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誰もが笑って祝う桃の節句


<季節行事の農的暮らしと文化 3月 >誰もが笑って祝う桃の節句

桃の節句は上巳の節句ともいい、雛を飾り桃酒を祝って女子のある家では振る舞い事をするが、この節句の雛が現代のように美しくなる以前は、我々の身につく災いをこの雛に託して流すべきものであったらしい。この風習を形代という。

平安時代には紙やワラで作った人型で体を撫でて穢れを移し、身代わりとして川や海に流す風習があった。島根県などにある流し雛のルーツだと考えられている。寺社に置かれている動物や地蔵の身体をさするルーツも同じだ。

上巳は災いが降りかかりやすい忌み日。
上巳の節句の起源から考えると、もともとは女の子限定の行事ではなく、私たちの身につく災いを祓い除く日であったようだ。五月も八月も九月もそういう気持ちが強い。
より多くの災厄を引き受けてもらおうと人形の数も増えていったという。男雛と女雛だけではなく生活に関わる人々まで大切な扱おうとする姿勢がある。日本人がみな平等に扱う精神がここにも見られる。

この時期(旧暦の3月)は桃の花が開花を迎える。桃は邪気を払い、災いをはねのけるパワーを持った仙木の一つ。記紀の中にも桃の葉で
また民間薬としてヤマモモの葉は皮膚のかぶれやアトピーなどに効くとして入浴剤として勧められている。ヤマモモは大気汚染に強く都市部ではよく街路樹に植えられている。

このころの七十二候に「桃始笑(ももはじめてさく)」というのがある。この「笑」という字は踊り祈る巫女が手を挙げ、髪を振り乱してる様子を表した形だ。笑いながら踊り、神を楽しませる。笑う角に福が来るわけだ。
古くは「花が開(さ)く」と表現していたものが、「笑く」となり、口が開くようすを強調した「咲く」となった。そのため「咲」には「わらう」という意味もある。花の蕾が開く様子を口が口元がほころびる様子に例えた美しい表現だ。

桃花鳥と呼ばれる鳥がいる。学名はNipponia Nipponとなっているように日本を代表する鳥のトキのことだ。漢字は朱鷺である。
トキの羽は朱鷺色という色があるように、赤とピンクが混ざったような美しい色をしている。この色が桃の花色と重ね合わせたのが古来の日本人で、日本書紀にはすでに桃花鳥と書き残されている。トキは江戸時代に人為的に全国に移植されたという。羽が矢羽根などに珍重されるため武士が積極的に求めた。武士が羽を買うこともあったし、食用にもなるためだ。

しかし実はトキは害鳥である。田を踏み荒らしてしまうのだが、コメを食べるわけではなくカエルやドジョウなどを食べている。そのため古くから食用として狩猟対象になっていた。汁を染めてしまうほど赤い肉は漢方薬にもなり、冷え性や産後の滋養など女性のための効用が豊富だ。

トキといえば佐渡や輪島、隠岐など日本海側のイメージが強い。しかし本来トキは北海道南部から沖縄まで全国に生息する留鳥で、江戸時代には駆除対象となるほど多かった。にも関わらず明治に入ると肉食が一般化し、軍服などの羽毛の需要が増したため一気に乱獲が進んでしまった。そして、大正時代末期には絶滅したと考えられるほど居なくなってしまったのだ。たった数十年の間に。この時代に絶滅または絶滅寸前まで迫った生物は意外にも多い。

その後生息の確認がされたものの、その数は増えることなく常に絶滅危惧種として保護の対象であった。1960年代の調査では死亡したトキの体から生物濃縮で溜まった農薬が検出されている。これは水田に使用された農薬がカエルやドジョウ、サワガニなどに溜まり、それをトキが食べて少しずつ蓄積した結果だ。さらに開発によってトキの巣作りにちょうど良い高木がなくなってしまったことも理由の一つだ。
そして、ついに1981年佐渡に残っていた5匹のトキを捕獲し保護しことで日本の野生の時は絶滅することとなった。
トキは日本のほか、中国、韓国、ロシア極東部のみに生息する鳥で、世界的にも絶滅寸前である。理由はどこも日本とあまり変わらない。

生物多様性条約の締結後、これらの国々で定期的なトキの放鳥で再導入(野生化)のプロジェクトが進んでいる。ただ放鳥するだけではなく自然環境の整備や自然環境保全教育、それらを支えていく体制作りなどが協力して行われている。
近年、トキに似ているコウノトリやサギたちなどが道路や田畑に落ちているゴムをドジョウや蛇などと間違えて食べてしまうことがあるという。このゴムは軽トラなどの荷台で使用されているもので、田舎の道を走っているとよく見かける。農薬の使用量が減ってもまだまだ日本には野生動物を苦しめるものは多いに違いない。

この季節には青い空に、白い身体とピンクの翼を広げた姿を見ることができるが、ついつい手を止めて見上げてしまうほど美しい。その羽は羽箒などの工芸品に利用されてきた。これから野生化が成功すれば、その姿を見ながら春の農作業ができるかもしれない。それが楽しみだ。

ひな祭りでは桃色の他に緑や黄色、白など彩り豊かに場を明るくする。この色は桃色が桃花の春、緑が新緑の夏、黄色が紅葉の秋、白が雪の冬という四季を表し一年の無病息災を祈っている。
また、これは長く物寂しかった冬を終えて野山や野原を植物たちが彩り、初蝶がゆらゆらと舞い、野鳥が活発に活動している賑やかな様子を表しているようにも見える。
誰もが無事に迎えた春を祝っているのだ。

緑は健康、白さは清らかさ、赤は魔よけといった願いを込めている。
こうして昔から日本では色が持つパワーも十分に活用してきたのだ。色魂(しきだま)ともいう。
災いが降りかかりやすい忌むべき日に華やかに飾り、笑って過ごすのもまた日本人らしい。すなわち「笑う角に福来たる」だ。人間だけではなくあらゆる生物が笑って過ごせるように暮らすことが本当の福が来るのかもしれない。


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