見出し画像

排他的フェミニズムにも、アンチフェミニズムにも疲れた…じゃあ、どうしたら?

 先週「上野千鶴子の結婚」という言葉がSNSのトレンドになっていた。
 
結婚制度に否定的な立場をとり、アジア圏でもよく知られたフェミニズム研究者が結婚していたようだ、と報じられたからだ。
 
その研究者がアジア圏の女性学に与えた影響は多大だが、ネットの反響を見て案じていることがある。
 
今後、フェミニスト発の言論が、これまでよりも大きくなったアンチからの声にかき消されやしないか。その情報がしかるべき人に届く前に。
 
「情報生産者」として膨大な情報を発信し、活動をしてきた研究者が、アンチフェミニストの声を大きくし、耳をふさがせたのは、とても皮肉なことである。
 
それにしても、ネット上で一部の保守的な思想の人が嬉々としてバッシングに励み、ツイッターを主戦場とする一部のフェミニストがものすごく怒っていたりするのを見ると、ため息をつきながら、思う。
 
その言葉、たぶん、一定の界隈内にしかきっと届かないよ……と。
 
もう「フェミニスト嫌い」にも、「一部の、ネット系・排他的フェミニズム」にも、ちょっとうんざりしている
 
私は、仕事と家事と育児と生活の沼におぼれ、怒ったり強い言葉を使う気力がないので、それらからは距離をおき、引き続き3つのことを実行しようと、心に決めた。

1.「知っていること」を共感につなげる

世の中には、どうしたって分かり合えない人もいる。他者不在の「自分基準の社会」で生きている人もいる。豊富な知識を駆使してディベートで他者を打ち負かすことをたたえる人もいる。

しかし、とかくリアルな日常生活においては、論破で人と人の共鳴を呼び起こすことは少ない。 

だから、以下のことを心がけたい。

  • 目の前の人のことを知ろうとする

  • その人が触れている社会も知ろうとする

  • そして、相手にも自分のことを根気よく知ってもらう。

  • 「わかってくれない」と言う前に、言語力を駆使して、穏やかに伝える。

職場でも、家庭でも、地域でも1人1人があと1ミリだけこれを心がけたら、硬直化しがちな「社会」や「家族」という器はもう少しだけやわらかくなると思う。わかりあえないこともあるけれど。

 2.人を「大きな主語」でくくるのはやめる

権威ある人が大きな主語を使うと、その言説には説得力が宿ってしまう。
男か女か。既婚か独身か。その属性によって“傾向”を決めつけてしまうのは、怖い。
 
例えば、一部の知識人やインフルエンサーは、こんなふうに主語をくくる。

  • 日本人の男は、女に母親を求めている。男は話を聞かない。夫は犬だと思え。

  • 女は男におごってもらって当たり前。女は共感を求める。女は優遇されている。

  • 昭和おじさんは、妻に家事を丸投げしている。

  • 専業主婦は…独身は…リベラルは…ネトウヨは……

大きな主語でくくると、その主語に含まれた者とはみ出した者の分断が生じることがある。
 
ネットの社会にどっぷりつかっていると、どこもかしこも敵だらけで、修羅の国みたいに思えてくるが、現実はもっとグラデーション豊かだ。

自分語りになるが、私は夫のことを愛していて、そして私たちの息子たちはかわいくて、地獄の中学時代をともに生き抜いたゲイの親友とは会うたびに腹筋が痛むほど笑い合う。私の近所のおじさんはだいたい優しくて、男児が所属する少年団のおじさんコーチはとても聞き上手だ。 

身近な男たちを愛しているので「男」をひとくくりにして蔑むのは、やめてほしい。先週、女友達と集まって、独身も既婚も、正社員も非正規もフリーランスもガハガハ笑ってきたので、異なる属性の女の分断をあおるのもやめてほしい。
 
「この場合、男って生まれつきのですか?後天的な性別ですか?その言葉の使い方は、世界のトレンドをわかっていませんね」
「ということは、現在の男女格差を受け入れているんですね」
「じゃあ、クズ男も許す母性を持てということですか?」
「自慢ですか?私の姉の夫は本当にクズなので、信じられません」
 
なんて指摘がくるかもしれない。上記の文脈では、生まれつきの性別をさしており、男女差別・格差とは別のテーマを語っている。そして、ただの個人の事例である。

3.リアル世界の「隣人」をふんわり愛する

人の愛し方にはいろいろある。誰かと「寒桜が咲き出しましたね」と笑顔を交わす瞬間だって、泣いた赤ん坊をあやす親に心の中でエールを送ることだって、介護のデイサービスの送迎の車イスを押している介護士と利用者に「いってらっしゃい」と言うことだって愛だ。
 
ときどき街中で独善的な「不機嫌スプレー」を噴射している人に遭遇すると、ひどく悲しくなることもあるけれど、みんながみんな敵じゃない。
 
 
既婚の自称フェミニストで保守的愛国者の私は、ネットの海から身をあげて、今日はサカナクションの『フレンドリー』の歌詞に耳を傾けながら、右とか左とか、正しいとか正しくないとかいったん忘れ、目の前にいる「君」に優しくしたい気持ちを大切にして、眠りにつこうと思う。
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?