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陰と陽の世界観、マイナスとプラスの世界観、共依存とお互い様


<畑の哲学>陰と陽の世界観、マイナスとプラスの世界観、共依存とお互い様

自然農の世界で有名な福岡正信の思想には道教思想が、川口由一は東洋医学や陰陽五行論が、そして江戸時代の百姓たちは儒教思想が色濃く見える。そのため、自然農を理解する上でも江戸時代の百姓の暮らしを理解する上でも陰陽の世界観について少しだけで学んでおくと理解がしやすくなる。

福岡正信は「無」という言葉を好んで使ったが、この無とはゼロではなく、有との対立関係のものでもない。無(道教では道、タオ)とは万物の根源であり、ここから天と地や陰と陽が生まれる。無とはワンネスの状態で、相反する性質のものは決して別れた存在ではなく、「すべてはひとつ」ということで、東洋思想ではよく語られる分野である。

たとえば、陰と陽はひとつの気の二つの側面である。表裏一体と一般的には説明される。この二つは切っても切り離せるものではなく、相反する性質を持つが互いに交わりながら変化・循環を繰り返す。

中国現存最古の字書「脱文解字」では魂(こん)は「陽気」であり、魄(はく)は「陰神」であるとされ、儒教の経典「礼記」では魂は天に帰り、魄は地に帰るものだとされた。

ヒトが生まれる時に魄(身体)ができ、魂(精神)がその中に入るものと考えられ、それぞれ魄は身体を司り、魂は精神を司る霊である。それが共時的かつ全一的に存在しているのが私たち人間であるというのが古代中国の考え方だ。

その考えが遺体を風葬や土葬、鳥葬する文化を作った。つまり身体は大地へと還元され、生命の変化と循環の中に取り込まれていくことが自然である。また精神は天へと昇っていき、ときに災いをときに恵みをもたらす変化をし、ある特定の時期に丁寧な儀式のなか降りてくる循環するものだと。

陰の中に陽が含まれ、陽の中に陰が含まれ、陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる。互いに異質な対立関係でありながら、依存した協力関係である。すべてのものは陰を背負い、陽を胸に抱く。この二つが中心で溶け合うところに大きな調和と絶妙なバランスが生まれる。

見た目は陰陽どちらかが優勢に見えることもあるが、常に同時に存在し融合したままである。あるときは陽が、またあるときは陰が優勢になるリズムと秩序がそこにはある。

相反するように思える二つの要素は同じひとつである。陰は大きな陽を妊み、陽は大きな陰を妊む。陰陽は対称的な存在のようであるが、お互いに補う存在でもあり、一つの全体性を示す存在でもある。道教思想では「一陰一陽す、之れ道と謂う」と説く。必然と偶然が折り重なったものが「自然」であるように、二つの要素は実はお互いに補い合いひとつの存在である。

文武両道が江戸時代の武士の間から現代の学校教育の尊ばれるのは文が武を、武が文を妊み、そして生む根となるからである。どちらか一方を特別に頑張っても辿り着けない境地がそれぞれにあり、お互いを相互関連させながら高めていくことで大きな調和と絶妙なバランスが生まれるからである。これは江戸時代に広く普及した儒教思想に基づいている。

西洋哲学の二元論的な思考が生み出してきた心と身体、人間と自然、思考と行動、主体と客体とは東洋思想ではこの陰陽の関係性でつながっている。

東洋医学では心身で出てくる症状はその調和とバランスが陰と陽どちらかに傾くときに現れると考える。つまり中庸であれば心身に不調は出てくるもので、その乱れたバランスを整えることを治療と考える。

それとは違い西洋思想に流れるプラス・マイナスはお互いに極めていくと離れていく。プラスにプラスを足していけば、ずっとプラスが強くなる。マイナスも同様にマイナスが極まっていく。相反するものは交わることなく、プラスからマイナスが生まれることも、マイナスからプラスから生まれることはない。

西洋思想が染み付いている人は常に「良い」ことを求める。「やらないよりはマシだ」とか「少しでも意味(効果)があるなら、、、」といって余計なことをたくさん付け足していく。健康に良い食材を、サプリを、運動を、健康グッズを、占いをどんどん集めていく。そういった健康オタクが体調を崩しやすいという話はよく聞かれる矛盾のひとつである。

また資本主義が常に資本がプラス、つまり増え続けるように設計されていることが、多くの諸問題を生んでいる。学校教育では常に成績を上げることを求められる。成長は良いことであるとして、生徒はいくら頑張っても頑張り足りないと指摘される。そして、頑張り続けたエリートは心身どちらかで病んでしまうのもまた現代社会の特徴である。

西洋科学を学んできた専門家たちは常に土壌改良、環境改善と言いながら、さまざまな商品を入れ続けては、新たな問題にぶつかり、また新しい商品を入れていく。彼らにとってはいつまで経っても問題があり続けているようだ。

