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「たったこれだけ?」と思ったら


<畑の哲学>「たったこれだけ?」と思ったら

と畑をしていると言いたくなることはよくある。特に無肥料を基本とする自然農では収量の少なさにショックを受けることも。

ここで素人は他者のせいにする。
土が悪い。タネが悪い。苗が悪い。
害虫のせいだ。病気のせいだ。害獣のせいだ。
天気が悪い。講師が悪い。農法が悪い。
温暖化のせいだ。気候変動のせいだ。隣人の除草剤のせいだ。

自然農は積み重ねだ。今日この日にあなが受け取るギフトはこの3~4ヶ月間のあなたの行いによって決まる。あなたが野菜に対してしたことはすぐに返ってくる。自然は間違えない。間違えているのは「あなた」なのだ。

だから、野菜からのフィードバックを受け取って自身の行いを反省しなければ、来年も同じことをするだろう。
自然から学ぶには、自然に抗う必要がある。

代わって、あなたが地球に対してしたことは巡り巡って還ってくる。たとえばこの数年間、土にしたことが今現在の土を作ったのだ。たとえばこの数年間、虫にしたことが今現在の虫の多さを生んだのだ。

だから、自然農では野菜のことだけじゃなくて土のことも虫のことも学んで活かす必要がある。畝の上だけに手を入れるのではなく、通路も畑全体も里山全体もケアをし続ける必要がある。

これらすべてをごまかすことができるのが肥料と農薬である。究極の対処療法とも言えるくらい、効き目が強い。しかし、効き目が強いものほど体力を削るものはない。使えば使うほど、畑と里山の体力を削っていく。

自然農は積み重ねである。植物、虫たち、微生物たちと一緒に数億年かけて作ってきた土も生物多様性システムがあってこその自然農である。それをあっという間に削ってしまうから肥料と農薬は世界中で砂漠を産み続けているのだ。

自然農が肥料と農薬に頼らないのは決して思想の問題ではない。豊かな土壌と生物多様性の世界を作り出す唯一の方法だからだ。そして、それにもってこいの国こそ、この日本である。

『自然農は徒歩旅に似ている』とよく思う。周りから、そんなことしてどうする?的なことを言われたり、それよりも車や鉄道に乗った方が早いよ?と言われたり、まぁ、とにかく周りからアドバイスやら疑問やらなんやらたくさん声が届く。もちろん、そんな誘惑もたくさんやってくる。

徒歩旅はやることがたくさんあるし、すべてが地味だし、すべてが予定通りにいかないし、計画すらままならない。大雨が降ったり、暑さに苦しんだり、マメができたり、膝を痛めたり。というよりも、そもそも先の見えなさに歩き始めることすら躊躇する。

いざ、始めてみると止まる言い訳もやめる言い訳もたくさん思いつく。自分にはそんな才能はない。努力なんて向いていない。もともと知識が足りない。全然、体力がない。

みんな同じことを言って立ち止まり、やめていく。歩いていても誰にも気づかれないし、誰にも褒められない。お金が増えるわけでもないし、資格を獲得できるわけでもない。書いていて、こりゃぁ、誰もやりたくならないなって思ってるw

でもね、やっている人にしか分からない世界がある。やった人にしか感じることができない世界がある。自分の体に確かに刻まれていくものがある。それを表現することも伝えることも、とても難しい。

だから、「とりあえず、やって」としか言えない。徒歩旅は歩かない限り、ゴールすることはできない。徒歩旅は一歩一歩、小さな歩みの積み重ねでしか進まない。しばらくして、振り返ったとき始めて分かる。自分がしてきた一歩一歩の意味を。周りが無意味だ無意味だと言ったその旅の、重大な意味を。

ここまで書いてみて、気づいたことがある。徒歩旅ってやったことある人、少ないなぁーw

だからね、ああだこうだと言い訳や諦める理由が頭の中で湧いてきたら、

とにかく、畑に行け
とにかく、タネを蒔け
とにかく、草を刈って敷け
とにかく、積み重ねろ、バカ。

と言い聞かせてほしい。それができるのはあなたしかいないのだから。そして誰にでもできることを積み重ねた先に得られるものは、積み重ねた人だけなのだから。


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