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【読書感想文】韓国発『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら』の最終章でクソ泣いた

少し前、日本の首相が「経済!経済!経済!」と連呼していた。

いわく「経済は一丁目一番地」だそうだ。
 
でも、ほとんどの国民はもう気づいている。
彼らのいう「経済」がひどく狭い意味であることを。
 
例えば、私の母が介護施設で利用者を楽しませるために自宅で寝る間を惜しんでレクリエーションのアイディアを練るプロセスは、彼らの考える経済に含まれていない。
 
家族を看病したり、吐しゃ物や排泄物を掃除したりして、感情をフル稼働する労力は経済にきっと含まれていない。
 
少子高齢化で荒れた山に暮らす私のきょうだいの自宅近くでクマの目撃情報があって以降、子を送迎するようになったが、その対策の時間は含まれていない。
 
家庭料理の担い手が食費の値上げに苦しみ、限られた食費で栄養ある献立を考えるエネルギーも含まれていない。
 
さらに言えば、首相の政党と仲の良い「経済」がつく大きな連合会の会長のイスは、座る位置が高すぎるのか、上で述べたような景色は見えていない。
 
11人の子どもの育児をほぼ誰かに丸投げし、アドレナリンを求めて博打を打ち続ける青い鳥のマークの会社を買収したカリスマ経営者と旧知の仲で、将来の経済のために移民政策が必要だと声高に叫ぶ日本人経営者はたぶん、移民の子育てや介護のことを深く考えていない。
 
賃上げだ。リスキリングしろ。貯蓄ばかりせず投資しろ。正社員なら男性も育休を。女性も老人も働いて人手不足を解消しろ。経営者なら「人的資本経営」だ。開示義務が出たからなんとか数字のつじつまを合わせて管理職の男女比をなんとかしろ。
 
そして、子を育てる親なら学力とスキルを身につけさせて社会に送り出せ。育てるのは大変かもしれないが、それは親の責任だ。
 
――と、「高いところ」から、多方面に向けて間接的または直接的にあらゆるメッセージが降ってくる。
 
雨あられのように降ってくる無理な要求と絶えない不安の結果として、この社会には、いろんな事情を抱えた人が山ほどいるのに、わかりやすい二項対立に落とし込まれていく。
 
正社員vs非正規。男vs女。産んだ社員vs産んでない社員。社畜社員vsゆるキャリ社員。シニアvs若手。
 
組織や地域を砂漠化させる不毛な争いはやがて、「奪われた」という不満を抱く人の自己責任論に収れんし、連帯の余力は奪われる。
 
――と愚痴ばかりになったが、韓国の作家チョンアウン著の『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら 15冊から読み解く家事労働と資本主義の過去・現在・未来』を読んで、最後の章でクソ泣いた。
 
なぜ、現代社会に暮らす人が「今だけ」「金だけ」「自分だけ」「自分の子どもだけ」になっていくのか。著者である1人の主婦とともに「経済」をひもといていくと、その因と果が少しずつ見えていく。
 
韓国と日本では、環境も事情も異なるが、私も以前著者と類似のことをぐるぐると考えたことがあったな……と思い出した。

「ケア」や「奉仕」に必要な愛と労力が「経済」に含まれない社会では、それを与える者の自尊心が損なわれる。その弊害がさまざまな場面に表れているように思う。
 

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