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3月の生き物 カエル


<3月の生き物 カエル>

2月の半ば、梅の蕾が膨らむ啓蟄のころになると、
農家さんたちは意気揚々と畑にやってきて耕し始める。

荒耕起とか畑起こしとか呼ばれるこの技術は、
土の中に空気を入れることで、微生物の活動を促す役割がある。
畑の中で植物と共生する微生物も、共生せずに単独で活躍する微生物も好気性の微生物が多い。
彼らに酸素というエネルギー源を供給する。
江戸時代には鋤を使った人力や牛などの使役動物によって深く耕したのだが、
現在ではもっぱらトラクターによる作業である。

まだ、寒いこの時期に一度この作業をすることで、
春先の霜被害を最小限に抑えること、地温の高まりを早めることができる。
よって、早いうちから野菜の栽培が可能になる。

人類が農を始めて数千年の歴史の中で、耕し続けてきたのにはこういった理由がある。
もちろん、耕耘にはデメリットもたくさんあるので、
自然農の畑では基本的に耕さないのだが土の状態やどんな野菜を育てるのかによって、使い分けることが必要だ。

さて、この時期に畑を耕すと、土の中で冬眠していた生き物たちを起こすことになる。
びっくりした生き物が、寝ぼけたままひょこっと姿を表す。
その代表格がカエルだろう。
いきなり起こされた彼らは反応が鈍く、ゆったりのっそりと何処かへと去っていく。
まだもう少しばかり寝させてくれと言わんばかりに。

ほとんどのカエルが土の中で冬眠し、春先に起きてくると、近くの田んぼや池、沼などに卵を産み付ける。人間はまるでそのために田に水を張っているようにも見える。ヒキガエルは地温が摂氏十度に達した時に起きてくるという。
水辺が近くにあるということは、生物多様性には必要不可欠な要素。
おたまじゃくしは、ボウフラなどを食べてくれるので、夏場の蚊の大量発生を抑制してくれるし、水の浄化にも役立つ。
近年、生物多様性を保つほかにさまざまなメリットを生むと言われている冬期湛水型の田んぼにはこの時期になるとカエルの卵の泡をたくさん見ることができる。

しかし、都会らしい自然のなかにある池はコンクリートで四方を囲まれ、美しい芝生が広がり、浄化された綺麗な水が詰まっている。こういった場所ではカエルは卵を産まない。カエルはどうやら水の中の匂い、それは様々なものが含まれた匂いから、おそらく自分の子が育つために必要な餌があるかどうかを見極めて、そこに卵を産むようなのだ。そして、卵を産んだ後にもう一度休眠(春眠)するための土や崖も必要となるが、そういった場所はどんどん整備されてしまっている。

またカエルは畑でも活躍する。野菜の害虫の一つ、ナメクジを食べることで被害を減らす仕事を黙々とこなす。
特に発芽したばかりの双葉や定植したばかりの苗は虫害に遭いやすいので、
カエルが住んでいる畑はありがたい。

春の季節にはよくカエルが道路を横断する光景が見られる。カエルはどうしてわざわざ、命の危険を冒してまで道路を渡るのだろうか。なぜならカエルは帰るのである。生まれたふるさとの池や沼、田んぼに。まるでサケのように。とくに大きくなると森林に住むヒキガエルの仲間はときに数キロメートルもの距離を彼らは移動するという。彼らにとって水辺だけがあれば生き残れるわけではなく、森林も必要としているのだ。サケは一生に一度の命がけの旅だが、彼らは毎年毎年の命がけの旅である。

カエルは神様の使いとして田の神様と日本人をつないできたのもうなづける。田の神様は山から来ると考えられているからだ。
「かえる」ということば「帰る」「変える」「買える」「還る」などの言葉に通じることからカエルの置物はさまざまなところにある。
東京の平将門の首塚にはたくさんのカエルが奉納されているのは、
転勤や配属などで遠くに行くビジネスマンが無事に帰ってくることを祈って、奉納されているそうだ。
また獲物を一瞬でパクッと飲み込む様子から財運を吸い込むとして、カエルの置物は商売繁盛のお守りとして親しまれている。財布の中に入れておくとお金が「かえる」という験担ぎもある。

村上春樹さんの短編小説に「かえるくん、地球を救う」という話がある。
2m以上の大きさを持つカエルがとある平凡な人間のもとにやってきて
自身を「かえるくん」と呼ばせ、それまた巨大な「ミミズくん」の怒りを抑えるために
その平凡な人間と協力する話だ。
理由はミミズくんが東京の地下に住み、巨大地震を起こす可能性があるからだ、という。

私たちがこの小説を読むとき、そのカエルは異様ではあるのだが
どこか滑稽で、親しみがあるように感じられる。
日本最古の漫画と呼ばれる鳥獣戯画で描かれるカエルと私の中ではリンクする。
古来より日本人にとってカエルくんは身近であり、親近感が強い生き物なのだ。
だが、いきなり目の前に巨大のカエルくんが現れたとしても冷静を保てる自信はないのだが。

