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ひふみよい


<観察の極意と感性>ひふみよい

自然農の職人たちは観察に人一倍時間をかける。
それはまさに観察のために過ごす時間で、作業をしないばかりか、それ自体を楽しんでいるようにも見える。
1日に何度も訪れることもあるし、時間が許す限りずっと観察を堪能している。

職人たちは野菜だけを見ていない。
ときに太陽ばかり追いかけているし、ときに風を感じているし、ときに雨を浴び続けている。

農業界では「主人の足音は肥料よりも効く」という言葉がある。
まさにそれを表すかのように、野菜たちは職人たちが手を触れていないにも関わらず、イキイキと輝いているように見える。

ある職人さんの元で研修を受けたとき、一度も作業をさせてもらえなかったことがある。
ちょうどそのときは、大切な作業が続くときだったのでど素人の私には任せることができないという話だった。
それでも「必ず為になるから、観察しなさい」という言葉をもらい、私はひたすら来る日も来る日も観察をした。

私は畑の中だけではなく、その方自身も観察することにした。
そうして1ヶ月の間、ずっと観察し続けた。
そして、それから他の研修先でも同じように観察に時間をかけた。

そこで職人たちが観察していることに共通点を見つけ出すことができた。
それこそ「ひふみ」である。

「ひ」は陽や日で、太陽である。
太陽は毎日違うところから登り始め、違うところに落ちる。
その軌道も毎日変わるし、時刻も変化していく。
太陽の位置が変われば、影の位置が変わる。
植物の成長が進めば、太陽光が当たる場所も、影になる場所も変わっていく。
植物たちはそれぞれにちょうど良い光の強さがある。それは二酸化炭素固定能力と応じている。
太陽光が好きな植物がいれば、苦手な植物もいる。
太陽光が好きな生き物がいれば、苦手な生き物がいる。
彼らは太陽光の動きに合わせて、動きを変えていく。
植物の葉も茎も実も、緑の部分はすべて光合成をしている。

太陽は光と陰を操るだけではない。熱という影響もある。
植物は光合成で太陽光の2%しか使わないが、残り98%を熱として利用している。
太陽光は大気をほとんど素通りする。まずはじめに土を温める。
その土から発せられる赤外線の照り返しが周りの空気を温め、その熱が少しずつ上空へと伝わっていく。そのため、標高の高い山は太陽に近いにも関わらず寒い。
大人と子供が感じる気温は違うし、人間と野菜が感じている温度も違う。

植物にとって光と温度は命そのものである。

多くの微生物の活力が最大化するのは30~40℃で、
多くの植物の活力が最大化するのは20~30℃。
そのために温帯では土は黒くなり(植物優勢)、熱帯では赤くなる(微生物優勢)。それは季節によっても変わっていく。
微生物だけではなく虫や生き物たちも気温や地温の変化に応じて姿を変え、暮らしを変えていく。変温動物は特にその傾向は強いが、我々恒温動物も似たようなものだ。

太陽は長い間、神様の重要な位置を占めてきた。
伊勢神道における天照大神は、江戸時代の農民にとって最重要神だった。

ひは火とも通じる。焼畑や自然火災の後に育つ野菜や美味しい山菜があることも興味深い。
また、火を使った祭りや火の粉を浴びてケガレを祓う神事が神社にもお寺にもたくさんある。

「ふ」は風(空気)。
日本は四季折々の風が吹く。
春には春一番が、夏には南からの季節風と台風が、秋には木枯らしが、冬には北西の偏西風が。
海の近くなら海風が、山の近くなら山風が1日の中で向きを変える。
谷には谷風が吹くし、川に沿って吹く風もある。
地域に特有の風である「だし」もある。

風は空気の膨張と収縮によって生じるので、太陽光の影響が大きい。
そしてそれを利用して池や田んぼを配置することもあったし、大きな河川や湖沼、海があればそれらを利用して風を操った。

