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水俣病マイク問題で炎上した環境大臣のブログを読んだら、無性に悲しくなった

 5月の初旬、環境省の大臣と水俣病患者団体の懇談会の模様がメディアで大きく報じられた。
 
役人の進行方法もさることながら、日本や外国で一流の教育と豊かな暮らしを享受してきたわが国の環境大臣は、今まで何を思って何を学んできたのだろうか、と悲しくなった。

そこで、環境大臣(伊藤信太郎氏)の過去のブログを読んでみた。

肩書がつく前のブログにはその人の理念や本音が反映されやすいからだ。

例えば、現在のデジタル大臣も昔はブログでエネルギー問題について積極的につづっていたものだ。
 
伊藤氏大臣がブログを始めた2000年代、ブログのテーマは「映画と政治」「プロとアマの芸術家」など、芸術家目線で政治を語る文が目立つ。
 
特に「日本人として初めてロサンゼルスのアメリカン・フィルム・インスティテュートの監督フェローとしてアクセプトされて渡米した」(原文ママ)ことは、大臣の自尊心を支えていることがうかがえる。

過去にはプロデューサーとして『落陽』という映画の制作に携わったこともあるという大臣。日活の倒産の一因になったとも言われるいわくつきの映画だが、彼自身は、映画や演劇の領域の知識には並々ならぬ自信があるようなのだ。
 
2010年のブログでは「人が勇気をもって生きることをテーマにしたミュージカルを創ろうと思います」と意気込んでいた。その内容は「恋に破れ家族が崩壊し仕事も金も無くした主人公が絶望の淵から立ち上がりコミュニティを再生する」というものだった。

過去にコミュニティが分断され、あらゆる希望が打ち砕かれた水俣の人々の歴史や心情に寄り添い傾聴する姿勢すら見せなかった大臣が描いた「勇気をもって生きることをテーマにしたミュージカル」のプロットは、どんなものなのか、怖いもの見たさでのぞいてみたい。
 
さらにさかのぼって2003年の寄稿文では、以下のようにつづる。

<政治はコミュニケーションの芸術ともいわれますが、我々がインターネットの発達したこのe-コミュニケーションの時代に、どうやって記号の持つ文化的特性をうまく利用して人類全体に最大の至福をもたらすような政治過程を創れるかは、21 世紀の民主主義にとって大きな命題であります> 

伊藤信太郎 オフィシャルブログより

政治におけるコミュニケーションの重要性をつづっているのだろうが、国民と双方向性のあるコミュニケーションをとっているのか。

芸術や映画については高い熱量でまどろっこしい文章を書くが、環境問題や公害についてなんの理念もなさそうな人がうちの国の環境大臣なんて、泣けてくる。

誰でも時の運で国や企業の被害者になり得るが、そんなときにあんな態度でい続けられたら、誰だって心は折れる。

そんな彼に、1冊の本を勧めたい。

政治家だった親からたくさんの教育費をかけてもらって芸術の素養を研磨してきた、大臣ほどの人物ならきっと読んだことがあると思う。絶対読んだことがあるはずだ。でも、もう一度読んで欲しい。それは、石牟礼道子の『苦海浄土』である。
 
著者が「1人の目撃者」から死霊・生霊の声を拾う「呪術師」であろうと心に決め、言葉を話すことができない患者の魂が乗り移ったようなすさまじい筆力を駆使する。水俣の海の美しい波しぶきの1粒1粒まで描かれた圧巻の一冊である。
 
『苦海浄土』の中で、幹部風の背広を着た人々が被害者の仏壇にやってきた後、1人の被害者家族はこう語る場面がある。

<今日こそはいおうと、十五年間考え続けたあれこればいおうと、思うとったのに。いえんじゃった。泣かんつもりじゃったのに、泣いてもうて。あとが出んじゃった。悲しゅうして気が沈む>

『苦海浄土 わが水俣病』(石牟礼道子) 

この話者が何を考え続けて、何を言えなかったのか、映画制作の素養があるらしい大臣自身がひもといてみてはどうか。ただし、そのための経費として大企業からのパーティー券収入や公費は使わないでほしい。
 
1971年、公害問題に政府が対応する必要性の高まりを受けて、環境省の前身である環境庁が設置されたことをどうか胸に深く刻んでおいてほしい。
 
ちなみに、先週の週刊文春では、伊藤大臣が大企業創業者の娘がバイオリンを弾くPVの監督を担当していると報じられていたので、該当動画を探してみた。

1本目は漢字で、2本目はローマ字でクレジットが大臣の名前が表記されていた。3年前の最新動画は、報道で注目が高まるかと思いきや、再生回数は265回だった。


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