興味深いことに西洋科学の集大成でもある量子力学は陰陽の世界を明らかにしている。(高校で量子力学を学ぶことなく卒業することは残念である)量子というミクロの世界では常に他の要素との関係性の中でふるまう。

粒子と波は「物質とエネルギー」に分けることができるものではなく、物質でありエネルギーであるひとつの存在だ。粒子と波は同一のリアルティを相補的に表現する概念に過ぎない。カプラはそれを「コズミックダンス」と呼んだ。つまり素粒子はそれぞれがエネルギーのリズムのなかでダンスを踊っているだけではなく、それ自体がすでにエネルギーのダンスということになる。

陰と陽の性質については、よく四季と食材で説明される
春夏は陽を育み、秋冬は陰を育む。夏に採れる食材(または暖かい地域、地面の上になるもの)は陰性が強く身体の熱をとる働きがある。逆に冬に採れる食材(または寒い地域、地面の下になる)は陽性が強く身体を温める働きがある。旬の食材を食べるということは身体が陰や陽に傾いてしまったものを、中庸に調整することになる。東洋医学において旬の食材を食べることは健康を保つ意味合いがある。

冬の語源が「御霊を増殖(フユ)」からきているという説があるように、冬は表面的には静かで変化の少ない季節だが、内部ではタマシイが動き増殖しているという。つまり見た目の性質の裏には必ず相反する性質があり、それは決して分離しているわけではなく同時に存在しているのである。

江戸時代の百姓の間では天道思想が広く普及していた。天道は宇宙を支配する原理であり、陰と陽が活発に運行して天地の万物を産み育てていると考える。日本の天道思想は太陽を「お天道さま」と呼ぶが唯一絶対崇拝するわけではなく、同時に「お陰さま」も生んだ。西洋思想が天使と悪魔と相反する性質を持たせて分離し、善悪を確定するのとは違い、日本の天道思想では陽も陰もともにありがたいものであり、大切な存在だと考えていた。

陰陽思想とは万物の質を表すものであるが、同時にリズムを表す。旧暦では春は冬が極まる大寒の直後のタイミングで始まる(立春)。同じように夏は春が極まる穀雨の直後(立夏)、秋は夏が極まる大暑の直後(立秋)、冬は秋が極まる霜降の直後(立冬)ではじまる。それぞれの四季に「立つ」という字が当てられていることがそれを示している。

つまり東洋では冬の寒さ一番厳しくなって、微かに緩み、春の気配を感じる立春が春の始まりで、終わりは春が一番極まり、微かに夏の気配を感じる立夏で終わる(そして夏が始まる)。極まるとともに転じるのが陰陽思想のリズムである。陰は陽を生む根となり、陽は陰を生む根となる。

だからこそ、この時期にほんの少しだけ咲く梅は春を告げる樹木であり、春の陽気をうっすら感じる日に鳴くウグイスは春告鳥なのである。まだまだ雪も降る寒い日が続いたとしても。

日本の季節行事ではその季節の変わり目、四季が極まる(立つ)タイミングに重要な祭りと儀式が行われる。境界は魔物が入り込みやすいカオスでもあり、神様を迎えるチャンスでもあるからだ。各季節の境界に土用があり、畑仕事を控えるのは心身も土も休めて、魔物が入ることを防ぎ、神様を迎えるためである。

西洋思想がベースにある気象学では「春は春分から夏至、夏は夏至から秋分、秋は秋分から冬至、冬は冬至から春分」であり、その四季を十分に感じる時がはじまりと終わりのタイミングと考える。つまり、はっきりと四季がわかるタイミングであり、太陽の動き(地球の公転)を正確に4分の1ずつに分割することから生まれた思想である。そのため、太陽暦では冬至、夏至、春分、秋分などに重要な季節行事が行われる。

西洋科学は時間を分割して止めて行う傾向が強い。そのために対立する要素や性質は必ず分裂して見えてしまう。陰陽の世界観では対立する二つの融合の意識は静的ではなく、つねに二極間の動的な相互作用で起きる。

カプラは相対立するものの間に一体性を認めたらがないのが西洋の考え方だと言い、「自然界の全ての変化を陰と陽のダイナミックな相互作用の現れだ」と述べている。また「対立関係にあるように思われる二つの要素はすべて両極がダイナミックに関連し合うひとつの現象である」と。

つまり相反するように性質と動きの変化は決して固定された静的なものではなく、動的なものであり陰陽の考えは万物の変化と循環をシンボリックに表している。

欧米の自然観で言えば、波のリズムが分かりやすいだろう。寄せては返し、返しては寄せる。潮は満ちてはひき、ひいては満ちる。欧米のことわざに「上がったものは必ず落ちる」(東洋では「栄枯盛衰」)というのがあるように、あらゆるものにはピークとその反対がある。また月の満ち欠けでも説明できる。満ちたものは必ず欠け、欠けたものは必ず満ちる。さらに乾季の後には雨季が来て、雨季の後には乾季が来る。波も、潮も、月も、乾雨もその動き全体がその現象であり、片方だけではそれ自体の説明としては不十分である。

