銭湯と刺青(4);日本でタトゥを入れる覚悟とリスク
ある日、浴槽に浸かるおじいさんの肩から胸にかけて、立派だったであろう彫り物が入っているのを見つけました。
過去形なのは、ご高齢で身体の皮膚が緩んでおり、若い頃の張りつめた体型でないので、身体の絵柄も弛んでいたからです。
決まりに沿って、退出をお願いするとそのご老人は僕にこう話しかけて来られました
”こんな老人に、もうそんな事言わんでもええやろ、わしが何をするってゆうねん、何もでけへんし、せえへんは”
なるほど、このおじいさんの言葉にちょっと複雑な気持ちになりました。
このかたが、修羅の道を生き抜いた人なのか、堅気で男気のある世界で生きてこられた人なのかは知りません。
自分の人生を振り返って、体の彫り物が勲章なのか、そうでないのかも分かりません。
ただ、彫り物のある方を時折見つけては、お願いをするときに、いつも感じることがあるのです。
隠さなければならないタトゥの悲哀
前回までに書いてきた、全身に彫り込んだ入れ墨は、主に業界の方の話でした。
今は、一般の方でもオシャレでワンポイントのタトゥを入れている方も結構おられます。
タトゥと入れ墨は区別すべきだという声はよく聞きます。
反社会勢力に属する人をお断りするのが目的なら、拒絶する理由とは乖離している、そんな声があることも解っています。
しかし、私が携わっていた施設は私が責任者
だった頃は、例えワンポイントのタトゥであっても必ずお断りのお願いをしていました。
その理由は以前書きましたので割愛します。
時折、腕にサポーターを巻いた方の入浴を見かけます。或いは、浴槽に浸かる時以外は器用にバスタオルを肩からかけている方も見かけることがあります。
恐らく、タトゥが入っているのでしょう。
バスタオルの方は絵柄が見えれば、見つけ次第声をかけますし、サポーターを巻かれた方もこちらから詮索はしませんが、確認ができれば声をかけていました、
彼らのように、気を遣って施設を利用される方というのは、一定の常識を持った方だとおもいます。
タトゥがなくても、永久レッドカードみたいな非常識な人がいるな中で、理屈が通る人なのです。
常識のある彼等は、タトゥが現在のこの国ではマイノリティであることは解っている筈です。それでも決断された訳ですから、何らかの覚悟があってのことだと思います。
決まりとはいえ、そんな覚悟の印を指摘するのは心苦しいのです。
それを隠さなければならない彼らの心境とは、一体どんな感情なのかは、彫りものが入っていない僕には理解はできません。
因みに、本職の筋の方は、一度声をかけると、大抵は二度とやってはきません。
覚悟を決めた証を、風呂屋のおっさん如きにとやかく言われるのがバカらしいのではないでしょうか、値打ちが下がると思うのかもしれませんね。
若気の至りなら代償は大きいタトゥの現実
温浴施設に勤めていた時には、けっして口外することはありませんでしたが、部下から告白されたことがあります。
”僕は、背中に彫り物が入っています”
当時、3施設のスーパー銭湯の運営をしており、私の部下は正社員だけで約20名ほどいました。そのうち半分は飲食部門の担当で、彼もその一人でした。
従業員は、仕事終わりにお風呂を利用して良いことになっていますが、彼は同僚に誘われても、一度も風呂に入ったことはなかったようです。
社員面接は全て、私が行なっていましたが、入れ墨の確認まではしていませんでした。
告白を受けて悩みましたが、飲食の仕事は真面目にしているので続けてもらいました。ですが、暫くして転職希望を出し、辞めてしまいました。
独立して、コンサルの仕事を始めてからも、お手伝いをさせて頂いた施設に、同じ悩みを持って現場にいる人物がいました。
彼も、やはり飲食系のスタッフから社員となり、その働きぶりから施設全体をまとめる立場になろうとしていました。
一度、二人で呑みながらこれからのことを話していると、シャツの腕を捲り、腕に入ったタトゥを見せてくれました。
”これ、消そうと思います。施設の責任者になるなら、これはまずいですもんね”
やや、自虐的に笑いながら、そう言ってきました。
お風呂屋からみた入れ墨私観
多くの人を裸にする仕事をしてきて思うことですが、この国で普通に生きていくには、よほどの覚悟かなければ、入れ墨を入れることは生きにくい選択だと思います。
外国では当たり前、と言いますが、ここは日本です。海外の文化と日本の文化は違います。
よい、悪いではなく、それは間違いのないことです。
刺青が必要な世界に生きる人は、覚悟を持たれている訳ですから今まで通り、とやかく言われない場所でおねかいします。
先にも述べましたが、命をかけた、半端でない覚悟の証を仕事とはいえ、あれこれ言いたくはないですし、彼らにとってもそんな軽いものではないと思うのです。
外国人受け入れのために法律や条例で認めろというのも、私観ではナンセンスではないかと思います。
それは各々の企業が、理念としてどうするかを決めれば良いことで、国が法律が決めることではないと思うからです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?