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Ⅰ,THE MAGICIAN(1.魔術師)

〈意味〉

右手の棒で天を指し、左手で地上を指していて、それはまるで天の力を再現しようとしているようです。そして、目の前のテーブルの上にはワンド、ペンタクル、ソード、カップ(四大元素)の道具がそろっています。頭上の無限大のマークと腰の自分の尻尾を噛んでいる蛇は、絶え間ない循環、永遠を表しています。準備は整っていて、行動する時です。あなたは並外れた集中力で、ひらめきやアイデアを使って、奇跡をも起こす力を持っています。その力を実現するチャンスです。

〈逆位置の意味〉

不名誉 不安 巧みな操作 資源の欠如 人をだます策略 自身がない嘘 遅い展開 知識不足 不誠実 器用貧乏 準備不足 言動の不一致 ごまかす だれもわからない才能 間違った才能の使い方

『何でこんなことになってる?』エッセイの歴史を調べ、要約をしている某日深夜2時。普通に寝てもこのくらいの時間に起きてしまうときがあるので、眠くなるまで少し作業をしている。

4月8日と22日、先生をしてきた。様々な創作人が得意分野について教えてくれる「まえばし詩学校」が月に1度、前橋文学館で開講される。

このイベントは去年から始まって、私も2回目から参加するようになった。受講したものは詩、短歌、戯曲に朗読、シュルレアリスム…文字を書くと一口に行ってもその表現法は無限にある。受講する度それを実感して、更に知りたくなって、出来る限り出席するようになった。

なんやかんやで半年後、自分が講師になるとは思わなかった。できたらずっと生徒として受けていたかったけど「やるなら今だ」と直感がうるさかったので引受けた。

さて、何を教える?

エッセイについて喋るのは確定。しかしこれといったルールがあるわけでもないし、歴史も起源もなにもわからん。とりあえずググるか(冒頭に至る)


1回目(4月8日)

詩学校は2回にわたり開講される。
1回目は講師が話し生徒は聞くだけ(コメントや質問あり)そして課題を出して2回目でその講評を行う。

主導権は全て私の手中にある。ネット弁慶であがり症な私が持っていいものか…やるしかない。

最初は軽い自己紹介から始まり講義スタート。内容はエッセイの起源、歴史、魅力、どんなエッセイがあるか…と好きな本を何冊か紹介した。
エッセイは芸能人や作家の筆休めみたいな印象が強いが、文豪も書いてる。当時はエッセイより寄稿文みたいな扱いだったのだろう。

大丈夫かな、早口じゃないかな、吃ってないかな…と内心バックバクで進める。時折質問やコメントが飛んできて助かった。あと夢野久作。みんな優しい。

話しながら課題のテーマについてぼんやり考える。この空間にいる人達(人かな?)は具体より抽象なものを与えたほうが面白いものを返してくれるに違いない。

「課題のテーマは『書くことについて』です。文字の『書く』でも絵の『描く』でも思い浮かんだものを。そして1つだけお願い。10年前の自分と会ってきてね。どの瞬間でもいいから。」


2回目(4月22日)

事前に来れないってわかってた人がひとり。急に予定が合わなくなったり体調怪しかったり人がいて全員揃わなかったけど、キレイに揃わないくらいが丁度いい。
いつもは生徒が前に出て作品を朗読して、皆から意見もらって講師がコメントって形だけどエッセイに評価なんてつけるものじゃないから、だったら創作者と話してしまえ!ってことで、私(魔女)と雑談してもらった。

作品じゃなくて作者を見る回です。というか、私が創作者と会いたかった。

文で書いてくれた人、4コマ漫画を描いてくれた人、手書きの文字でたくさん埋まったノートをスキャンしてくれた人、思入れのある作品の画像を送付してくれた人、日記の一部を花みたいに散らしてくれた人……書き方も十人十色で、文章でもいつも読むものと雰囲気が違ったりしてもう夢中。

こうしたイベントで毎回会うけど、近くに来てもらって話すの初めての人がほとんどだから緊張するかと思ったが、話していくうちに「作品とエッセイとその人、どう繋がっているのか」と好奇心が募って段々質問が飛び出てきて、結局私だけ話してる回になった(本当は他の人もガヤガヤ乱入してもらいたかったけどトークを回す力は持ち合わせてない)

話しながらその人の作品に対する思いはもちろん、ふとした瞬間に「素の姿」が顔を見せてくれたりして嬉しかった。ここにいる人たちは何か創るために、この世にこの街に爪痕を残すために生まれたんだと実感した。だって楽しそうに話してくれるんだもん。


ねえ朔太郎さん、あなたはどんな陰鬱なエッセイを魅せてくれるの?

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