見出し画像

気づきの確立:ヴィパッサナー瞑想サティパッターナ・スッタコースに参加して


1月、千葉のダンマーディッチャーで開催されたヴィパッサナー瞑想サティパッターナ・スッタコースに参加してきました。このコースは、人生の苦悩から解放されるための経典「マハーサティパッターナ・スッタ」を学びます。受講条件として、10日間瞑想を3回以上終了していることがあります。

ヴィパッサナー瞑想との出会い


15年ほど前ヴィパッサナー瞑想に出会い、10日間瞑想の参加は、今回7回目ほどになります。以前奉仕をしたときの仲間が、次々とサティパッターナ・スッタを受講しているのを横目に、「私にはまだ早い」と感じていました。


そんな私にも変化が起きたようです。この1年半の間に、ラージャ・ヨガ「魂の光」、仏教の勉強会に参加し、仏教の経典に興味を持ち始めた頃、ちょうどサティパッターナ・スッタコースの募集がありました。年一回開催のこのコースにスムーズに応募でき、やっと自分のタイミングが訪れたようです。


千葉センター

今まで京都や海外で10日間瞑想に参加してきたため、千葉は今回初めて。コース前日、関東地方に大雪が降り、電車が動いているか心配していた中、無事千葉のダンマディッチャーに到着。私がヴィパッサナー瞑想を始めた頃の千葉センターでは、テントでコースが開催されていたと聞いていました。一体どんな施設かと思っていたら、ベッドは寮のような個室、瞑想ホールは床暖房付、女性は瞑想のための個室(セル)が整備され、想像以上に恵まれた設備で、千葉センターの変容ぶりと時間の経過を感じました。


コロナ禍、通常よりも収容人数がかなり制限され、宿泊棟は空室の部屋がありました。瞑想ホールは、換気のために上部の窓が解放されていました。防寒対策のため、帽子、オーバーコート、膝掛け、手袋まで全身14枚をまとうフル装備でちょうど良い位。寒さに凍えている女性は、湯たんぽを抱えて瞑想されていました。そんな寒い日々が続く中でも、昼間は瞑想をして血行が良くなるのか、体が温かくなり、上着を脱ぐこともありました。


古い生徒ばかりだからでしょうか。瞑想ホールは、深い静けさが広がり、通常の10日間コースとの違いを感じました。


気づき:NVCとCompassコーチングとの共通性

サティパッターナは「気づきの確立」を意味します。まさに今回のコースを通して、多くの気づきの恩恵がありました。


サティパッターナ・スッタコースでは、毎日夜の講話で、経典「マハーサティパッターナ・スッタ」について解説されます。ヴィパッサナー瞑想の仕組みが細分化され、とても分かりやすい説明でした。大きな気づきは、NVC(非暴力コミュニケーション)とイスラエル発のCompass Coaching Programとの共通性です。


1. サティパッターナ・スッタでは、身体、感覚、心、心の中身を丁寧に「観察」していきます。NVCでも、人間は物事にすぐに反応して、ジャッジ(判断)してしまうため、とにかく事実をありのままに観察することを繰り返し練習します。ヴィパッサナー瞑想でも、1日中連続10日間瞑想をし観察し続けることで自動反応しないように、脳を訓練しているように感じました。


2. ヴィパッサナー瞑想では、過去の条件付けが間違った評価判断を引き起こしていると考え、現実をありのままに客観的に見ることを訓練していきます。Compassでも、自分を苦しめているパターン(癖)に気づき、その奥にはどのようなビリーフ(思い込み)があるかをみていきます。


3. ヴィパッサナー瞑想では、苦しみの根源は人々の「渇望」と「嫌悪」にあり、結果に執着するために落胆し惨めになると考え、『生じては消えていく「無常」(アニッチャー)』を繰り返し学びます。これは、Compassで、人に対する期待が要求になり、「この人によるこの方法でないとダメ」と執着(Glue)することが苦しみを生み出す、という考えに通じています。


4. Compassでは、「人生に痛み(Pain)はあるが、苦しみ(Suffering)は思考が生み出している」と考えます。まさにこのコース期間中、目をつむって瞑想している間に過去の記憶に引っ張られて、悲しみや怒りの感情に飲み込まれることがありました。目を開ければ自然に囲まれた千葉センターの静けさが広がっていて、思考が自分を苦しめていることを、痛感しました。


5. ヴィパッサナー瞑想をとおして、体の中で滞りのあるエネルギーの箇所をしばらく観察していると、小さな泡のような微粒子に溶けて、体の中を流れていきます。NVCやCompassでは、人間は誰でも「見てもらいたい」という共通したニーズを持っていると考え、「ニーズに浸る」というプロセスがあります。体の中で滞っているエネルギーも、「気づいてもらいたい」「見てもらいたい」というニーズを持っていて、そのニーズが満たされると、エネルギーが変容するのではないか、と捉えるようになりました。


6. サティパッターナ・スッタに、「自分自身を大切にし、愛しなさい。普段どれだけ自分に残酷なことをしているかに気づきなさい。嫌悪、怒りは自分を傷つけること。自然は自分を罰し始め、みじめになる」という教えがありました。これは、NVCとCompassにも共通しています。


ヴィパッサナー瞑想との数々の似たプロセスから、NVCとCompassは目を開けた状態で行う「アクティブ瞑想」ではないかと、考えるようになりました。


2022年のテーマ

最終日の瞑想中、『「息」は「自」と「心」から構成されている。自分の心とつながるには、自分の呼吸を感じることではないか』と気づきました。忙しい日常では、周囲の人々やスマホに自分の注意が向き、呼吸が浅くなってしまっていることが良くあります。心を落ち着かせ、自分の中で何が起きているかに気づくには、呼吸に意識を向けることで、自分に意識を取り戻し、「今ここ」にいることができる、ということを「息」の漢字が表しているのではないか、と考えるようになりました。サティパッターナ・スッタで「注意を自分の外側に置くと、仏陀の教えは失われている」と言われる理由が分かるようになりました。


今回久しぶりに参加して、ヴィパッサナー瞑想はとてもシンプルで地味だけれど、そのパワフルさを改めて感じました。古代の人々はダンマ(自然の摂理)に従い、苦しみから解放する瞑想を実践していたのに、これらの知恵は忘れられ、今の私たちは苦悩をまき続けているかのように感じます。「人々は便利な電子機器なしでは生きられないような日々の中、人間本来が持っている知恵や五感を使うことを忘れてしまっているのではないか。便利ですぐに効果が出るものでないと人々は関心を持たないけれど、本当は基本的なことをできているかで、人生の質は飛躍的に変わるのではないか」と感じ、自分の2022年のテーマは「基本に戻る」「基礎的なことを大切にする」になりました。


最終日の前日に沈黙が解かれ、慈愛を育むメッター瞑想が行われました。夜の講話が終わり、夜空を見上げると、月の周りに神々しい大きな光の輪がかかり、まるで天が祝福してくれているかのようでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?