さて、カエルは両生類で、乾燥は苦手である。
カエルが住んでいるということは湿気が保たれている証拠。
暑い時期に野菜を育てると水不足の心配があるので、湿気か保たれる土はさらにありがたい。
しかし、カエルが多すぎるのは要注意。
湿気が多すぎる土は病気を呼ぶ。病気のほとんどはカビ菌だから。
特に6月の梅雨頃になると湿気が強くなり過ぎる。

田植えが始める頃になれば、カエルの合唱が聞こえてくる。日本では当たり前の音の風物詩だ。レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読むたびに、日本では初夏のカエルの合唱が無くなるのが複合汚染の始まりだとよく思う。

カエルが多い畑にはヘビがたくさんやってくる。
ヤマカガシなどの毒を持ったヘビも。ヘビは爬虫類だが、水を好む生き物。

基本的にヘビはこちらから不用意に近づかない限り、あちらから離れてくれるし、襲ってくることはない。
しかし、夏には暖かい草むらで卵を産み、とぐろを巻いて守る。
その場合は簡単には逃げてくれないので、人間が気づかないうちに近づいてしまい、
噛まれてしまうという事故が発生しやすい。
特に自然農ではわざと草を生やしておくので見かけることが多い。
人間が頻繁に出没することをヘビはよく観察していて、そういうところではとぐろを巻かない。
彼らにとって人間は天敵の一つ。畑周りはそういった意味もある。

ヘビが卵を産むのは日当たりが良くて暖かく、湿気が多いところ。
なので、湿気が強い畑や田んぼの畦は好条件。
ヘビもまた水神様の使いとして信仰の対象となった。
河川の洪水をヘビに例えたことからも、魔力の強い生き物として災害との結びつきも強い。

しかし、米や蚕を狙うネズミの天敵でもあるヘビは米作や養蚕の守り神としても重要で大切な生き物である。
神社のしめ縄もまたヘビがモデルになっているという。縄文土器のデザインにもたくさん見られる。
世界中で魔物としても神様としても描かれるヘビは、日本では蛇神信仰となり日本神話最強の怪物であるヤマトノオロチとして話注がれている。
またインドから弁財天の信仰が入ってくると、その使いとして金運や財運を上げてくれるありがたい存在となった。ヘビの脱皮する生態から「若返り」「生まれ変わり」の象徴として薬としても大いに活用された。

カエルはいるが、ヘビはあまり見かけない。かといって、全然いないわけではない。
という環境が野菜にとっても人間にとっても、最適な環境だ。
それを目指して、畑だけではなくフィールド全体で整えていこう。

雨の多いが急勾配も多い日本では、水をしっかり受け止めて、ゆっくり流していく。
これを畑だけではなく、里山全体でデザインすることは水害の防止にも役立つ。
出雲の神話に残るヤマトオロチの退治は、洪水を起こす川をヘビと例え、それを治水したスサノオの伝説だと言われているのも、
ただの作り話と片付けられない含蓄のある話だ。
古来の日本ではカエルもヘビも実は虫と呼んだ。小さい生き物は全て虫だった。
虫の声を、言語として聴く私たち日本人は彼らの声を頼りに里山を整備してきたのだ。

さて、カエルの赤ちゃんのオタマジャクシ。
その形は島根の遺跡から発掘される勾玉の形にそっくり。

実は勾玉の形の由来に、胎児説がある。
実際に生後8週間程度の胎児は勾玉の形にそっくり。
つまり、オタマジャクシの形にそっくりなのだ。

全ての生物は必ずこの形から変化していくと言われている。
人間の母親のお腹の中で受精卵からオタマジャクシの形になり、
両生類、爬虫類、鳥類、そして、哺乳類の形になっていくと言われている。

生命の進化を母親の羊水の中で辿っていく。
しかも、業水は生命の源である古代の海水とほとんど同じ成分。
私たちは母親の子宮の中で生命の40億年の進化を辿り、人間となり産まれてくる。
私たちの体には生命記憶と呼ばれるものが備わっているようだ。
なんだか、この話も神秘的だ。

さて、最後に生物学的にはオタマジャクシからカエルに変化することを進化とは呼ばず、「変態」と呼ぶことを紹介したい。
生物学的には進化とは遺伝子の突然変異のことであり、退化とも同じである。
また、進化は世代を超えて起きることでもある。つまり私がいきなり進化して別の私になるわけではない。
私の子が進化して、私とは違うヒトになることを進化という。

つまり、数十年間日本人だけではなく世界中で人気を博しているポケモンの進化は正しくは変態と言うわけだ。
ピカチュウは進化しない。彼らは変態である。

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