6割で生きる
<6割で生きる>
慣行栽培から自然栽培まで、家庭菜園レベルから自給自足まで大中小規模、さまざまな目的、品目を栽培している農家さんの元で研修はもちろんのこと仕事をさせてもらってきた。
価値観や考え方がバラバラな農家さんたちには不思議なことに一つだけ共通点がある。彼らは「いつも6割・60%・60点で満足する」ということだった。それは20代の頃の私には全く理解ができないことだった。元気が有り余っていた私は「もっとやればいいのに」「これくらいで満足していいのか」といつも疑問だった。
しかし、いざというとき、つまりこの時期だけは頑張らなくてはいけないというとき、彼らは120%の仕事を連日に渡ってやりきっていまう。その度に私は「やはり農家には敵わない」と驚きとともに尊敬の眼差しを送った。理不尽だと思いつつも、農家さんたちに乗せられて、最後までやりきってしまったときは自分の底力にもびっくりした。
島根に来てはじめて1年を通して農業という現場に携わり、そして自給目的の畑をはじめてからすぐにその意味がわかった。彼らにとって畑にいる時間は生業であり、暮らしの一部であり、日常の一コマなのだ。
私たちが普段の家事、つまり掃除・洗濯・買い物・料理・後片付けなどなど暮らしの中ですることをいつも全力100%で、100点満点でこなしている人はいないだろう。それはいつも6割・60%・60点で良しとしているはずだ。たいていの人は誰か友達が来るとか、両親が来るとか、そういうときに120%の家事をしているに違いない。でしょ?
そう、それこそが暮らしであり、日常である。それと全く同じ感覚で農家は畑で野良仕事に励むのである。そうでなくてはすぐに過労死するに違いない。精神的にストレスフルに違いない。だから彼らには勤務時間とか残業とかそういう概念が薄い。
農家さんの野良仕事はまさに日常の一コマである。彼らにとって最大の美徳である勤勉さを物語るのが「皆勤賞の精神」である。近年では学校で表彰されることがなくなった皆勤賞だが、これはまさに農家の精神といえるだろう。
日常であり、暮らしである畑仕事は毎日するものなのだ。もちろん彼らだって毎日体調や気分は変わる。体調がいい日もあれば、身体が重い日もある。気分ノリノリの日もあれば、足が重い日もある。それでも彼らは畑に向かう。
そして、その日の体調や気分の中でできることが100あるとすれば、60までやって、そしてその働きぶりに満足して帰っていく。常に100%100点満点を目指してしまえば、時間に追われ、何かに取り憑かれて、丁寧な仕事とは程遠くなってしまう。
6割で満足するとなれば、決して無理をしない。丁寧な仕事を心がけることができる。そうすれば継続して事を為すことができる。自然体のままで居られるだろう。
「継続は力なり」とは決して100%100点を続けることではない。それは6割・60%・60点を続けることなのだ。私のオススメは体調が少し悪いときこそ、畑に行ってみてほしい。気分が少し落ちているときこそ、畑に行ってみてほしい。その意図は実践してみればすぐに分かるはずだ。
畑を始めたうちはどうしても畑に通うのが辛くなったり、気が乗らないことがあるだろう。誰にとってもモチベーションを維持することは、そんな簡単な話ではない。それでも畑に行ってほしい。観察だけして帰ってもいい。収穫だけして帰ってもいい。それでもいいから畑に通い、6割で満足して帰ろう。それを意識して続けていけば、いずれ習慣となり、継続され、力となる。畑が労働ではなくなり、生業となり、暮らしの一部となる。そうなれば不思議と畑に行くことが億劫ではなくなる。
6割で生きることは決して諦めでもないし、怠惰でもない。それは自分らしく暮らしていくために必要な精神なのだ。そして無理のない暮らしは無理のないデザインと相乗効果を生み、あなたの人生を美しく彩るだろう。
パーマカルチャーにおいて美しいデザインとは無理のないデザインであり、誰もが無理をしていない暮らしだ。そのためにいつも6割を意識してみてほしい。