小さな虫たちは強い風を嫌った。特に植物の葉を食する虫や人間に都合の悪い虫たちが。
そのため職人たちはいつも植物の目線になって、風を感じ、草を刈り、枝葉を選定し、そよ風を作り出した。
風は強すぎれば植物は折れないように成長を止めてしまう。逆に弱すぎて風の動きが滞れば、湿気がたまり病気になりやすかった。

宮沢賢治が「和風は河谷いっぱいに吹く」という言葉を残したように風にもさまざまな名前をつけて区別し、その様子を観察してきたのが日本の農民だった。
現在でも気象庁は風の強さや性質に応じてさまざまな区別をしている。

昭和初期の頃まで地域それぞれに風雨祭りがあった。風が荒れるとき、神様がやってくる証でもあったからだ。そのため風雨祭りはその地域で風が強く吹くときに行われるため、全国共通の定日はなかった。
天照大神を祀る伊勢神宮内には風日祈宮(かぜひのみのみや)は風の神様を祀るお宮で、5月14日には農作物に風雨による災害を避けるようにと祈る風日祈宮祭が執り行われる。

そして、何よりも風は季節や天気を知らせてくれる神様からの知らせだった。そういった天気のことわざは地方性があるものの、必ず一つや二つはあったのだ。
風のもともとの漢字(甲骨文字)は鳳凰の鳥の形を意味する文字だった。風は神の使いとして、天空を飛翔し、天からのメッセージを地に伝える天地を行き交う神聖な存在だった。

風はまた私たちの身についたケガレを削ぎ落とす力があった。神社でお祓いやご祈祷を受けるとき紙の弊でパサっパサっと行う動きは、風の力で禊いでいるのである。

風は目には見えないけれど身体で感じることができる。1地表面から宇宙空間の際まで上下四方を循環しながら、生命を育むのである。

「み」は水(湿気)。
水は上から下に落ち、下っていくもの。
さらに右に左に蛇行もするし、縦方向に渦を巻くこともある。
その動きは地表面など目に見える形でもあるし、地下水など目に見えない形もある。
植物などの生命はその見えない水を使って生きるからこそ、職人たちはそれを読み解いては操る。

水は生命にとってなくてはならないものであるが、ときに死をもたらすこともある。葉の温度を調節する蒸散作用や細胞の代謝のためにも必要なものだ。水が不足すれば気孔を閉じて対応するが、それでは根からの養水分が減り、葉温が調節できなくなり、葉の細胞では二酸化炭素が吸収できなくなり、光合成速度が低下する。
生物のすべての活動に水が必要。

その生命によって適湿がさまざまでもある。
水の中にしか生きられないものもいれば、水が極端に少ないところが得意なものもいる。
水の流れが滞れば、水さえも腐る。

日本は世界的にも雨が多い地域であるが、陸地の斜面が強い為に一気に海まで流れていってしまう。
そのため、水を受けて止めて、ゆっくりゆっくり下に流していくことで
その恩恵を十分に受けながら、災害のリスクを最小限に抑えるデザインを農民たちは里山だけでは無く、奥山も含めたフィールド全体で組み立ててきた。

水もやはり神様である。
雨乞いの祭りもあれば、大雨や台風災害を避ける風習もあった。
日本人にとって雨は恵みでもあり、凶でもある。

水は目に見えるけれども形を変えながら大気と大地、大陸と大海原を常に循環して、生命を育んでいる。

植物にとって陽は光合成を意味し、風は呼吸を意味し、水はそのまま水分を意味する。
これらによって得る炭素、酸素、水素は植物(全生物)の身体の90%以上を構成する元素である。宇宙を構成する元素のうちでもこの3つは上位4位までを占める。生命は材料の希少性ではなく複雑性に神秘さがある。
そして、残りの全てを土中から水分とともに、もしくは微生物の協力を得て獲得するのが自然界の植物なのだ。
それを栽培植物で再現するのが自然農である為に、職人たちはこのひふみを操る。そう、だからこそ彼らはひふみを観察し続けているのだ。