欧米の特に経済の世界では「上がる」ことを良しとし、「下がる」ことを良くないものとする傾向がある。ビジネスのセミナーでは仕事を増やす方法は教えてくれるが、廃業する方法は教えてくれないように。しかし、それは人間の心理的な問題であって、上がるのと同様に下がるのには創造的で、自然なことであることを東洋思想は説く。

陰陽思想は二極の関係性だけではなく、もっと複雑でダイナミックな万物の変化についても説明している。それが陰陽五行論である。五行もまた相互の関係性の中で意味があり、木火土金水の五気は季節、方位、色、五臓、五味、感情などさまざまなものを司るが、お互いに関連し合いながら絶えず変化し移り変わっていくものだという。

お互いに育み、お互いに制限しあい、それぞれの過少を補ったり過多を抑制して全体の平衡とバランスをはかっていく。時や場所によって強弱は現れることもあるがそれもまた時の流れの中で移ろっていく。決して絶対的で固定的な性質を意味していない。

こういったことから、東洋思想では「お互いさま」という思想が生まれた。隣人に対する気遣い、友人との交流、師弟関係における礼節など古くからお互いの関係を大切にする心配りが見られる。これは特に儒教の学問の中で取り上げられている。処世術とは世渡り上手で功利的なイメージが強いが、天地自然と他人との良縁悪縁のなかで、無理なく「お互いさま」の関係性を育んでいく意味合いがある。

江戸時代の百姓は自然界の現象に対しては道教思想、他人や社会との関係性に対しては儒教思想を持って自他の相互作用のリズムとバランスを整えていた。

陰陽五行論を司る五行は動的な存在である。西洋社会で訳される時に「エレメント」としているが、それでは静的な印象が強く訳語としてふさわしくない。「行」というのは運動を意味していて、永遠の循環運動を行う5つの強力な力のことであり、静的で運動のないエレメントとは違うからだ。

あるものが他のものに作用しそれを変えてしまうことによって、自らも変化してしまい、もしくは消えてしまうという相互作用の変化である。

無機物と有機物、明暗や光影、昼夜のリズムと秩序がそれを物語っている。それは生命の繁栄と絶滅といった自然界、権力や流行の栄古盛衰といった社会のことも含まれている。

道教思想者にとって自然と調和した行動とは、その人の本質に従い自発的に行動することであるという。つまり、人間と自然は決して切り離された存在ではなく、相互作用を通じたひとつの存在であると。相互作用とは私のいう「観察と対話」のことで、道教ではそのためにそれぞれに人間には直感的知彗が備わっていると考えている。

儒教思想者は自分と他者は決して切り離された存在ではなく、お互いのコミュニケーションの中で関係性が育まれるとともに、お互いのアイデンティティを育んでいく、お互いにとって無くてはならない存在だと考える。儒教では父子の間に仁、君臣の間に義、夫婦の間に礼、長幼の間に智、明友の間に信という徳を育むことで、お互いの関係を維持するとともに社会全体の均衡とバランスを整えることを説く。二者間での共依存に陥らないように、社会全体の「お互いさま」の関係性が人間界の目指すべき在り方だという。

江戸時代が終わりを迎えた1900年代前半は戦争が戦争を呼ぶ時代だった。その負のフィードバックループ(変化と循環)の極みが1945年に落とされた二つの原子爆弾だった。その負の極みが世界中の人々の前に明るみに出たとき、賢い人々は正のフィードバックループを発動させることとなった。

皮肉にも負の極みだった核兵器による大量虐殺の脅威は平和主義を生み出す原動力となった。核の脅威と不安が平和主義を強め、戦争は影を潜め、友好の印に交易が盛んになった。平和主義は一見すると陽気溢れる言葉だが、内側には陰気が深く潜む。

米ソの冷戦という共依存関係が次第に世界各国の横のつながりに広がりを生むと友好の印はお互いさまの運命共同体(集団自衛権をうちに潜ませているが)となり、一つの国が単独で戦争を仕掛けることが難しくなった。

平和が広がったおかげで、戦争を仕掛けた後の代償が増大したため、戦争そのもので利益を得るよりも平和のなかの商売で利益を得る方がエリートにとっても国民にとっても好都合だったようだ。

現代は人類史上最も、そして初めて平和を愛するエリート層が世界を治める時代となった。しかし、その原動力となった資本主義の増え続ける富はもしかしたらそれと同時に、私たちの心の苦しみを生み続けているのかもしれない。不思議なことに豊かな先進国では自殺者や精神病患者は増え続けるばかりである。


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