったの10万種ほどだ。一方動物に感染する真菌は日和見菌(他の理由で弱った動物に感染する菌)の例を除けば50種ほどで、糸状菌はその宿主として植物をお得意様としている。ほとんどの病原体は動植物の遺体などの有機物を栄養源として生活している。

病原体はどこから運ばれてくることもあるが、多くは土着菌として畑の中に潜んでいる。病原体は自然生態系で誕生し、その中で感染生活を送っている。病原体がいるから病気になるのではなく、植物に過度なストレスがあり、付け入る隙があるから病気になってしまう。

植物はそもそも病原体に簡単に侵入させないために、特殊なバリアを持っている。動物にはない植物壁に加えてワックスやクチン質からできるクチクラ層を持つ。その壁を打ち破って中に入るために、病原体は毒素を作る。この毒素を作る胞子は水がなくては発芽できない。あらゆる細胞内で起きる化学反応に水が必要なように、実は感染にも水が必要なのだ。そのため多湿の日本では野菜の病気が発生しやすい。

土壌中の病原体は根に感染するよりも葉から感染するものがほとんどだから、泥跳ねを防ぐマルチは必須だ。植物は身体中に水を弾く組織を持っている。植物が雨に降られても雨合羽のように水を弾いているのが観察できるだろう。そのため病原体は気孔や傷口などから内部に侵入する。

植物は葉に病原菌が存在すると気孔を閉じることがわかっている。細菌がもつ鞭毛を感知しているようだが、鞭毛を持たない病原体をどうやって感知しているのかは未だにわかっていない。

植物は身体が傷つくと傷ついた細胞からグルタミン酸が流出する。すると数十秒ほどで全身にCaイオンシグナルが伝わっていく。この反応は動物の神経における興奮の伝達とよく似た仕組みで、どうやら動物と植物には何か共通した原理が働いているようだ。このグルタミン酸は私たちが旨味と感じているもというのも面白い。

植物は侵入してきた病原体に対しても対策を持っている。たとえばお茶やソラマメなどに含まれているカテキンのように、私たちの身体にとって薬の役割をしてくれるものもある。逆にトマチンなどのように弱い毒性を示すものやソラニンのように若い芽を守る役割を担うが強い毒性を示すように私たちにとって不都合な物質もある。

また感染してしまった細胞を自ら殺す動物で言うところのアポトーシスのようなこともする。これを過敏感反応という。大抵の病原菌は細胞が生きている間だけ繁殖できるので、細胞が死んでしまえば繁殖できなくなる。過敏感反応は細胞死だけではなく、それ自体が強い抗菌性を持っているため病気が広がることを防ぐ。

植物に感染し、宿主自体を食べ尽くしてしまうと胞子や菌核などの耐久体で土中内に潜むが、他の土壌微生物によって食べられてしまうことがほとんど。ジャガイモなどの疫病菌などもそれほど長く生き残れない。前年に感染した種芋を使わないようにすることで十分に防げる。糸状菌たちは数年しか生きることがないので、病気の予防も対策も輪作が有効だ。ただし、根瘤病菌などは七年以上も生き続けるので輪作で防ぎきれないこともある。

生物多様性の世界では何か一つの種だけが繁栄することがあり得ないから、畑の外に持ち出して焼く必要はない。通路もしくは雑草コンポストの中に入れてしまい、その病原体の天敵のエサとすれば良い。

微生物界全体で見るとほとんどの病原体は特殊な環境条件のもとで、さらに宿主の防御力が低下した時のみ、感染し繁殖する。また、土中内には圧倒的に天敵の方が多い。そのため土中内は常に均衡と抑制のバランスが働いているため何か一つの種だけが繁栄することはあり得ない。つまり、農薬はこの抑制能力を奪い、均衡を崩してしまっているのだ。土壌殺菌をすると確かによく育つのは、病原体がいなくなり、殺された生物の栄養分を吸い込むためだという。いずれにしても必ず病原菌は戻ってくるのが生物多様性の世界であり、レジリエンスの高い日本ではそのスピードは恐ろしく早い。そのため農家は何度も土壌殺菌を強いられ、やればやるほど土中内の微生物群は多様性を失い、無農薬・無肥料栽培から遠ざかる。

農業現場ではそれまで知らなかった作物病害が突如発生し、多大な被害を及ぼすという新病害の報告が後を絶えない。海外から持ち込まれることもあるが、日本で初めて見つかった病原菌も多い。新たな病害の発生には新たな作物品種の導入に加え、栽培様式の多様化も関係している。
また微生物の水平伝播によって毒素の遺伝子が広がり、一斉に病原菌が発生したように見える。

水平伝播とは生殖を行うことがない異なる種の間で遺伝子が受け渡される現象。細菌内ではよく一般的に起こっている現象で、ナス科植物の青枯病菌のゲノムは全体のうち約13%の遺伝子が他の細菌種に由来する。またマメ科植物に寄生し共生関係を育むチッソ固定菌は約7000万年前に共生関係を確立したが、進化的に遠縁の多数の種が含まれているという。

生物多様性の世界では植物種に壊滅的な被害を及ぼすような病原菌の発生は一時的な現象であるか、あるいは非常に稀なケースだ。自然状態では多様な性質を持つ集団であるはずの植物が単一的な集団として現われば、病原菌が感染した時の被害は拡大しやすくなる。その代表例が慣行栽培の現場だ。

自然界では多様性を持つ集団である植物種と微生物種のバランスの取れた関係が熟成され、安定した生態系になるのに対して、特定の品種が広い面積に一様に育てられているという農業現場は自然の中では特殊な状態であり、病原性を獲得した微生物を育てるような役割さえになっている。田畑における病害の大発生はヒトが発明した農業という営みによって誕生したのは必然であると言える。

今現在、病原性を示さない遺伝子は過去は病原性があったことがわかっている。そのため現在病原性を示す遺伝子は数年後には病原性として認められないかもしれない。今もなお病原体と植物は共に進化しているのが地球の生態系である。

遺伝学者であるホールデンは病原体が宿主の進化の原動力であると提唱し、「まだ私たちは地球上の植物と病原菌の関係のうち、ほんのわずかしか分子レベルでの攻防を知りません」と述べている。

「共生」という言葉を作った植物病理学者アントン・ド・バリーは「異なる生物が共に生活する」というすべての現象に対して共生という言葉を使った。つまり現在「寄生」と呼ばれている関係も含めていたのだ。それがいつの間にか共生と寄生はまるで別物のように扱われている。

ムギに感染して、ヒトに中毒を起こす麦角病菌は今でもどきどき中毒事故の発生が報告されている。ヒトにとって毒素を作り出せば病原菌と呼ぶが、ムギからすれば哺乳類からの食害を防ぐ共生菌かもしれない。また、植物の生育のステージや環境の変化にともたって共生的であったり寄生的であったりと変化することも数多く報告されている。チッソ固定菌はマメ科植物と初めは共生関係を結ぶが、マメ科は種子を熟成する段階になると共生関係を一方的に断ち切る。現状では一見すると植物と病原菌の関係であっても、その後の進化によって相利共生関係に発展する可能性がある。いったい微生物の世界をヒトの物差しで測ることができるのだろうか?



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?