こうして、次に「よ・い」が出てくる。
世(よ)の中に命(い)が生まれるのである。
つまり、生命の誕生である。植物も動物も微生物もこの三つの要素が絡み合ってこの世界に生まれてくる。この生命の生死によって積み重ねられたものが「土」である。

紀元前7世紀に古代ギリシャのタレスは世界の原理は水と言い、アナクシメネスは空気が世界の源だと言い、ヘラクレイトスは世界の原理は火だと言った。
そしてついに自然哲学者エンペドレクスは「万物のもと(元素)は火・空気・水・土」の4つの元素によって世界は成り立っていると主張した。

アリストテレスは「元素はただ一種類の第一物質しかない。この元素は火・空気・水・土の4つの形をとり、熱・冷・乾き・湿りの性質の組み合わせによって、互いに変化する」といった。4代元素説である。19世紀のヨーロッパまでこの説は一般的に信じられ、影響を与え続けた。

江戸時代の農書を読んでいると里山の生き物の全てが綿密に色濃く結びついていた様子が伝わってくる。
農民が編み出していった彼ら独自の農事暦は現代のカレンダーとは違って何処かの誰かが作った絶対的なものではなく、農民と生き物たちがともに暮らしている相対的な生物暦だった。

自然農ではとくに動植物を注意深く観察することが大切だ。野生の生き物が掴み取っているように、季節の循環や動きを知り、土地をよく観察してその性質を知ることが野良仕事を助ける。

季節の巡っていけば、自ずと生き物である作物にも変化し、もちろん農作業のやりくりも変わっていく。人間の都合で農作業をするのではなく、作物の都合に人が合わせていたのだ。

多くの農書が強調しているのも、この細やかな観察する心と目である。
文字や知識がなかったからこそ、敏感な感受性が養われたのではないだろうか。身の回りの環境の変化を感じ、読み取れることは、四季の移り変わりに富む日本列島で農耕を営む農民にとって大切な能力なのだ。

農業界にはこんな言葉もある「百の肥やしよりも一時の旬」。
江戸時代の農民はときに和歌を詠み、生き物たちの旬の気持ちと共振していたようだ。
天地や周りの生き物と共振できる感受性を持てることこそ、この変化に富む日本で暮らしを営んできたものにとって最も大切なことのように思う。

身土不二という言葉は心土不二でもある。
農民と天地、作物の間でこころの交流が行われることで調和していく。
こうして観察心は少しずつ育まれていくのである。

「ひふみ」を通した観察は人間の目線から地球生命の目線への切り替えを意味する。
人間の目線をやめればやめるほど、自然と調和した暮らしに近づくことだろう。
人間の目線では物事を良し悪しの基準で判断し、レッテルを貼る調査につながってしまいやすい。
生命(いのち)の目線ではこの地球上に宿る生命すべてをあるがままに認めることができる。
「曇りなき眼」とは大人になるにつれて身につけた常識というなの偏見のコレクションをそぎ落としていくことで、そこにあることに気がつける。
私たちは誰もが曇りなき眼を持っている。

自然界には不必要なものは一つもない。人間の目線で捉えると意味と無意味、益と害が、必要と不必要が生まれる。
野生の目線で捉えるとき、すべてに意味があり、働きがあり、必要がある。こうして自然界では絶妙な調和とバランスが一体となって現れていることに気がつくことになるだろう。

先人たちが残した「曇りなき眼」とはこの生命(いのち)の目線のことである。
生命の目線であらゆるものを観察すると、五感が動き出す。そのたびに声に出したり、紙に書き出してみよう。
私たちは見ているようで見ていないから、実際に言葉にしようとすると難しく感じることが多い。
五感が動かされたら「どこからそう感じたのか?」と事実を見つけるか、事実を見つけたら「そこからどう感じる?」と五感の動きに意識を向けてみよう。

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