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【読書感想文】「結婚式の加害性」がトレンドワードになる『優しい暴力の時代』

映画やドラマの伏線探しや深読みは楽しい。
 
ストーリーの中の小道具の銘柄や花言葉、セリフから作者の意図をくみ取るのは謎解きゲームのようにワクワクする。
 
ところが、推理ゲームでは役立つ「深読み力」が、日常生活の人間関係においてかえって邪魔になることがある。
 
――あのほめ言葉は皮肉なのかもしれない
 
――その善意は「こんなこともできないの?」という見下しなのかもしれな

――あの慰めは自分の言葉に酔っているだけかもしれない。

さらに、言葉のみのらず、個々の属性でさえ誰かを傷つけることがあるようだ。
 
昨日、SNS上で「結婚式の加害性」という言葉がトレンドになった。
 
発言主の言葉を「深読み」すると、結婚式は幸せを見せびらかす行為だから、幸せではない人にとって加害性がある、という理屈なのだと思う。結婚式に招待する行為が深読みされることもあるのか……と思った。
 
ふと、最近読んだ韓国の『優しい暴力の時代』(チョン・イヒョン 著/斎藤 真理子 訳)という書籍の一節を連想した。

礼儀正しく握手するために手を握って離すと、手のひらがすっと切られている。

傷の形をじっと見ていると、誰もが自分の刃について考えるようになる。そんな時代を生きていく。

『優しい暴力の時代』(河出書房新社)より

端的でありながら、なんて鋭い言葉なんだろう、と3度読み返した。1度読んだときよりも、2度目3度目にガツンとくる。
 
誠意をもって接しているのに、自分の属性や言動が加害性を帯びることがある。
 
相手に悪気はないのに、なぜかこちらが傷ついている
 
じゃあ、自分の加害性ってなんだろう。知らぬ間に誰かを傷つけているんだろうか。
 
そう考えるうちに、孤独を好むようになっていく

 
「気を遣うから友達なんていらない、恋人なんていらない」。
 
そんな声も聞こえるようになっている。
 
それは、誰かを無自覚に傷つけたくないという優しさかもしれないし、誰かの加虐性から身を守る防衛本能なのかもしれない。
 
そういえば、数年前、ある文筆家に話を聞いたとき、こんなことを言っていた。
 
「わたし、さんざん違う属性の人同士の対立を煽る本を書いてきたけど、そういうの、もう一切書かないことにした」
 
そのジャンルでは売れっ子だったその人が、人気コンテンツを断ち切るのはかなり勇気のいることだったと思う。でもそれ以降「深読みして対立せよ」的な文章を一切書かなくなり、書籍のテーマが「対立していた相手を深く知ってみよう」のトーンに変わっていった。
 
『優しい暴力』の時代とともに、「互いの刃の型を見せ合って理解する時代」も静かにやってきている。そう信じたい。
 
そして、私はと言えば、誰かの幸せな顔だけをずーっと見ていたい。友人ののろけも、仕事で会った人の自慢も、近所のおじいさんがやっと孫に会えたという話も、義母が推しについて話すときのキラキラした目も、全部大好きだ。
 
もしかしたら、そんなスタンスが深読みされて「偽善者」とか「優しさのひけらかし」などと言われるのかもしれないが、大切な人たちもまた私の幸せにだいたい共鳴してくれるだろう、と深読みせずに信じている。


『優しい暴力の時代』(チョン・イヒョン 著/斎藤 真理子 訳)河出書房新社
 https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309208046/




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