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お盆と火と祭り


<季節行事の農的暮らしと文化 8月 お盆と火と祭り>

8月の一大行事といえばお盆だろう。いまでは仏教的な行事が色濃く残っているように思えるが正月の行事と似ているところがいくつかある。
盆の盆花迎えは正月の松迎え、盆棚と年徳棚、盆の無縁仏と正月のオミタマ様、盆の柱松火と正月のドント焼きなど。

中国伝来の父母を供養する仏事・盂蘭盆会と日本古来の先祖を敬い、感謝する祖霊信仰が混ざり合った日本独自の行事だ。地域によって違うがマコモで編んだゴザを敷き、季節の果物や野菜、食事やお菓子、盆花などを備える。

神送りの人形に対して多く船や馬が作られる。
盆には馬がナスかきゅうりで作られ、祖霊はこれに乗って帰るのだという。これを精霊馬という。
神様は馬に乗ってくるものだと広く信じられていて、神社の神馬も要するに神の乗り給う馬であった。

ほかにも八朔の節句ではタノモ人形(団子で作る)を形代として使う。
この時期によく見かける精霊バッタはよくおんぶしている。このペアは親子に見えるが、実は夫婦。

年始に占いをするイメージが強いが、8月のお盆や名月の夜に綱引きをして年占いをしていた地域もあった。夏祭りに喧嘩のようなスタイルがあったのは一種の賭け事であり年占いの要素が強かったためだ。負けては不作になるという。それは確かに負けられない。祭りのチームが地域を代表するのもこういった訳がある。夏の運動会によく開催される綱引きには神事の名残りがある。

13日の夕方に御霊を灯火でお迎えし、16日に灯火でお送りするの一般的。迎え火や送り火でも使う苧殼は麻の茎の皮をはいだもので空間を清める働きがあり、聖なる火で先祖の霊を送迎した。神道でも死んでからきちんと遺族が祀ることで「祖霊」となり、季節の行事を通して丁重に迎え入れて送り出すことで、祖霊の力で家を守り、家を守ることが祖霊を守ることと同じ意味合いがあった。祭りは先祖とのつながりを感じる大切な神事のひとつだった。

現代では終戦記念日に合わせて、灯籠流しがされる。先祖の霊を送る灯火を川に流す行事が、現在では戦争の犠牲になった人々への祈りも込められている。広島では原爆の日に、長崎では初盆に霊を船に乗せて見送る精霊流しが行われる。夕方の薄暗みの中、川面にいくつもの揺らめく火が流れていく。ヒグラシの鳴き声を背景にしたその情景はいくつになっても胸を打つ。

京都では五山の送り火が季節の風物詩として有名だ。東山如意ヶ嶽に「大」、松ヶ崎西山に「妙」、東山が「法」の字。続いて西賀茂船山に船形、金閣寺大北山に左大文字、嵯峨曼荼羅山に鳥居形が灯される。この神聖な浄火を杯に組んだ水やお酒に映してから飲み干すと病気にならないという験担ぎがある。ぜひとも取り入れたい。

夏のお盆の時期の前後にかけて全国各地で花火大会が行われる。この花火もまたお盆の送り火が元になっているという。全国に花火師が技術と伝統を受け継いでいることからわかるように、夏祭りに花火は欠かせない。
火は神とヒトをつなぐ神聖な道具であり、邪気を払う聖具でもある。
最近ではキャンドルナイトや竹を使った灯篭など、バリエーションが増えている。

まだ日本の地方では集落ごとに盆踊りが小さく行われている。
この踊りもまた先祖が帰ってくるタイミングで行われ、送る行事だった。もともとは神を送る行事だったものが、先祖も一緒に迎えて送るようになったようだ。

鎌倉時代に広まった厄祓いと死者の鎮魂を願う念仏踊りが、祖先を祀るお盆の風習と混ざり合ったのが盆踊りで、三味線や太鼓、笛などに合わせて踊る。集落の中心地に櫓を組んで輪になって踊るスタイルと、阿波踊りのように列を組んで街を踊り歩くスタイルの二系統が全国にある。また一部の盆踊りは無形文化財に指定されるほど多様である。

このタイミングは春の田植えからはじまって疲れもストレスもピークに達したころだ。そのなかで人々は一年で最大のエンターテイメントを迎える。
火を囲み、輪になり列になり、歌い踊る。先祖と神が見守る中、男女の交わりがあり、先祖と子孫の交流があり、カミとヒトの繋がりがあった。老若男女もご先祖様もともに生きることの喜びを共有する。
日本人にとってお盆はエンターテイメントであり、信仰であり、暮らしだった。

三世代、四世代が集まって庭先で花火を楽しむ機会も減ってきているという。チンチロリンと奏でる松虫に、老若男女が並んで灯す日本発祥でオリジナルの線香花火、ほのかに甘い花火の香りは日本の風物詩だ。線香花火に火を灯すとしばらくの間、静寂が流れる。火玉が勢いを増すとジリジリと音をたて、四方八方に細かく枝分かれした爆発現象「松葉」を演じると、次第に勢いが減り、中央のぶっくらと大きな円と小さく短い火花がちょいちょいと飛び出す「散り菊」となっていく。その短い夏の終わりを象徴する線香花火には和紙が欠かせない。コウゾを原料とした、繊維が長くて強くてかつ薄い和紙がなくては火花を維持することができずにすぐに落ちてしまう。和紙があってこそ、あの可憐な線香花火の演劇が繰り広げられるのである。
線香花火の火の玉の冷めて落ちた鉄の玉の大きさは直径十分の一ミリ程度しかないが、これと全く同じのものが太平洋の深海の泥土の中からたくさん発見されている。この冷めた鉄の玉とはもともと流星として地球に落ちてきたものだと考えられており、流星球と呼ばれていて、なんと形も成分も線香花火の落ちた鉄とほとんど同じなのだ。ちなみに重さ1mg以上の流星は一日に一億七千万個も地球に降り注いでいるという。流星が燃え尽きる大気圏はずっと線香花火に火を灯しているようなものであり、花火職人はせっせと流星を作っているようなものだ。そして私たちはそれを小さな手で支えている。

この誰もが火とともに生き、暮らし、つながる情景もまた日本独特だろう。最近では直火を見る機会も扱う機会もほとんどなくなった。しかし、やはり火は良いものだ。十分に気をつけて、火とともに暮らしていきたい。

お盆が終わり、ヒグラシが鳴く8月の終わりになると文書類の虫干しが行われていた。和紙に墨で書かれた当時の書類はこうして湿気を取ることで和紙は痛むことなく、虫食いや鼠喰いを避けることができ長期保存が可能になった。江戸時代の農書やその他の古文書を読むことができるのは先人の保存努力ゆえである。

夏の土用干しでは様々なものを干してきた。まず衣類や蔵書は陰干しをして、虫やカビを避ける。6月に漬け込んだ梅干しも太陽光で殺菌することで保存性を高め、タネから離れやすくさせる。色も鮮やかになる効果がある。梅雨明けの強い陽にはさまざまな効果があるのが分かる。
日本の厳しい夏を終えると、実りの秋がやってくる。


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